こんにちは、浦島坂田船crewのみくひぇみです🚢
実は何を隠そう、僕は筋金入りの男crewなのです。
(Crew=界隈内での浦島坂田船ファンの通称)
浦島坂田船の皆さんのことは、ニコ生での仲良し組の頃から応援し続けており、気がつけば長い時間が流れて自分は成人してしまいました🙃
当時は中学生だったのに早いものですね…
(浦島坂田船についてあまり知らないという方は以下のリンク先から公式ホームページを参照してください。
浦島坂田船=とある歌い手グループ
と捉えて貰っても構いません。)
ここからは僕の浦島坂田船、および歌い手について思う個人的な感想を以下に綴っていきます。
やもすると閲覧された方々に不快な気持ちを抱かせてしまうかもしれません。
本当に浦島坂田船の皆さんが大好きだからこそ、思春期でもある学生時代を通して考えてきたことです。
温かい目で「そう思う人もいるのか」程度に考えてください🙇♂️
「浦島坂田船というの魅力はどこにあるのか」
「なぜここまで大きなコンテンツになったのか」
「浦島坂田船が嫌われる理由はどこにあるのか」
「インターネット文化における問題点」…
これらの事柄について思考するようになったのは、USSS(浦島坂田船)を好きになってから2年程が経過してからでした。
歌い手は主に『歌ってみた』という動画を投稿する動画投稿主を指すことが一般的でした。
すなわち、「VOCALOIDに歌唱させている楽曲を自分で勝手に歌ってみました」というスタンスです。
インターネット黎明期の日本においてVOCALOIDというものは極めて異質でした。機械音声で温かみのないロボットが音程を持った言葉をなぞっているのですから、不気味に思うのは無理もないかとおもいます。
「歌い手」というものは人間ですので、この点をカバーすることが出来ます。すなわち日本人にとって親しみやすく「VOCALOID楽曲」に触れることが出来たのです。
今と比較すると驚くべきことですが、当時はインターネットというものがアングラの象徴であり、ネット発のコンテンツに夢中になっている人間は多くありませんでした。
日本人は集団を好む、という話をどこかで聞いたことがあります。集団生活を円滑に進め、社会に溶け込んでいくためには「他者との同質性」が重要な鍵になってくると思われます。
すなわち、「インターネットのコンテンツが好きで見ているんだよ」という自ら異質性をカミングアウトするような行為には当然躊躇し、ましてや「機械音声で可愛らしい姿のVOCALOIDが歌っている楽曲」など友人であってもなかなか『好きの感覚』を共有出来なかったであろうと思います。
そう考えると『歌ってみた』が人気を博することは必然のように思います。作曲・編曲・歌唱などの情報を伝えなければ、これまでにリリースされている曲と同じように扱えるからです。
『歌ってみた』はただの他人のカラオケではなく、VOCALOID楽曲を世に伝える一つの媒介手段となっていたのであります。
しかしここで一つ問題が発生してしまいました。
『歌ってみた』が人々に好まれすぎてしまったことです。
『歌ってみた』の魅力は、楽曲+歌唱であると思います。このうち前者はVOCALOIDによるもの、言わばボカロPの産物で、後者は歌唱力などを兼ね備えた歌い手による産物であると言えるでしょう。
さて一般的な話になりますが、大衆に対するプロの音楽は魅力を伝える役割の人とそれを支える役割の人がいると思っています。
クラシックで言えば、演奏家と作曲家
ロックバンドで言えば、VoとDr Gt Ba
ボカロ楽曲で言えば、歌い手とボカロP
思うに、人間とは「自分が難しさを想像できること」に対してより強い尊敬の念や感動を抱くのだと思います。大学受験を経験していない人は東大合格の難しさを漠然としか理解できませんし、合格者への感情も経験した人に比べて幾分か浅くなってしまうことは必然かと思います。
これは音楽にも当てはまるのではないか、そう考えました。多くの人に「素敵な曲を作ること」より「上手に歌うこと」が魅力的に映ってしまうのはこうした理由なのではないでしょうか。
(もちろんどちらも同じくらい難しくて尊敬されるべき事なのですが)
話をVOCALOID楽曲に戻しましょう。
『歌ってみた』が人気になりすぎてしまった結果、本家の楽曲の再生数を超える「本家越え」などというミームまで散見されるようにもなりました。
これはボカロP及びPを応援している方々からすれば、ちっとも面白くありません。むしろ貶さている気分になるでしょう。
歌い手が嫌われる原因ともなる一つには「人のふんどしで相撲を取った挙句、自分一人の力かのように見せかけている」という印象があるのだと思います。
