"自由の意味"


やりたいコトを、

やりたい時に、

腹一杯味わい尽くすこと。


休みの日が、この日しかない。


その発想やスタンスは、自由と言えるでしょうか?


休みたい時に休む。

動きたい時に動く。


私は常々、提言している、


「人生そのものが、ビジネス」


当たり前な話なのですが、


あなたは、あなたの人生のオーナーなのです。

なので、あなたが、どうありたいか、は、


あなたが、決めていいわけです。


儲けているか、

儲けていないか、


ではありません。


やりたいこと、

やってみたいことを、

やれているか。


が、大切なポイントなわけです。


もし、それができていないなら、


あなたは、自由ではありません。


確かに、なんでもいいよ、と言われたら、


途端に、何をしていいのか、わからなくなるかもしれません。


でも、その何をしていいのか、わからないという時間も、


あなたが、あなたの人生の時間というものを、


あなたの意思で、使っていい、とされたから、


生じる、暇、です。


そう。


誰も、


何も、


あなたに、命令なんてしていません。


命令されたと思い込んでいるだけ。


あるいは、命令されて動くのが、当たり前と、


思い込んでいる=バイアスに支配されている、だけ、


なのです。


そんな中で、


毎日一つ以上、


新しい何かに挑戦する、


あるいは、手に入れる、


とするなら、


それは、すべて記念日ではありませんか?


よく、


誕生日だから、


記念日だから、


プレゼントをあげたり、もらったりしますよね?


でも、それって普段、

忘れていたり、

やれていなかったりする


ことが、


特別な意識を持たせている、わけですね。


そもそも、それほど特別なことなのですか?


と私個人は思います。


そうやって、思い込んでいるだけではないでしょうか?


ブレーキを作ったり、

ルールを作ったり、


それ誰が作ったんですか?


という話になりますね。


他でもなく、


あなた、なのです。


周りが、そうだから、そうだ、という思考は、


決して、自由にはなれません。


その日しか休みがないから、


と言って、


やりたいこと、

欲しいものに、


ヨダレを垂らして、

群がったり


周りのヒトに横柄になっていいワケ、ないですよね?


そういう、品のない習慣が、


どんどんと自由から遠ざかる要因にもなっていたりするわけです。


記念日、とは、


普段やった方がいいことを、やれてない人が儲けるものであって、


普段からそれが当たり前なら、

記念日なんて設けませんよね。


周りがそうだから、そうしよう。


という発想は、切り替えた方がいいわけですね。


当たり前のレベルを上げて、もっと、


楽しいを楽に、継続しましょう。


"あなたの人生というフライトをもっと楽しくするために"      


Enjoy the treasure. Step forword.  

For the happiness of all.   

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©2019 L.I.F.E メッセンジャー      

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