義母の事を今更ながらに考えるさゆりである。


初めて夫の実家に行ったのは、職場のレクレーションの後だった。

地元の今は大型ショッピングモールになっている場所が当時はスケートリンクであった。


夫は会の副部長だったのかな、今も夫のスピードスケート靴が倉庫に残っている。

夫はさゆりにも赤いフィギュアスケート靴を買ってくれた。


スケートをする為にはちゃんと帽子と手袋をするようにと、夫に言われていたから、さゆりは自分で白い毛糸で編んだニットの帽子を被っていた。


その帽子を取ると、猫っ毛のさゆりの髪の毛がペッタンコで、

夫の実家に上がった際にもさゆりはその帽子を脱げなかった。


現在では、帽子もファションのひとつ、洋服とのバランスの為に室内でも帽子を脱がなくても違和感もないのかもしれない。

でも当時はさゆり自身もこれはルール違反だと知りながら髪の乱れを見られる方が恥ずかしかったのである。


もちろん夫に突然連れて行かれたので手土産もなく、義母にとっては常識の無い小娘(19歳)だと感じたに違いない。

さゆりも帽子の取れない理由や、恋人であった夫のサプライズだった事を伝えられないウブな娘であった。


義母には役不足な長男の彼女だったに違いなかった。


当時の夫の職場では早く身を固めるよう上司からの圧力もあり、夫とさゆりはさゆりの成人式を待って結婚式を挙げた。

夫は地元で商売をしている義父母の長男、披露宴ではさゆり達の友人の数を制限してまでも、義父の関係者の方が多く披露宴の内容もすでに決められており、ひな壇に座りながらもさゆりは、どこか他人の結婚披露宴にいる感覚であった。

20歳の花嫁、実は他人の結婚披露宴に出るのもまだだったので、比べるものも無いし何の感情も無かったと言うのが正直な気持ちだった。


夫と付き合っていた頃は、当時人気のあった歌手の岩崎宏美を真似してストレートのおかっぱ頭のさゆりであった。

結婚が決まると

「義母はそんな子供みたいな髪型して、これでパーマをかけて来なさい」とお金まで渡された。


若かったさゆりは好きな髪型を変えなければならないのが悲しかったが、そんな義母に逆らえないし、夫にもその胸の内を話す事は出来なかった。


納得いかない髪型と、どこか他人事のような結婚式、

もっと自分の意志があれば、もっと楽しめたのではないかとさゆりは思っていたので、のちの子どもたちの式についつは金は出しても口出しは一切しないようにこころがけた。


当時をふり返ると本当に素直な可愛らしい新妻だったと思う。


結婚が決まり新居も義母と夫が勝手に決めた場所に、実家の父ががんばって揃えたタンスや家財道具が運ばれた。


式より前にそのアパートに寄ると、なぜか義母と義母の姉がタンスやら押入れやら開けて、父が揃えてくれた僅かな着物類を手に取っていた。


ある地方では花嫁の花嫁道具を近所、親戚に披露する習わしがあると知っていたから、そこでもさゆりは何の感情も持つわけではなかった。