さて、12月に入籍が決まりそうと言っておきながら

実はまだ他の人とデートもお見合いもしている私です。


理由はただひとつ。

愛犬のため。


新しい旦那さんは犬は好きなんだけど

室内で犬を飼った経験がないらしく

結婚して一緒に住むとなったら新しいおうちに愛犬は連れていけないんですね。。。


うちの愛犬は私が妊娠中の絶賛不安定なときから私のそばに居てくれて

離婚する時も側に居てくれて

そんな愛犬を連れていけないなんて断腸の思いです。


今の旦那さん(仮)とてもいい方なんですけど

犬を連れていけないことがとても気掛かりで。。。


なんとか犬連れオッケーの人は居ないかな〜

と、ほぼ婚約が決まってもこうして足掻いているわけです。


そんな経緯で今日は他の旦那さん候補の方と横浜でディナーの約束なんですが。。


いろいろあって到着が20分くらい遅れてしまいそうなんですね(絶賛移動中)


そしたらこんなLINEが、、



はい。私が悪うございます。

でもさ〜、これ、ちょっとめんどくさくない?わざわざ言ってくるあたりが。。。


嫌なんだったら結婚相談所にチクって仮交際切ればいいじゃん。

本人にはっきり言ってくれるのが優しさなのかもしんないけどさ、結婚してもグチグチうるさそう。。。


とか思うのって私だけ?

こんなテンションで食べるご飯、どんな展開になるのでしょうか。


またレポしまーす

12月に結婚する夫は6つ上

年収は1300万

御父様は経営者で近い将来その仕事も継ぐため、収入は倍近くになるでしょう。

 

私のバックボーンや家族関係のこと

全て知って受け入れて結婚すると言ってくれました。

 

私に子どもがいることでご両親は反対をしていたのですが、

泣きながら説得してくれた易しい夫です。

 

私が育った家庭環境は色々と難があり、

今回の結婚の話をした時も「もういい大人なのだから勝手に結婚すればいい」というようなかんじで

父は、夫があいさつしたいと言ってくれたのに挨拶に応じてくれませんでした。

 

一方夫のご家庭はかなりしっかりしていて、

せっかくの祝い事なのだから結婚式もしてほしい。

住む場所も近くに住んで家族になっていきたい、と申し出てくれて。

心の温かさを感じました。

 

夫とは結婚相談所でであったのですが、夫と初めてお見合いをして夫が一言目を発したとき

「話し方が好き」と思ったんですね。

 

後にも先にもそんな風に思う人はいなくて、いまでも喧嘩というか意見が合わないことはしょっちゅうありますが

過去の結婚の反省と夫の物言いの優しさに助けられてなんとかご両親のご挨拶までこぎつけました。

 

結婚するならすべてを受け入れてくれる人と結婚したいですよね。

取り繕った関係はいづれ破綻してしまうと思うのです。

 

何事も本音で話す。

穏やかに話す。

これは私が前の結婚で肝に銘じた反省。

 

その他にも半年で結婚に持っていくまでに頑張ったことはたくさんあります。

今人生に悩んでいる方、結婚に悩んでいる方、些細なことでもなにか突破口を見つけたい方

是非メッセージをください。

 

期間限定で無料でご相談に乗りますよ。

31歳で結婚したとき、

戸建ても買ってもらい

車も買ってもらい

愛する子ども2人に恵まれ

愛犬もいて

 

「全部持ってるね」と友達に言われたことがあります。

 

優しくて理解ある夫と

喧嘩しながらもなんとか夫婦関係を継続できてる・・・

と思っていたのは私だけで、

夫はそうは思っていなかった。

 

散々審判で争ったあと、子ども達の親権は夫になり、

私の手元に残ったのはトイプーのウィルだけでした。

 

あまりの辛さに何度も命を立とうと思ったけれど

怖くてできなかった。

子ども達を思うとできなかったし、愛犬を残していくことを思うとできなかった。

私は一人ぼっちが悲しくて、辛くて。一日中布団から出られないくらいに鬱状態になっていました。

 

