一日5時間勤務で、週に20時間以内のパートを5年、夫の扶養を抜けてから10年が経とうとしていた。
30代後半だったさゆりも50代になっていた。
その間、家の中では子供達の成長と共に各自いろいろ問題が持ち上がった。さらには義母の脳梗塞、認知症、介護の末の死もあった。
さゆり自身の身体の不調もあり家の中はとてつもない暗黒時代であったように思う。
ただ、家出した長男を探し回った時は、すれ違いの多かった夫婦がやっと力を合わせて難局に立ち向かっていた気がする。
問題が起きるとあながち言いそうな
「お前のしつけがなっていないから!」とか、
「あなたが家庭をないがしろにしてたから!」
なんて言葉は思っていたかもしれないけれど、ふたりともそんな言葉を言い合う事もしなかった。
どちらかと言うとお互いを気遣っていたから、相手を責めることもなく、また己の辛さを訴えかける事もしない、出来ない夫婦であった。
家庭の問題と、仕事に対する意欲を失いかけていたさゆりが、ある日求人募集を目にする。
それはさゆりの家と目と鼻の位置する小さな病院であった。
その昔、作家の遠藤周作の本のモデルと言われた女性がその一生を患者さんと病院に捧げた場所でもあった。
(本のモデルと言ったが実際には本の人物と違い、美しく育ちの良い方だったらしい)
中学生頃から手当たり次第に本を読んでたいたさゆりだったから、同じ県内にそんな場所があるんだって事をぼんやりと覚えていた。
まさか、20数年後にその近くに家を建てるなんて、不思議な縁でもあった。
さゆりは前職に辞表を出し、有給休暇も消化せずに今の職場に転職をした。
前職の時に取っておいた調理師免許のおかげであった。
しかし免許があるからと言って、すぐに何でも出来る訳ではなかった。
自分より年下の上司と、一緒に働らくパートさん達の中で、何から何まで1からのスタートラインにさゆりは立っていた。