普段こころの片すみにも無い事が、よみがえる瞬間、
私の場合は、どうも味覚との関係が大きいようだ。
我が県はまだ蔓延防止なんちゃらの出る前、すべりこみセーフと言っていいのか…
二泊三日のいや、前のり車中泊もしているから、三泊四日になるのだろうか…
ひとり旅に出ている。
昨年からの計画では途中フェリーに乗り三重県まで車で出かけるつもりだった。
コロナも一段落と思いきや、昨年末に流れ出した不穏なニュースに、このまま行けばまた遠出の計画は流れてしまうのか…
予感は的中😭
ま、そんな事もあるだろう…
(この2年間、そんな事ばっかりだったが、)
冬の車中泊も、新アイテム(バッテリー)があれば電気毛布も使え快適である。
立ち寄ったサービスエリアで簡単に朝ごはんを頂く。
おにぎりと豚汁、
生姜の効いたこの豚汁をひとくち飲むと、遥か昔の場面が目に浮かぶ。
わたしが高校一年生、3つ違いの姉が社会人になり運転免許を取って一ヶ月たったであろうか…
父親の故郷、青森まで一家4人で姉の運転する車で旅をしたのであった。
父親は、じつは運転免許を持っていなかった。
正解には仮免の時、たぶん飲酒運転で事故か、何か、それ以来免許証を取らなかった(取れなかった)のである。
父親は早くに両親を亡くし、母方の叔母夫婦に兄弟と共に育てられた。
学校を出た後、国鉄に勤めたが(SLに石炭を焚べていたらしい)、若気の至り故郷を飛び出し都会や地方を転々とした際、母と出会ったらしい。
父親にしてみれば母とは遊びのつもりだったらしいが、
そんな話し、子供にされても知らんがな😤
そんな父親であったが、結婚後は叔母やふるさとの兄弟との縁を大事にしていた。
子供心に私達子供のことより、兄弟の子供に良くしてあげたのは、父親の見栄もあっただろうが、その根底には故郷に対する望郷の念というものがあったのだろう。
姉が社会人となり運転免許を取ると、父は一家で静岡から青森まで行くと言った。
高校一年生の私はそれがどんなに無謀な事かわからなかった。
中古の日産サニーに乗って静岡の家を出たのが夜中の0時頃であっただろうか、
東京から国道4号線(?)をひたすら北上する。
夜が明けて寄ったのは道の駅ならぬ、トラックドライバーが立ち寄るドライブイン。
豚汁定食、山盛りの白飯とどんぶりに入った具沢山の豚汁。
15歳の乙女には食べ切れない量であった。
運転手は19歳の姉ひとり、小さなせまい国産車、
その旅がどんなに過酷なものだったかわかって頂けるだろうか…
それでも一昼夜かけ、父親の故郷に無事に着く事が出来た。
今思えば奇跡だとも言えよう😱
そしてそれがわたしの車中泊?の旅の原点であった。