おはようございます。
今日も早くから目が覚めました。
昨年末より何だか心の中がざわつき落ち着かない感じでした。
ブログも、
はて?何の為に書いているんだった?
誰に対して…
いやいや、思い出してごらんよ、ブログを始めたきっかけをさ🙄
ブログを書いては、
納得いかない記事が「保存」に溜まり、
そして1月1日、元旦の能登半島地震、
昨年からのざわつきの由来を知る。
その後、
度重なる余震と寒さの中、不自由な生活を余儀なくされている人々がいる中、結局は何も出来なく、
温かい布団に包まっているわたしである。
過去に夫の転勤先の伊豆半島の漁村に暮らした時、
そこの地域だけに発生した群発地震を体験した。
そして眼の前で起きた海底噴火。
まだ幼かった子どもたちを連れて仕事で残る夫を残し伊豆の峠を超えた。
ひとつ山を超えれば、そこは何らいつもと変わらぬ日常で、
足元からいつ噴火が起きるかわからない恐怖から生きた心地のしなかった数日は、
いったい何だったのか…
不思議と言うか、
群発地震の恐怖から逃れられない地元の人々や、
そんな時だからこそ仕事の現場を離れられない夫に対して、
なにか、申し訳ない感情もわいていた。
今回の「ご報告」と言うのは、
そんなざわつく気持ちの中で、
自分の中で固めた気持ちである。
2019年6月に夫は自宅の居間でひとり67歳でこの世を去った。
私はちょうど産後の次女の手伝いに家を留守にしていた。
定年後も入れれば半世紀近く真面目に仕事してきてくれた夫であったが、
「宿題」を残していった夫に、夫に先立たれた妻としての悲しみより、
途方もない先行きの不安と、さっさと逃げた夫に対しての「怒り」から私は素直に泣く事も出来なかった。
「どうにかなるだろう」は、
「どうにもならない」を実感した夫亡き後の数年を過ごして来て、
少し前からこれからの私自身の生活を考えていた。
私の職場はこのまま働いても後10年近く働かせてくれる。
もちろん自身の体調にもよるが、
後10年…
はたしてどんな自分になっているのだろうか…
健康でいられるかどうかもわからないと思うと、
時間が無いと焦る気持ちも湧いてもくる。