ただいま準備中です。
2012年12月末に12年間勤めた会社を退職してから
直面したのは 、、、
「自己管理」の難しさ。
朝起きなくても遅刻はない。誰かに指示されることもない。
誰かがおしりをたたいてくれることもない。
誰にも会わない日は、お化粧をしなくたって平気!
ジャージ姿でPCに向かったって、誰にも迷惑かけないんだから。
自由とは、自堕落になってもいいという自由も含まれる。
これはデンジャラスであります
朝4時にベッドにはいる。10時過ぎに起きる。
メイクしないから、鏡もみない。とりあえずテレビをつける。
こんなことやってると、
だんだん人間が、廃れてきます。
どんどんブスになっていきます。
その結果、外にでるのがイヤになります。
人に会いたくなくなります。
こうやって精神的なひきこもりのできあがりです。
実は「自己管理」とは、
時間管理やスケジュール管理のことではなく、
自分自身のやる気のマネージメント。
つまり、やる気を持続すること。
やる気が持続できなければ、時間管理もスケジュール管理もへったくれも、ないんです。
激しく、激しく、これは激しく、実感したのでした。
そして、この「やる気の管理」のために悪戦苦闘した結果、
編みだしたのが 「朝の1時間セット」


このセットを何も考えずに実行するだけで、
ココロとカラダにスイッチがはいっちゃうんです。(私はね
)


詳しい内容はまた次回書きます♪


直面したのは 、、、
「自己管理」の難しさ。
朝起きなくても遅刻はない。誰かに指示されることもない。
誰かがおしりをたたいてくれることもない。
誰にも会わない日は、お化粧をしなくたって平気!
ジャージ姿でPCに向かったって、誰にも迷惑かけないんだから。
自由とは、自堕落になってもいいという自由も含まれる。
これはデンジャラスであります

朝4時にベッドにはいる。10時過ぎに起きる。
メイクしないから、鏡もみない。とりあえずテレビをつける。
こんなことやってると、
だんだん人間が、廃れてきます。
どんどんブスになっていきます。
その結果、外にでるのがイヤになります。
人に会いたくなくなります。
こうやって精神的なひきこもりのできあがりです。
実は「自己管理」とは、
時間管理やスケジュール管理のことではなく、
自分自身のやる気のマネージメント。
つまり、やる気を持続すること。
やる気が持続できなければ、時間管理もスケジュール管理もへったくれも、ないんです。
激しく、激しく、これは激しく、実感したのでした。
そして、この「やる気の管理」のために悪戦苦闘した結果、
編みだしたのが 「朝の1時間セット」



このセットを何も考えずに実行するだけで、
ココロとカラダにスイッチがはいっちゃうんです。(私はね
)

詳しい内容はまた次回書きます♪


あの日から1年が経とうとしています。
被災された方たちにとっては生きるために必死だったであろう1年も、
3月11日という日が近づくにつれ、再びあの瞬間が鮮やかに甦ってしまうのか。
その辛さはいかばかりか。
あの時、私自身には何の被害もなかったのだけれど、
心のコントロールがまったくできなくなってしまい、
一度堰をきってしまった涙が止まることはありませんでした。
実家の屋根は壊れ、つい最近までブルーシートで覆われていたけど、
たった一晩だけ、避難所にいた母と連絡がとれなくなってしまったけど、
全員が無事で、不便な生活を強いられることもなかった。
それなのに、わたしは何をやっているんだ。
被災した人たちに申し訳ないじゃないか。
自分を責めてみても、戒めてみても、苦しさはどうにもならず
このままでは心がつぶれてしまうと、本気で感じていました。
優しくしてくれた、あの人たちは無事だろうか。
眠れない日々が続きました。
それから何ヶ月が経過した後、
気仙沼のある女性経営者が、私の手を握って話してくれたことば。
「生かされたんだから、生きなくちゃね」
仙台のある女性経営者が、大粒の涙をためて話してくれたことば。
「私がやるから、がんばって復興させるから、見ててね」
いわきのある女性経営者が、ふっと漏らした本音。
「本当は苦しいよ。でも、私から元気ださないとね」
彼女達が伝えてくれたメッセージは
「私がやる!宣言」 。
だから、見守っていて、と聴こえました。
彼女たちの言葉は、私の生き方や価値観を変えるに十分でした。
私は、私のできることで全力を尽くそう、そう決意しました。
現在、ボランティアに来る人の数も減り、
被災地復興ファンドなどに関心を寄せる人も減ってきているそうです。
反面、精力的な活動をずっと続けている人たちもたくさんいます。
忘れてはいけない、と言うのは簡単。
でも、本当に忘れないためには、
「忘れない」という決意と努力が必要なんだ。
人は日々に流されるからね。
被災された方たちにとっては生きるために必死だったであろう1年も、
3月11日という日が近づくにつれ、再びあの瞬間が鮮やかに甦ってしまうのか。
その辛さはいかばかりか。
あの時、私自身には何の被害もなかったのだけれど、
心のコントロールがまったくできなくなってしまい、
一度堰をきってしまった涙が止まることはありませんでした。
実家の屋根は壊れ、つい最近までブルーシートで覆われていたけど、
たった一晩だけ、避難所にいた母と連絡がとれなくなってしまったけど、
全員が無事で、不便な生活を強いられることもなかった。
それなのに、わたしは何をやっているんだ。
被災した人たちに申し訳ないじゃないか。
自分を責めてみても、戒めてみても、苦しさはどうにもならず
このままでは心がつぶれてしまうと、本気で感じていました。
優しくしてくれた、あの人たちは無事だろうか。
眠れない日々が続きました。
それから何ヶ月が経過した後、
気仙沼のある女性経営者が、私の手を握って話してくれたことば。
「生かされたんだから、生きなくちゃね」
仙台のある女性経営者が、大粒の涙をためて話してくれたことば。
「私がやるから、がんばって復興させるから、見ててね」
いわきのある女性経営者が、ふっと漏らした本音。
「本当は苦しいよ。でも、私から元気ださないとね」
彼女達が伝えてくれたメッセージは
「私がやる!宣言」 。
だから、見守っていて、と聴こえました。
彼女たちの言葉は、私の生き方や価値観を変えるに十分でした。
私は、私のできることで全力を尽くそう、そう決意しました。
現在、ボランティアに来る人の数も減り、
被災地復興ファンドなどに関心を寄せる人も減ってきているそうです。
反面、精力的な活動をずっと続けている人たちもたくさんいます。
忘れてはいけない、と言うのは簡単。
でも、本当に忘れないためには、
「忘れない」という決意と努力が必要なんだ。
人は日々に流されるからね。
