小さい時には意地悪をされた事もある3歳違いの姉であったが
一緒に生活をしていたのは15年間だけであった
もともと3人兄妹で姉とひとつ違いの兄が産まれた時には地方で仕事していた父は
それは大喜びで家にすっ飛んで帰って来たと言う
(私が誕生した時にはスルーであったと聞いた)
その兄が就学前に事故で亡くなると
長女である姉には両親の期待も大きくなっていたようだ
姉は家を継ぐ人
私は外に出る子供
実際隣町に住んでいた子供の居ない叔父夫婦に養子の話しも持ち上がっていた事もある
そして私自身そんな話しを両親がしているのを聞いても何の感情もわかない子供であった
父と言う人は外面が良いと言うのか
人に何かをあげるのが好きだった
それが娘の大事にしていた一張羅であっても
遠くから定期的に来訪する父の身内の子供に断りも無くあげてしまう所があった
そんな事があっても文句ひとつ言わない 言えない子供であった
父の言う事 する事は絶対で
虫の居所が悪い父が いつ暴走するかいつもびくびくしていた子供であった
姉は高校を出ると就職した
姉は当時倍率の高い公務員の試験に臨んでいた
若い頃から放蕩をして それこそここには書けない事もしてきた父が
その頃の事を反省した唯一の時だった
「自分のせいで落ちたら…」と父は思っていたふちもあった
姉の試験発表の当日
中学生だった私は県庁までバスに乗った
いち早く姉の合否を知りたいと思ったのだ
姉は合格していた
私は誇らしい気持ちでいっぱいになった
早く姉や家族に知らせたい気持ちだった
私が帰宅し しばらくすると姉も帰ってきた
姉はその知らせは既に学校で聞いたらしく
私が県庁まで行った事に驚いていた
その頃の父は「旅」と言う出稼ぎでは無く転職して家から仕事に行っていた
住んでいた所もその会社の社宅であった
社宅には仕事用の倉庫もあり
作業現場に行くために作業員が集合してまた戻り解散していた
外面が良くて酒飲みであった父は仕事には手を抜かない人であった
朝は早く起き布団を畳むと
掃除機をかけるのも父であった
(夕方にも布団を敷く前に掃除機をかけていた)
たとえ学校が休みの日であっても私も起こされ朝から家族で朝食をとるのが常であった
その頃は朝早くからめしなんか食えるか!って日もあったが…
それから父は作業員のみんなが来る前に駐車場を掃き清め 寒い日にはドラム缶に焚き火をして同僚を迎えていた
合格発表の日
父はどんな思いで1日仕事をして帰ってきたのだろう
今ならそんな父の気持ちも痛いほどわかるのだが…
仕事から帰って来た父は駐車場から窓越しに私達姉妹の方を心配そうに見た
姉と私はなぜか…一言
「だめだったよ…」
その時の父の顔は後にも先にも無いぐらい情けない表情であった
が
次の瞬間
「うそだよ〜合格だよ〜」
危険なかんしゃく玉の持ち主が私達の嘘に怒る事よりもうれしさが勝った瞬間であった
つづく
つづくと書いたが…
いつ書くか…わかりません🤭