立合い | Lontano dagli Occhi ~Ameba棟~

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ლ(╹◡╹ლ)大相撲応援ブログです(ლ╹◡╹)ლ

相撲自体、とったという経験もなければ観戦歴も短い私が言うことですので、要するに独り言です(笑)
が、あえて今回はこちらに記事を書くことにしました。
賛否両論、いろいろあるかと思います。
反対意見覚悟で、自分がずっと思ってきたことを出しておかないと、なんだか前へ進めない気がしまして(って、何をやろうというのだか、ですがw)。


立合いが合わないことで後味の悪さがあった今年の名古屋場所ですが、いつも思います。
そもそも仕切りは何のためにやっているのか?と。
立合いの呼吸を合わせるために仕切っているのだとすれば、立合いですぐ呼吸を合わせられるのがプロなのではないか?と。

それが、幕内上位でも満足に立合いが出来ない。合わせられない。

「立合いにも駆け引きがある」とよく解説で耳にします。
「自分の呼吸で立ちたいもの」という言葉も。
それは、本来の立合いの意味からは矛盾した言葉のように思えるのは私だけでしょうか。
「自分の呼吸で立つ」じゃなく「お互いに合わせる」から「立合い」なのではないのでしょうか?
そうそう簡単にいくものではないのだろうと思った上で、あえてそう言いたい。

これまでの私の短い観戦歴で、制限時間一杯になる前に力士が立つのを見たのは、日馬富士だけ。結びの一番でした。
仕切りとは、仕切るだけではなく呼吸さえ合えば、その時点で立合いに入っていくもの。
そういうものなのだ、とその時私はやっと理解しましたsweat02

そもそも、仕切りを何度も重ねて最後、立合いで即立てない、という間合いがわからない。
「もし自分だったら」とよく想像しながら見ているわけですが・・・
仕切りで集中力を高めていくのであれば、その集中力をそのまま立合いに全神経を集中させるようにもっていき、「待ったなし」が聞こえて相手と目を合わせ腰を下ろした時点ですぐ立ち上がれるようにしたい、と自分だったら思う。

だから、私はいつまでも仕切り線に手をつかない力士を見るとイライラする。
相手が両手をつけて準備万端に待っているのに、毎回何秒も何秒も長すぎるぐらいに待たせる力士がいる。
時々「いい加減立ったらどうなんかいっ!?立つ気あんのかっ!?」とテレビに向かって叫びたくなることも(笑)

だからこそ、おそらく何度もつっかけてしまうぐらい立合いが早すぎる(ように見える)垣添や、すぐに立つ千代の国や日馬富士のような力士が好きなのかもしれない。

100%、すぐに立てるものではないとは思うけれど、いつまでも立てないのでは集中力が逆に切れやしないか?と感じてしまうのです。
仕切りながら、立合いの仕方に迷いが出てしまう、というのもわかりますが、迷った時点で勝負も決まってしまう。
男ならドンといけ!と言うのは確かに簡単なこと。そうだけど。どうにかならないのか、もう少し?

序の口から幕下までは、仕切り時間は関取よりも限られています。
塩を撒くという所作も無い。
でも、その短い時間のほうがかえって立合いに集中力が出やすいのでは?と思うことも。
その分、序の口のうちから立合いは本当に気をつけてほしい。
そのためには、上の格の力士たちがしっかりしないと。下は上を見て育つのだから。

関取たちの仕切り時間を長く取るのは、興行的な意味があるのだと思いますが(何も調べずに書いてます、すみません)・・・仕切りが長ければ長いほど、集中力をピークにもっていくやり方・技術が問われるものなのではないでしょうか。

だとすれば、幕内の仕切りから立合いへの現在のレベル。
貴重な時間を削ってわざわざ取組を長時間見る側としては、そのレベルを疑わざるを得ません。
仕切りから立合いまでの流れが悪いと、取組そのものを見る気さえ失いそうになるのです。
時間を返せ!と言いたくなる。下手な立合いを見るためにテレビをつけてるわけじゃないのだから。

お金は、ただ土俵に上がっていればもらえるというものではない。
お金がなぜ自分の元に入ってくるのか、もっと関取たちは真剣に考えてほしい。
お金は空気じゃない。
お金をもらえることに感謝しながら土俵に上がってほしい。

金、金、金・・・と書きましたが、お金は象徴でしかありません。
お金の向こうにあるもの。それを意識しながら、本場所の15日間を戦い切ってほしいのです。それだけです。

長くなってしまいました。
えらそうに失礼しました。