もともと経営に対する知識もなく、浪費家であった父母の始めた事業、うまく行くはずもなく、借金を抱え父はまた単身働きに出た。
母も昼は工場で働き夜も働きに行くようになった。
母はもともと人前で歌ったり踊ったりするのが好きで、と言ってもけっして上手い分けではなく、どちらかと言うと見せ物的なふうで周りに受けていた。本人は受けるのが心地良かったのだろう、晩年まで地区の祭りではカラオケ等の 常連であった。
しかし子どもの私はそんな母が恥ずかしかった。
のちに学校の謝恩会等でも、素人には見えない安物の着物を着て歌ったり踊ったりしてたと聞いて悲しくなった。