そのとき心の底から「私は一人では生きていけない」と気づいたんですね。

私にはともに人生を歩むパートナーが必要だと。

パートナーがいなければ、いつか無理やりにでも命を絶ってしまうと思いました。

 

子ども達のために、愛犬のために、生き続けなくてはいけない。

そのためには婚活しよう。と決めました。

 

子ども達の親権を争う審判の中で、夫から私への気持ちはもうないと気づいたとき

すぐ結婚相談所への登録を考えました。

 

 

2023年10月19日、子ども達と別居した日。

あの日のことは今でも鮮明に覚えています。

ショッキングなできごとでもあるので、ここでは詳しく書かないですが

生まれたときから一日、一瞬たりとも離れたことのない2人の子ども達を

私が見ていないところで連れ去られてしまいました。

 

このような状況を#子の連れ去り というんだ、というのはのちに弁護士さんのところへ駈け込んで初めて知りました。

 

別居した翌日に元夫は離婚届を持参してきたけれど

私とはもう話したくないという。

代わりに父に間に入って交渉役になってほしいと申し出てきました。

離婚に応じれば子ども達には会わせる。

そう言ってきました。

 

それを聞いた父は「離婚しかない!」と、まだ状況もよく呑み込めていない私に対して、とにかく離婚するしかない、と迫るようになり。

 

目まぐるしく変わる状況に頭がついていかない

落ち着いて自分で考える場所が欲しい

そのころにはもう、産後鬱・適応障害と診断されていました。

通院で治療を受けることもできましたが、自分でしっかり考えるために

私は自分の判断で入院することを選びました。

 

約3週間、精神病棟で入院生活を送りました。

精神病棟は一般社会と隔離されています。

子どものことはなるべく考えないように、離婚問題も、少し時間がたてば落ち着くはず

そう考えて、なるべく体と頭を休めることに集中しました。

はじめまして。michikoです。
38歳、2児の母です。
2023年末〜2024年にかけて
別居、子供との引き離し、離婚、裁判、婚活、再婚、、といろいろあったので。。。

辛すぎて人生もうやめたいと思うこともあったけど、
子ども達とわんこのために生き続けないといけないので、このブログで日々のことを綴っていこうと思います。
すっぴんで申し訳ないです🥺💦

悩んでるとき、人生の落とし穴にハマっちゃったときって、一人で悩んでるとどんどんループにハマっちゃう。

わたしは周りがみんな結婚していたりで、話せる人が限られていたけど、一番つらいとき寄り添って話を聞いてくれる人がいたら、って、何度も思いました。

今、もし人生のつらい時期にいる方がいらっしゃったら、そこから抜け出すお手伝いがしたいです。

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zoomなどオンラインでも、対面でもok
ぜひメッセージくださいね🥰

離婚から半年で再婚・・・と聞くと、薄情!と思われる方も多いと思いますが

 

私は一人で生きてはいけないタイプです。

 

自分で自分を支えて一人で生きていくことができるタイプの方もいると思いますし、

それはそれで素晴らしいなと思うのですが

私は人生のパートナーが欲しいタイプ。

 

楽しいとき、嬉しいとき、悲しいとき、辛いとき。

横で話を聞いてくれるパートナーの存在が必要なのです。

 

もし裁判で親権が取れ、子ども達を育てることができたら

再婚の道は選ばなかったでしょう。

でも、親権が取れないとわかったとき、かつ、元夫の気持ちがもう自分に向かっていないと分かった時

すぐに「再婚しよう」と思いました。

 

離婚が成立したのが2024年6月3日

結婚相談所に登録したのが6月21日頃だったかな。

 

私の誕生日は9月。当時37歳だった私は自分の婚活市場価値をわかっていたので

すぐに行動を開始したのです。

 

そして婚活を開始して1か月目に出会ったのが、今婚約中の旦那様です。

 

離婚して間もないのに、周りにはなんて説明するんだ、心から結婚を応援できない、また離婚するんじゃないか

などなど

親にはさんざん反対されました。そもそも結婚相談所に入ることすら親に相談せずに入ったので。

 

