「古民家」を買って自分で改装してお店を出す。


本当に出来るのか…さゆり自身が一番疑問に思っていた。


昨年からちょこちょこ物件を見に行ってはいる。


そこは今住んでいる県内東部から高速で1時間ちょっと、

気候も温暖で人情も厚い穏やかな土地である。


肌が合う…という言い方があうのだろうか、

生まれ育った場所に近い緯度に身体が馴染んでいるのを実感する。



「お店」と言ってももちろん利益は出ないのを承知している。

それが目的なら、何もしないほうが正解だから…


それでは「なぜ?」と疑問を持たれるだろう。


「なぜ?」


そんなもん、説明出来ない。


ただ言えるのは、人生は一回だけだからってこと。

後どのくらい健康寿命が残っているのかさゆりは思う。


あと、10年あれば良いところだろう。


少ない資産も残す必要も無いと思っているが、


最後が0か、マイナスになっていようが、そんなもん知ったこっちゃない。


と、言い切れないさゆりの根っからの貧乏性がその決意をジャマしているのも良くわかっているのである。


ぶれぶれな自分自身を良くわかっている中で、これといった物件に出会ったらさゆりを誰も止められないとも思っている。


さゆりはそういう所がある。



そう決めたからには突っ走ってしまう。

夫は「石橋を叩いても渡らない😔」所があった。

だから、さゆりのブレーキ役になっていた。

さゆりもそんな夫がいるときは大人しくしていた。

だけど、正直言えば「そんなのつまらない」という不満な感情も「そうだよね…」と諦めるのが常になっていたのかもしれない。


夫が急逝してからさらにブログを広く読むようになった。


そこで「何か」を成し遂げている「女たち」の聡明さや努力や男前(この言い方はある意味差別か?)に憧れと羨望を感じていた。


このまま少ない資産を守り、お財布の中身が規則正しく減って行くのを自分の寿命とリンクする生活で満足していいのか…




昨年からのそんな活動の中で知りあった人達がいる。


さゆりと同じように「古民家」に取り憑かれ、それを実際に再生し生かしている。


そんな人からの情報であった。

地元の不動産屋さんには出ない物件である。




「話し」があったのは昨年のうちだった。

その時は他の物件を数件内覧していたさゆりは、その現実の建物に想像以上にこれは手を出してはいけないことなのか…と弱気にもなっていた。


だから、その知り合いの話しにも特に焦る気持ちにもならなかった。


逆に「運命」と言うものがあるのならきっと焦らなくても「出会う」と変な確信がさゆりは感じでいた。




今年になり、コロナの影響もあり、なかなかその知り合いと物件の持ち主とタイミングが合わなかった。


今回、他の用事もありその近くを勝手に立ち寄った。

実際には詳しい住所も聞いてはいなかったのだが、ある建物の近くという情報だけで気軽に立ち寄ってみた。


狭い道を上がり、僅かな空き地に車を止めて細い道を上がっていく。


「あら、この先は他人の庭先かな?」と思いながらそのわずかな横道を拔けていく。


そこに一軒、広い敷地に人気のない平屋の「家」が待っていた。


住所も知らず、たよりも無い中、ある意味迷いもせずに辿りついた。



「例の物件って、もしかしてここ?」

知り合いにラインを送った。


「凄い!探し当てたんですね!これはもう運命しか感じないです!」


なぜか、彼女のほうが盛り上がってしまった。



出会う必要があれば、焦らなくても出会うだろうと、さゆりは確信していた。


不思議な感覚ではあったが、納得できる感覚でもあった。







アメ限になったり、はずしたりしています。

内容によってなんですが、アメ限については読んで下さる方をもう増やさないつもりです。


さゆりの「Secondシリーズ」


これは事実を元にした「お話し」です。