そこは、


長野県塩尻市、


高ボッチ高原の山頂、



標高1600メートルの山頂は晴れていれば、南に富士山を望め、その反対側には穂高連峰などの北アルプスを一望できる。



自他共に認める雨女の私は、


やはり今度の旅も天気に恵まれることはなかった。



18で運転免許を取得したから、かれこれ40年以上車を運転している。



高校を出て就職したそこは運転免許証必須の職場であった。



当時の上司、先輩達は学校を出たばかりの私達が、金を貯めて自動車学校に行けるまで待っていてくれた。



今の世では考えられないだろう。



仕事に必要な運転免許証であったから免許取得したあとは、新人でもどんどん運転させてもらえた。



その頃は若葉マークが世の中に出てきた時だったので、



なんと、公用車に若葉マークを付けて運転していたりした。



現在は若葉マークの新人には運転はさせないようだが、





田舎は車が無ければ何処へも行けない。

都会で暮らす娘などは、その住むマンションの地下が地下鉄の駅である。



歳をとったら交通の便の良い所に住んだほうが良いと人は言うが、


そんなに簡単に住まいを変える事は出来ないだろうと諦めている。



若い時から運転は好きだった。


つい最近まで乗っていた車はマニュアル車であった。



ギアを自分で操作して、その車を操る感が好きであったように思う。




仕事や買い物はもちろん、ちょっと遠い場所に行くのに車を使っている日常ではあるが、



隣りの県以上の所へ自分で運転して行くのは初めての旅だった。




2年前に亡くなった夫は、ある意味慎重な人間だった。



石橋を叩いて渡る


ということわざがあるが、彼は



石橋を叩いて、


その安全性が確認出来ても、


わたらない…



冒険なんかは望まない、


堅実であったが、ある意味


面白みのない所もあった。



そんな夫と暮らして数十年、


自分もすっかりそんな堅実で冒険を望まない人間だと認識していた。



が、夫が亡くなって2年、


忘れていた数十年前の本来の自分がその姿を現してきた。



夫が生存中には、夫に守られている事さえ、気がつかない自分だったが、


その夫が突然目の前からきえたあとは、


必然的に本来の自分を鼓舞するしかなかったのである。




夫が亡くなった彼の年齢まで、あと5年、


母親の亡くなった年齢まであと十数年、


父親の亡くなった歳に至っては、もうすでに10年も越している。




あと何年生きられるかなんて、わかるはずもないだろうに、


身近な身内の年齢と重ねて考えてしまうのはなぜだろう…





今までの生活からはあり得ないきっかけで、



今この地に立つ私を誰が想像したであろうか、



この歳になって、


初めて自らの意思で行動して訪れる場所であった。




看板に、



ひょうたん池まで800メートルと書いてある。



800メートルの下りである。


下りだから、帰りは登って来なくてはならない。



少し躊躇したが、



この先自分は再度この地に来る事が出来るのだろうか…



今が生涯でたった一度の機会かもしれない。





ひとり誰もいない下り坂を歩いて行く。

あと少し前の時期ならその道の両サイドにはレンゲツツジの群生が見られただろう。


しかし自然のままの遊歩道の周りは、これから初夏の盛りを迎えようとして色の濃くなった緑の林がわたしを迎えてくれる。



もう数年も前、


近所の登山好きの友人夫婦に誘われた地元の山、


初夏の山の緑の息吹に恥ずかしいほど興奮した自分を思い出していた。



生命の匂い、


ある意味生生しい緑の香りにつつまれて歩いていると、忘れていた生きているという実感を感じていた。





30分もゆっくりペースで歩いた先に静かな水面のひょうたん池が現れた。



梅雨に入ったばかりのこの地では、その水量はまだ少ないようであった。



誰も他にいない池のほとり、一期一会の機会を喜んでいた。








旅から帰り…数日、


記録的な豪雨の雨の連日、



未曾有の災害が各地ておきている。


未曾有とは、めったにないという意味であろうに、


近頃はその意味さえ変わってきているように思ってしまう。





高ボッチ高原の、ひょうたん池、


今はあの時と、その姿を一変させている事だろう。