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先日南相馬小高区の支援活動に労働組合のみんなと行ってきました。ここのボランティアセンターの所長さんは震災後から横浜からきて活動してくれてます。ありがたい!
このセンターのモットーは「できる人が、できる時に、できる事をする」です。
あるお宅から出たがれきの仕分け作業でした。この地区は今は日中だけ帰宅できるようになりました。
2年半たっても進んでいない現実。黙とうをしてから作業開始しました。
全国から来たボランティアの方とも一緒に午前中から夕方までやり、やっと仕分け作業完了。これはあとからクレーン車で持っていくそうです。大勢でやってもこれだけ時間がかかるのだから、家主さんひとりでは大変です。やっぱりボランティアの手が必要です。
昨日、南相馬小高区から浪江まで視察に行ってきました。
浪江は帰還困難区域で誰もいない、時間があの時のまま止まった世界でした。
浪江は市場でにぎわう町でした。
南相馬沿岸。復興のためのがれき撤去ではなく、行方不明者を探すためのがれき撤去の跡。
原発事故のため、捜査ができない状態でした。原発事故がなければ助かったひともいたかもしれない。
小学校がポツンと立っていますが、この小学校のまわりには住宅がたくさんあったのに津波でなくなりました。故郷もなくなりました。ここの小学生たちは授業中だったので無事避難できたそうです。
復興には程遠い現実。それでも原発再稼働を東電、国は進めますか?福島県人は原発事故のせいで津波以外の震災関連死で約1300人亡くなっています。
避難してる方がいつかは帰りたいと言っても、家も仕事も友達も学校も病院もないところにどうやって帰ればいいのでしょうか?国は復興を無視して経済ばかり主張するのはやめてほしい。
