散々反対されても私は譲りませんでした。

一人で生きていくことのできない私は、このまま一人で居たら自ら命を絶ってしまうと思ったからです。

 

子ども達のため、愛犬のためにも生きなければ。と思いました。

そのために「再婚」という道を選んだのです。

 

離婚して子どもを手放す苦しみに比べたら、再婚相手を見つけることはとても楽な作業でした。

この辺はまたご要望があれば書こうと思います。

2019年12月

2022年3月

有難いことに、一男一女を授かりまして当時は育休中でもあり、専業主婦でした。

 

朝6時に子ども達に起こされ、朝ごはんを食べさせ、着替えさせ、まず午前中の公園。

その後帰ってきて昼ごはん、その後公園第2弾。

わんこを飼っていたので、公園から帰ってきたら子ども二人を連れて犬の散歩へ向かい、

帰ってきたら夕飯、お風呂、歯磨き、寝かしつけ、、、と一日が飛ぶように過ぎていったのが懐かしいです。

 

初めての育児に戸惑い、産後鬱ぎみだったこともあり

夫とは本当によくケンカしました。

子どもの前で言ってはいけないこと、してはいけないこともたくさんしてしまい

夫のことをとても傷つけてしまったと思います。

 

その結果、別居になりました。

 

子どものことが大好きだった夫は、別居の時

私が見ていないところで子どもを連れて行ってしまいました。

当時はお互い冷静に話し合うための一時的な別居、そう思っていましたが

結果的にそれが子どもと一緒に暮らした最後の日になってしまいました。

2023年10月19日のことです。

 

その後は、子どもを取り返すために子の引き渡し請求という審判をやったり

現実を受け入れられなくて適応障害になったり

精神病院に3週間入院したり、、まあー、、、色々ありました。

 

いつかまた子供と一緒に暮らす、そう目標を掲げて

なんとか気丈に審判に向き合っていましたが、その目標が叶わなくなってしまった時に、

これからの人生、どう生きていこうと考えて。

 

「子どもを育てる」それ以上にやりたいことが見つからなかったんです。

親権を失っても、我が子は我が子、親であることは一生変わらない。

だけど、手元で成長を見続けられる子どもが欲しい。

その気持ちだけを抱え、婚活し、運よくその気持ちを同じように分かってくれる旦那さんと出会い

12月末に結婚する運びになりそうです。

2015年に婚約破棄をしてから

2024年現在まで、約10年経過しているので、世の中の様子もそりゃあ変わっていきます。

 

ここで私のプロフィールを少しだけ。

昭和61年生まれ、38歳。独身、4歳の男の子(もうすぐ5歳)、2歳の女の子、5歳のトイプードルの母です。

2024年6月に離婚し、子ども達とは現在別居して暮らしています。

 

幼少期からなぜか家族の中で疎外感を感じる気持ちが強く

「私は一人で生きていけるようにならなくてはいけない!」と何でも一人で頑張る子どもでした。

成績もよかったかな。

 

「一人で生きていけるようにならねば!」と思う一方でパートナーへの憧れも強く

小学校高学年には「彼氏が欲しい」と思っていました。

でも根本で一人で生きていかなくてはならない!と思っているから、恋愛はまあーうまく行かず・・

結構迷走しがちな女子でした。

 

結婚適齢期の27歳くらいである2015年あたりは、婚約していた彼氏と別れたこともあり

引き寄せ・ご自愛・Happyちゃん・子宮委員長はるちゃん・心屋仁之助さんなどなど

スピ系に片っ端から足を突っ込み、インナーチャイルドを癒したり、母親との関係を見直したり

まぁ~散々試しました。

 

散々試した結果、以前の夫と結婚し、子どもにも恵まれ、愛犬もうちに来てくれて

かなり幸せな結婚生活だったと思います。

子どもが生まれるまでは・・・(子どもが悪いわけではないんですよ、産後鬱になりました。)

 

だれも見ていやしないかもしれないのですが、2015年ぶりのアメブロです。タダイマー

 

2015年は婚約していた彼氏に振られ、

潜在意識や自愛やいろんなスピリチュアル系を一通り経験し、

何とか生き永らえ

2018年に念願の結婚をしました。ヤター

 

