2015年10月15日に私の母は亡くなりました。

当時私は14歳、妹は12歳でした。


母は39歳の時リウマチの病気にかかりました。一生治らないとは聞いていましたが、決してリウマチは死ぬ病気じゃないと。お医者さんから聞いていました。


そして6年後母は乳がんになりました。でもお医者さんはがんが小さいから薬でもう少し小さくしてから完璧に取り除こうと、99.9%助かりますと言っていました。


第1クール第2クールと順調に過ぎていき、第3クールもその調子で頑張ろうとしていましたが、急に副作用で髪が抜け落ち、嘔吐も止まりませんでした。

味覚もわからなくなって母は炭酸水しか飲まなくなりました。


亡くなる2日前

私は文化祭の有志発表に出場するため放課後居残りをしてダンスの練習をしていたのですが、母のことが心配になり5時に帰宅しました。


家に帰るとゲラゲラ笑う母の声が。


あ、これよくなってきてるのかな?大丈夫なのかな?

そう思ったのはほんの一瞬


電話を切った瞬間母は全く話さなくなりました。

私は体調悪いのに無理してたんだろうなと思って、私に出来ることは無いのか、色々考えた結果自分が持ってるお小遣い全部握りしめて近くのコンビニまでダッシュしました。


コンビニに到着して母が元気になりそうなヨーグルトは栄養ドリンク、炭酸水、少しでもご飯を食べて欲しくて食べられそうなご飯を買って帰りました。


家に帰ると母は横になってすごくつらそうな表情で、


おかえり、ありがとうね


と言いました。


私はその言葉ですごく嬉しくなり、ほっこりした気持ちになりました。


次の日も母はぐったりしていて買ってきたもの食べたのかなって思ったら炭酸水しか飲めてませんでした。それでも自分が買ってきたもの少しでも飲んだりしてくれただけで嬉しかったです。


その日の夜、母はずっと吐いていて私がお風呂に入っている間もずっと嘔吐く声が聞こえて聞いてるこっちもとても辛かったです。


父も仕事から帰宅して母に夜間の病院連れていこうか?と言ったのですが、母は


大丈夫だよ


そう答えるだけでした。


母は動けなかったのでリビングで、


妹も


お母さんと一緒に寝る!!


と言って、母と一緒にリビングで就寝し、私は父と一緒に寝室で寝ることにしました。その日の夜私は父にお母さん死なないよね?大丈夫だよね?と聞くと父は絶対助かるから大丈夫。そう答えました。私は安心してその日眠りにつきました。


次の日の朝5時

妹が階段をかけあがってきて、


お母さんが息してない!


そう言いました。


は?え?は?


頭がこんがらがってる私と冷静な父はすぐに下に降りていって母の元に駆けつけました。

母はトイレで息をしていませんでした。


とりあえず母をトイレから出して父が心臓マッサージを始めました。

母は


うっ…うっ…


という苦しそうな声を出していました。

父は私にお母さんの心臓押してて、お父さん救急車に電話するからと言い私が心臓を押し続けました。


10分後救急車が到着し、色々な処置をした後救急隊の人が私たち家族の方に来て言いました。


午前2時には心臓が停止していたのでもう手遅れです。


と。


は?助けてよ。お母さんを助けてよ。

まだ手あったかかったんだよ!!!!!!!


そう言いたかったけどもう涙が止まらなくて何も言えませんでした。


母は色んな人から愛されていました。

辛い時もどんな時でもそばで笑わせてくれるそんな母が大好きでした。


20歳になったら一緒にお酒飲もうねって約束していたけどそれもできなかった。


お母さん、もう20歳になったよ。

あんなにガキだったのにもう大人の仲間入りだよ。

保育士になるって約束したのに果たせなくてごめんね。でも一流のメイクアップアーティストになるから空から見ててね。


あとから聞いた話、母は妹に


こんなお母さんでごめんね


と言ったそうです。


ううん、全然こんなお母さんじゃない。お母さんは私たちにとってたった1人の素敵なお母さんだよ。