このところ日中は暖かいぶん、朝晩の冷え込みの差が大きい。
日本海側や、北海道の北国に比べて積雪は無いのだから、これで寒いなんて言ったらその地方の人達に申し訳ないと思う。
北海道の家では冬の間、暖房を切ることがないのは本当なんだろうか…
中途半端な寒さの地方の我が家では、暖房は炬燵に頼っている。
相当寒く感じる時だけ、さゆりはエアコンを入れる。
2階に同居している息子達は一晩中暖房を入れているようだ。
それもあって、さゆり一人の時の居間や、寝室はエアコンはあっても暖房は入れない。
しかし、今朝の冷え込みには猫たちの為に、外出中にも炬燵の下のホットカーペットのスイッチを入れたままにした。
甘々なさゆりである。
思えば亡くなった夫も猫たちの為に暖房を入れて仕事に行く人だった。
仕事に出かける時はズボンに付いた猫の毛をコロコロで丁寧に取りながら出掛けていた。
たまにちゃんとしたスーツを着て行かなくては行けないときは、猫たちに、
「くるな、くるな〜」と近寄りたい猫たちから逃げ腰になっていた。
それを見たさゆりは猫を抱き上げ、夫の傍により、わざとほ〜らほ〜らと夫の一張羅に猫の毛をなすったりしていた。
ひどい妻である。
それでも好きな猫たちのこと、逃げ回っても、
「いい加減にしろ」とか言って怒ることはなかった。
良い歳をした夫婦のお約束であった。
この子達が居なかったら果たして会話もあっただろうか…
猫たちに対する愛情の少しでも、我が子や、孫に素直に表せば良いものを…
夫は案外、人間の子供に対しては面倒くさいって思っていたのかもしれない。
面倒くさいからって、愛情がない訳ではなかった。
口に出さなくても心配はしていた。
三人の子供の真ん中、次女が生まれたあと、すぐにその下の長男を身ごもり出産したさゆりであった。
長女の育児にはさゆりに任せきりだった夫は、さゆりが長男出産でいない間は良く次女の世話をしたようだ。
だからさゆりが病院から帰ってきた時には次女はすっかりお父さん子になっていた。
さゆりと言えば、ふたり女の子が続いた後の待望の男の子、
記憶の中に次女を育てた覚えが無い程の手抜きの育児であった。
しかし、皮肉なものであまり手をかけなかった次女は一人で箸も正しく持つようになり、小さい時から逞しく育って行った。
まぁ、それも親として次女の全てをわかっていたはずも無く、親には気が付かなかった次女自身の悩みや葛藤もあったようだ。
だから、他の県に転職を決めてその地で縁があり結婚した次女の事を夫は誰よりも心配していたようだ。
次女が子供を身ごもり、前の職場の人達と会うために急に帰省したことがあった。
その後、迎えに行くつもりだった夫と、次女の間で行き違いがあり夫に腹を立てた次女が実家に寄らずに帰ってしまった事があった。
夫の急逝の数ヶ月前の事である。
何をそんなにならなければいけなかったのか、わからないぐらいその時の夫は人が違っていた。
楽しみにしていた次女の帰省だったのに、
なぜ、素直じゃなかったのか…
それから夫と次女が再会したのは、次女が出産した産院の中であった。
さゆりの休みと夫の休みが重なった日に、突然となりの県まで新幹線で見舞いに行く事になった。
もし、突然行く事にならなければ夫と次女はあの行き違いから一度も会わないままだったのである。
たった一度だけ、次女の子を抱いた夫はどんな思いだったのだろう…
思い立ったらそうすれば良い。
夫のスタンスでもあった。
さゆりの実母が亡くなる年のお正月に海辺のホテルを予約しようとしたさゆりが、あまりの料金の高さにその宿泊を躊躇した時も、
「次があるとは限らない」と、渋るさゆりの背中を押した。
その半年後、実母は急逝したのである。
他県で出産した次女の世話をしに、さゆりは月曜から金曜日まで夫と離れて生活をしていた。
3週間目の朝、夫の運転で駅まで送ってもらい、仕事に行く夫を見送りながら、さゆりはまさかの予感を感じていた。
これが、最後だったりして…まさかね、
「○っちゃんによろしく」
「送ってくれてありがとう」
これが、実際に会話した最後の言葉だった。