が、それもつかの間、2024年には離婚。しかも愛する子ども2人の親権は元夫。

私の手元に残ったのはトイプーのウィルのみです。

 

2023年10月に突如別居して(子ども達を連れ去られる形でした)

それまではフル育休だったので、毎日毎瞬子ども達とべったりな生活。

 

それが一変して、精神を病みました。

適応障害と診断され、ガチ目の精神病院にも入院しました。

夫から子どもを取り返すべく、子の引き渡し請求もしました。

子どもを強く望んだのは夫だったけど、育てていくうちにいつしか自分のすべてになっていて

審判で子どもの監護権が夫で確定した際には、もう、生きていく気力がありませんでした。

 

でもこどもは今まだ4歳と2歳、下の子は女の子で、絶対に私の存在が必要になるときがくる。

愛犬もいる。

まだ、死ねない。

 

「もう一度子どもを産もう」

ということで、婚活を始めました。

 

38歳アラフォー、しかもフルリモート、普通にしていたら出会いもないので

偏見しかなかったですが2024年6月、離婚が成立した月に結婚相談所に入ることにしました。

 

一生懸命活動し、12月に入籍する運びになりそうです。

2015年の私は、「自愛」にハマっていまして、自分の心の辛さは自分で埋めてこそその先が広がっていく

という信念のもと日々を生きていましたが

今回、離婚と子どもの親権を奪われるという経験をして、正直婚約破棄どころの辛さではなく。

 

辛いとき頼れる人がいないことがどれだけ辛いことか

そしてそんなとき、どんな心持で居ればいいのか指南してくれる場所がないことがどれだけつらいことか

身を以て分かりました。

 

今離婚する人は4人に1人の割合。シングルマザーも、親権を持たないママも含まれると思います。

そんな人たちと会って話して力になれたら。そんな思いでブログを始めました。

 

今辛い方、近い経験をした人と話がしたい方、私でよければ力になります。
メッセージください。お待ちしています。

#離婚#離婚調停#カウンセリング#子ども#面会交流#夫婦問題#夫婦喧嘩#親子交流#別居親#片親疎外

物心ついてはじめて抱いた夢は「アイドル」だった。
でも、不思議と歌もダンスも演技にも興味が持てなかった。
今思えば
「アイドルになれば、みんなに好かれる。ちやほやされる。注目される。」
そんな気持ちだけだった。

アイドルになる夢は叶わず、わたしは高校生になった。
希望の高校には入れたけど、成績がわるかったわたしは進路に悩んでいた。

憧れていた大学には受からず、滑り止めの大学に入学。
就活に響くゼミを選択するとき。
何となく、メディア系。
何となく、出版系。
メディアにも出版にもまったく興味はないくせに、入ったらなんかすごい気がする、将来が保証されそうな気がする、「ぽい」気がする、全部なんかかっこいい感じがする、というだけできめた。
そして、全部落ちた。

滑り止めで引っ掛かった経済系のゼミにはいり「就活に有利ときいたから」ゼミ長を勤めた。
そもそも向いてないのに肩書きが欲しかっただけなので、ゼミは崩壊した。
「苦手なこともやりとげる忍耐力があります」と履歴書に書きたくて名前も思い出せない研究対象を卒論に選んだ。
中途半端なやけくその仕上がりで「苦手なものは苦手でどうしょうもない」と分かった。

ファッションセンスに自信が持てなかったくせに、何となく、会社の雰囲気にひかれてアパレル企業に入社。
センスもないのになぜか企画を目指す。
そして教育指導にことごとく嫌われるが、配属先の上司には好かれ、まぁまぁそこそこたのしくやっていたが、好きな先輩に振られもっとかわいくてみんなに憧れるような人にならなきゃ!と、分かりやすく転職した。

プレスアシスタントにまでこぎ着けたが、ヘドが出るほどつまらず、結局肩書きが欲しかっただけだった。

ボロボロになり退職し、とにかくとにかく彼氏が欲しかった。
誰かに好きになってもらいたくて、愛されたかった。
それは「わたし」が「わたし」に望んでいたことだったが、全く発想にすらなかった。

