今日は長女の誕生日。
1980年9月29日、
その日は朝から秋晴れの良いお天気だった。
臨月の私はお天気のうちに洗濯をしてしまおうと張り切っていた。
家中の掃除が終わり、からりと乾いた洗濯物を取り込み片付けた頃にはもう夕方になっていた。
その日は月曜日。
いつもは夕飯時に帰宅する夫がなかなか帰っては来なかった。
今のように携帯電話なんて無い時代のこと、
一度家を出てしまえば連絡の取りようも無い。
19時25分、テレビのコマーシャルの合間にトイレに行った。
トイレから出て廊下を行く数歩の間に、
異変が訪れた。
破水であった。
震える指でダイヤルを回し産婦人科に連絡するも、
「陣痛が来たら来てね〜」と言われる。
いやいやいや💦
「逆子なんで、医師から手術になるかもって言われています💦」
「えっ〜それじゃあすぐに来て下さい😐」
若干21歳のわたし…その時は必死で気づかなかったけど、
今なら患者(妊婦)の状況をわかって無かったのね😤
と思う。
大きな病院では無く、町の小さな産院の事である。
帰宅していない夫に伝言を書き(あるペンがどれも書けない〜💦)
遠方の実家ではなく夫の実家に電話をしてタクシーを呼び、借家から15分程の産院にひとりで向かった。
そして、
そのまま手術台に寝かされ長女は帝王切開で誕生した。
無知な私は麻酔で意識がいつなくなるのか、
えっ?
まだ意識ありますけど〜と子供誕生と言うより緊急オペにびくびくしていた。
手術が始まると緊急オペで呼ばれたであろう看護師の、
「もう~水戸黄門が観れないじゃない〜😑」
の声も聞こえ、
夫の職場と住んでいた借家の中間だからと、
この産院を選んだ事を後悔していた。
長女は私の腹から取り上げらはしたけど、産声をあげることはなく…
パン、パン、パン
ゴム手袋をした手で赤子を叩く音の後にやっと長女は産声をあげた。
たぶん、
緊急オペは必須だったのだろう😑
完全看護では無い小さな産院、
その日から義母が退院の日まで同じ病室に泊まり、私と長女の世話をしてくれた。
その後のいろいろで、
こじれてしまった義母との関係だったけれど、
いろいろな思いもあったけど、
今は感謝の気持ちも素直になれる私である。
↑
いや、遅すぎるわ(笑)