こんにちは
夏休みの終わりと共に台風10号が熱帯低気圧に変わりましたね。
やっと平日ですね~😆
暑さも今のところひと段落しておりますし、ほっと一息付けますね。😀
(と言ってもエアコンは手放せませんけど)
土曜日の夜、たまたまTVを付けたらEテレでETV特集が放送されていました。
興味深かったのでご紹介します。
ETV特集 選 人新世 ある村にて
「人新世とは人類の活動が地球を飲み込もうとする時代」と番組では表現されていました。
インドネシアには各国から(アメリカ・ヨーロッパ・日本他)多くのプラ廃棄物が運ばれてきます。
プラ廃棄をさらに分別するプラスチック農家、プラ廃棄物を燃料にしている豆腐工場
(豆腐工場では揚げ豆腐を作っています)
揚げ豆腐の燃料になる木材は価格が高く、プラ廃棄物は価格が安く火力も強いそうです。
トロボト村には60軒以上の豆腐工場が密集しており、ニワトリの卵からは安全基準80倍のダイオキシン。
廃棄プラなしでは成り立たなくなった村の生活、なぜこのような事態に至ったのか・・・。
世界12カ所では地質調査が行われており有力な調査地のひとつが日本の別府湾でした。
1950年以降人間の活動の痕跡が急激に現れたそうです。
それは人が地球に多大な影響を及ぼし始めたということなのです。
そろそろ自然に帰るような生活を考え始めなければいけない時代になったのではと思いました。🌎
NHK+の配信は9月7日午後11:59までです。
2024年8月お盆休み後半
子供の頃からずっと行きたかった熊野大花火大会に行ってきました。
前回の記事はこちら
熊野大花火大会の起源は記録は明らかではありませんが250~300年前とも言われています。
海上交通が盛んだった三河地方の花火に続く古い歴史と伝統をもつ行事として受け継がれました。
お盆の初精霊供養に簡単な花火を打ち上げ、その花火の火の粉で灯籠焼を行ったのが始まりといわれています。
時代とともに花火の規模が拡大しても本来の目的である初精霊供養の要素は消える事が無く、現在の花火大会でも、初精霊供養の灯籠焼きや追善供養の打ち上げ花火などがプログラムに組み込まれています。
熊野大花火大会の歴史


開催日は昭和38年から毎年8月17日と決まっています。
(2025年8月17日は日曜日です)
※夫撮影(写真左にっぽん丸 右ダイアモンドプリンセス)
開始前にトイレも済ませてスタンバイ🚻
仮設トイレは協賛観覧席内にはありませんでしたが、出てすぐの場所にずらりと並んでおりました。
手を洗う場所は設けられていなかったので、ウェットティッシュを用意されると良いですよ。
19:11 少し遅れて花火が打ちあがりました。
※下に写っているのは月
実はカメラを持ってっ来るのを忘れてしまいました。😭😅
あまり映りの良くないアンドロイドスマホでの撮影です。
(なぜか新しく買い換えるたびにカメラの映りが悪くなる)
ぼやけた写真が多いので申し訳ない。
(数枚混じっているきれいな写真は夫のiPhone撮影)
花火は大まかに三か所から上がります。
全体の写真を撮るには浜席は近すぎて無理があります。
爆発したような気が・・・
熊野の花火の三大名物は「海上自爆」「三尺玉海上自爆」「鬼ヶ城大仕掛け」
「海上自爆」では、海上を疾駆する二隻の船から、点火した花火玉が次々と海に投げ込まれます。
テキトーにスライドショーで
アナウンスのお姉さんがとても好感が持てる話し方でした。
メッセージ花火を読む時なんて本当になりきっていて役者だわ~って思いました。😄😄
お姉さんの声と花火の音、反響して響く音、波音
この会場で音楽は必要ないと感じました。
クルーズ船が良い被写体になります。
目玉の「三尺玉海上自爆」は400m沖合いに浮かべた鉄骨製のイカダに、重さ250kgの三尺玉を設置してそのまま爆発させます。
直径600mに広がる半円形の花火です。
カウントダウンをするのですが初参戦というとこもありタイミングがあわなくて撮影出来ませんでした。
最後の鬼ヶ城大仕掛け花火
鬼ヶ城という岩場や洞窟を利用して仕掛花火を行います。
花火玉自爆音や爆風に加えて岩場での反射音や洞窟での響鳴音も加わり大迫力を演出しています。
HPに舞台裏が掲載されていました。
鬼ヶ城大仕掛け花火の一部だけ動画を撮りました。
※入っている女性の声は隣の席のお姉さんです。
↑が終わった後は燃えておりました。
海に向けて斜めに揚げています。
ブルーもきれいだった。
赤
花火大会が終わった後は余韻を感じている暇はありません。
ボケーっとしている夫を急かしてとにかく早く駅に向かわなくてはいけません!
あらかじめ荷物はまとめ、脱いだサンダルも履いてスタンバイしておりました。
パンフレットには帰りの時刻表と列車集合場所が書かれています。
列車集合場所は必ずチェックして下さいね!
素早い行動から花火が終わってから14分後に新宮方面行きの待機列に並ぶことが出来ました。
21:28
帰りの時刻表
たった4駅と思うなかれ、田舎の駅は一区間の距離が長いです。
距離にして10.9㌔、歩くと2時間半コースです。(Googleマップによる)
こちらは紀伊長島・多気・津・名古屋方面の時刻表
次の電車は無理でその次の電車かなぁ~と思っていたら、運良く次の電車のホームに案内されました。(21:57発少し遅れて到着)
ホームに行くと停車中の電車はすでに満員状態(往路より酷い)
え?これに乗るの?まだ乗れるの?
躊躇しましたが、きっとこの電車を見送っても同じことなので無理やり車内へ入りました。
(電車から落っこちそうでした)
22:28 阿田和駅へ到着
同じホテルに泊まっている人たちも何組か乗車していました。
皆さんも素早い行動だったのですね
ホテルに入るや否や売店へ直行してカップ麺を物色してましたよ~🤭🤭
部屋に戻ったら持参したカップ麺でホッと一息
実はもう1個が焼きそばだったという😅😔
花火の余韻にやっと浸れたのでありました。
待機列に並んでいる時、ホームには撮り鉄さん(乗り鉄さん?)らしき人がいました。
臨時列車目当てだそうですね。
下の動画は2023年のものなのですが、花火が終わってからの熊野市駅の様子がまとめられています。
面白かったので張り付けておきます。
※動画の最初は三尺玉海上自爆です。
つづく