補足をしておきますが、歌い手とボカロPが契約を結んでいれば問題はないのです。ボカロPと歌い手がセットで、ユニットを売り出すかのごとく名前が広まれば問題はありません。しかし、歌い手は「勝手に楽曲を歌っている」、これが大きく問題になってしまっています。
すなわち、ボカロPも歌い手も両者の協力があって発展をしてきたという背景がある以上、彼らは本来敵対すべきではない間柄なのではないかと思います。もちろん当人同士で確執があるケースが間違っているわけではありません。権利の問題ともなると、コンテンツを享受するだけのリスナーが口出しする程野暮なことはないと思います。
また、これはどちらが悪いなどという問題でもありません。リスナーが歌い手を囃し立てたことは事実かもしれませんが、ボカロPへの悪意を持って推しをヨイショしたリスナーは殆どいなかったと思います。
責任の所在などは当人達の問題です。リスナー視点で振り返ることが出来るとすれば『両者の力で作り上げられているコンテンツだと知らなかった』こと。それこそが悪と言えるのではないでしょうか。
…と、ここまで綴ってきましたが、歌い手オタクの皆さんに対して私が強く意見したいのは「リスナーは口出しするな!」という短絡的な考えではありません。
ここまでの内容は全てインターネット黎明期の話でした。すなわち多くの人にとってVOCALOIDや機械音声に抵抗があり、ボカロPよりも歌い手が人気を博しやすくなってしまうというなんともおかしな構造上の問題があった時代の話です。
少なくとも2021年現在、この構造は変化したように思います。
歌い手自身が作曲する事例や、ボカロPは自身の楽曲を「歌ってみる」self-coverという事例まで増えてきたように思います。ボカロPが歌い手に楽曲提供をすることは両者の利を追求している良い事例なのではないでしょうか。
もちろん全てが良くなったわけではありません。楽曲の盗作疑惑や、かつてついてしまったマイナスイメージが飛び火してプロジェクトに携わった人まで巻き添えを食らってしまうなど……喜ばしくない事例も多いかと思います。
僕は音楽プロデュースの世界には生きていないので詳しいことは分かりませんが、少なくとも「かつてのインターネット文化が時代と共に変容している」ということは確信をもって述べることができます。
余談ですがある程度人気を博したYouTuberやVtuberが『歌ってみた』を投稿することへの批判的な意見は、かつての「人のふんどしで相撲をとる」ような印象ではなく「本人の歌唱力不足や楽曲へのリスペクトに欠ける」といった印象から物議を醸しているものだと思います。
時代は変わっている。歌い手界隈においては「手探りだった競争社会」から「みんなで作り上げるプロジェクトの集合体」のように変化しているのではないだろうか。
このようなことを踏まえると、
「○○は上手いけど△△は下手だからやめとけ」
「□□の作る曲を聞いているのはセンスない」
「♢♢はやめて▽▽を聞け」
など、個人的な好き嫌いの感情を他者に押し付け、「競争」を煽るようなことをしない
これが現代のインターネットメディアのリスナーに求められていることなのではないか。
…このように考えた次第であります。
もちろんお金が発生する以上、競争というものは離れることの出来ない概念ですがリスナーがその競争に参加することはしなくても良いという意味合いです。
随分と話も逸れて長くなってしまいました。
もちろん自分が生まれるより前からインターネット文化に触れている諸先輩方からすれば、このような戯言に共感出来ない部分も多いかもしれません。
自分のような小さな人間が知ったような口を聞くのは大変烏滸がましいことではあると思います。しかしながら多くの人々に新しい居場所を作り、今もなお広がり続けている「歌い手界隈」がオワコンと言われるのはとても心苦しいように思っています。
本記事によって歌い手リスナー界隈に生きる人々に少しでも考えるきっかけを与えられたら幸いだなぁと思います。
簡単に本記事のまとめです。
しつこいようですが、個人的な私見に過ぎないことは繰り返し述べさせていただきます。
- 歌い手とボカロPはどちらかが欠けていれば今ほどのVOCALOIDの発展はなかった
- 歌い手が嫌われるのは「手柄横取り」のような印象を与えてしまっていたから
- 現在はお互いの垣根を越えた連続的なメディア文化が構築されている
- リスナー視点では「競争」を促すのではなく「寛容」にコンテンツを享受すること
- そのためには他人に自分の好き嫌いを押し付けるようなことをしない