「長野車中泊恋物語」


ひょんな出会いから生まれたお話し、


構想もへったくれもない、思いつくままに、書いていた。


というより、書かされていた感がある。



先の展開を決めずに思うまま書いていたので、


テーマも主張も私自身わかっていないものだった。




主人亡き後、ブログの世界を知り、何を書いても良い、訴えても良い(他者に対しての意見の制限はあるが、)


そうしているうちに自分の考えが確立してきたような気がする。




主人の人生を妻という私から見たら、


彼は幸せな人生を送れたのであろうか、


夫婦であっても、お互い個人は個人、


性格も考え方も違って当たり前だった。


主人の後ろ姿に頼り、何も考えずに歩みはじめた若い妻だった。




ふたりの行く道を頼ってばかりいた若い時の自分は、


上手くいかないジレンマを相手のせいにしていた時期もある。



いつの頃だっただろうか、


主人に頼りきっていた若い妻は自分の意志を持つようになっていた。



主人は主人、自分は自分、


そう考えなければ、やっていけない時期もあったように思う。



まったく、可愛げのない女房であった。



反省するほど素直ではない私だけど、


「主人の人生」が、彼なりに悔いがなかったのか、


そこの所だけは気になってしまう。





もう一度同じ人生を歩めるのなら、


もう少し素直なオンナでいよう。


言いたい事を上手く相手に言えず、イライラし、


なぜわかってくれないのか!

(話さなきゃわからない事もある)



自分の意見も静かに論理的にわかってもらえるように話そう。



もちろん、相手の話もちゃんと聞こう。



子供達が巣立ち、ふたりにまた戻った時、

その人生で良かったねと、言い合える夫婦になっていよう…




もう、出来ないけどね、




だから、現在進行系の若い人達が気になるんでしょうね、


裕之とりょう子さんの事も、


ひろしと嫁ちゃんの事も、




お話しの最後に「ひろし」が出てきて、


その存在を知らない読み手は、


「最後に犯人が出てくるドラマかい!」


と思われたかもしれません。


アメ限のわずかな方しかわからない「ひろし」

は、私の不肖の息子であり、目下の悩みのタネである事だけお伝えしておきます。




毎日、考えない日はありませんが、


毎日、私が泣いてくらしても、世の中は変わりません。



なら、笑って、今を楽しむことを自分に許してあげたいと、


ブログを通して、自分の考えを確立して来た


わたしです。




話の構想の中に、さゆりという人物が本当は現実には居ないというパターンが、最初から少しだけあった。



「シックスセンス」的な…(笑)


書き直しが出来るなら、もっとつじつま合わせなさいよ!


突っ込んでいる私自身です。





このブログの私の部屋、


これからも、たまに暴走していくかもしれません。