両国さんぽ:野見宿禰(のみのすくね)神社(2012.4.29) | Lontano dagli Occhi ~Ameba棟~

Lontano dagli Occhi ~Ameba棟~

ლ(╹◡╹ლ)大相撲応援ブログです(ლ╹◡╹)ლ

両国にぎわい祭りついでの両国相撲部屋散歩途中にて。

八角部屋と錦戸部屋を訪ねた後に間垣部屋へと向かう途中、

あの葛飾北斎生誕の地がある北斎通りに出ました。

イメージ 1
こんな感じで北斎の浮世絵が通り沿いに点々と。

東へ向かって歩いて行くと、通りの向かい側(南側)に雰囲気のある神社が。

というか、実はどういう神社かも知らないままフラフラ惹かれるように道を横断してたんですが・・・^^;
イメージ 2

野見宿禰(のみのすくね)神社。
いや・・・お恥ずかしい!何も知りませんでしたが、相撲にゆかりある神社だったのですね><
イメージ 5

~即席マメ知識(※ネット検索による)

野見宿禰とは、今から約二千年前の第11代天皇・垂仁天皇に出雲から大和へ呼び寄せられ、力自慢で人を蹴り倒すのも日本一(!)という当麻蹴速(たいまのけはや)と力比べをするように命じられた、出雲随一の力自慢だったそうです。
これが日本で最初の天覧相撲となったとか。
決まり手は「蹴り殺し」・・・
人蹴り自慢の当麻蹴速は、逆に野見宿禰に肋骨を蹴り折られ、腰の骨を踏み折られて死んでしまったそうです。

それから天皇に仕える事になった野見宿禰は、人格者でもあり、それまで人を生き埋めにしていた天皇家の葬儀を憂え、代わりに埴輪を考案して殉死を止めさせたとも言われています。

イメージ 6
少し薄暗くなってきていて気が引けましたが、境内に入りました。

手水鉢に驚きました。相撲にゆかりある神社らしい、ゴツゴツとした石をくりぬいたものが。
迫力満点(@_@;)
イメージ 7
ウィキペディアによると、第31代横綱・常ノ花寛市が奉納した自然石とか。

社殿。暗くてすみません^^;
イメージ 8

横綱に昇進すると、ここで土俵入りを披露するそうですが・・・
白鵬が横綱昇進した頃はまだ全く大相撲に縁の無い私だったので、ピンとこないというか。
「こんな狭いところで?」と不思議な感じがしてしまいます。

社殿の右脇には稲荷神社。
イメージ 9


しかし、境内で何よりも目を引いたのはこの石碑でした。
イメージ 10

ちょうど中央近くに、先代鳴戸親方・隆の里の文字が。そこだけ新しく金色に塗られていました・・・。
イメージ 11

見た瞬間に自然に涙が出てきてしまいました。
そして自然と頭を垂れて手を合わせ、しばらく動けませんでした。

なぜ金色だったのか、この時はわかっていませんでしたが・・・
今もご活躍の方々は赤い文字、亡くなると金色に塗られていくようですね。
先代鳴戸親方だけが輝く金色・・・すごく悲しかった・・・。

こちらは初代から第46代まで。初代若乃花が亡くなられたのが2010年9月。こちらもまだ金色が色濃く残っていました。
イメージ 12

イメージ 4

手水舎の手前・右側にある鳥居。
イメージ 3

夕暮れ時でもあり、ちょっと物悲しくなったひととき。

枯れ葉が落ちていたのも、少しゴミが落ちていたのも物悲しくなった原因でしょうか。

ほうきとちりとりと時間があったならば、勝手に境内中を掃き回っていたかもしれません^^;



古事記と日本書紀。きちんと読まなくては・・・><

野見宿禰と当麻蹴速。とりあえずこの二人の名はしっかり覚えましたあせる