当時「千葉で家族のように働き暮らす」を提案していたZOZOに、「イケメンがいそう」という理由だけで面接を受ける。
仕事内容には微塵も興味がわかなかったが雰囲気にひかれた、てゆうかなんかキラキラしてた、ただそれだけで無理くりやりたい企画をでっちあげ、最終までこぎ着けるも落ちた。

月に二回は土曜出勤があるためためらっていたアパレル企業に入社。

上司がとんでもない無責任野郎な上に女社会でいじわるもされ、いつも「自分がわるい」と思って悩んで努力し続けた。
自分がわるいと思うその自己否定こそが原質を悪化させるのだがそんな発想全くなくてただただいいことをイメージすれば手にはいるとひたすら信じたが事態は悪化。
給料は上がるが、ボロボロになり何度もやめたいと訴えるが、何故か社をかけたイベントの担当になる。

これが更に大変で毎日怒られたが守ってくれる先輩に初めて出会えて「たのしい」と思える。
先輩と仕事がしたくて、そのあともイベントに携わり続ける。

彼氏ができる。
しかし仕事が辛すぎて遂に入院。
退職。 
送別会に嫌われていると思っていた上司がきてくれて、初めて嫌われていなかった、むしろすかれていたと気付く。

彼と結婚するため、事務の仕事につくか、たのしいと思えたイベントの仕事につくか悩み両方受けるが、事務の仕事に先に内定したため入社。

雰囲気、人間、仕事すべてがあわず、しかし給料もそこそこ、仕事も軽めで何がいやなのかわからなかったが「とにかくいや」で耐えきれなかった。

結婚するまでにあと2年、好きなことやりつくしたい。
と、引き留める彼を遮って現会社に契約社員で入社。 
イベントの仕事に携われる嬉しさもあるが、社員でない引け目、とくになにかができるわけではないことの負い目から自己否定が癖になる。
「わたしはここにいていいのかな」
「一番使えないのでは」
そんな気持ちから自己否定はとまらず、裏腹に愛想を振り撒きまくり「わたし」と「わたし」の解離は悪化。
上司との関係も彼氏との関係も悪化。
ストレスを彼に癒してもらいたくて、でもいやなかおをされるのが怖くて本音を言えず。
浮気がきっかけで気持ちがわからなくなり、別れる。

彼氏と別れた二ヶ月後、一番いきたくなかった部署へ異動。

イベントをやりたくて転職したのにイベント期間中ずっと部屋に籠りPC作業をする現実に限界を感じイベント終了と共に退職を伝えるが同タイミングでインフルが発覚。
うやむやに。

どうにでもなれ。
とやけくそになったのと、やめるならやめるで結構、と腹をくくったため上司に自分の意見を伝えるようになる。

来年は絶対会場で企画するときめ、企画を出す。
闘会議で企画がもちあがるもNG
諦めかけたが何故か妙な形で復活し、正式に実施が決定。

思えば第三者からの目線で進路を決めたり、注目されたい愛されたいというのを他社に求めたり、生まれてソッコーしくじった。

わたしはわたしであればよかっただけ。
わたしはわたしに認められたかっただけ。
わたしはわたしに愛されたかっただけ。
世界は「わたし」の不満や抑圧を忠実に反映し、「わたし」が味わう気持ちを『わたし』に体験させてきた。

全て諦め、なげやりになったときから。
「わたし」の思うままに振る舞うようになったときから世界が変わりはじめた。

やりたくない仕事はやらなくてよくなり、
給料は上がった。
上司にたてつき、暴言を撒き散らすくせに守られる。
わたしの気持ちを大切にしたら、媚びなくなった。
でも回りからはアイドルと呼ばれるようになった。


わたしはわたしであればよかっただけ。
わたしはわたしに認められたかっただけ。
わたしはわたしに愛されたかっただけ。

「わたし」を『わたし』が愛したとき。向き合ったとき。存在に気づいたとき。認めたとき。
「わたし」の本当の望みだけが叶う。
そうなっているのだ。