Bom dia:)

無事に日本に帰国しました〜!

とりあえず日本寒い🥶笑
つい先日まで暑すぎて寝れないくらいだったのに昨日は毛布×2に掛け布団という超あったかに包まって爆睡しました。

任地を出てまるまる5日と少し。
モザンビークを出て53時間。

ながーいながーい旅が終わりました。

いや〜もう色々ありすぎて、
次々にモザン隊に災難が降りかかりすぎて、

途中ほんと帰ってくるなと日本に言われてんじゃないかって思うくらいで。

お土産話沢山で帰国しました。😂

もともと21日の朝一に飛行機で出て
南ア、ドバイと乗り継いで22日の深夜日本着予定でした。
深夜着予定だったので、ナンプラメンバーで羽田で一泊する予定でコンビニで日本食買い漁って食べよう〜だなんてウキウキワクワクしていたのに。

21日当日朝、南ア航空の運航削減に当たりフライトキャンセル。
マプトにもう一泊することに。

そしてそこからJICAモザンビーク事務所が獅子奮迅してくださり翌日22日の南ア発の便を取り直してくださり、南アまでは陸路で国境越えをすることになりました。(ちなみにモザンビークは翌日23日には全国境封鎖、つまり鎖国状態になることが決まっていたのでほんとギリギリ出国、最終手段として決定しました)

と、ここまでは前回のブログで触れていたのですが、、、

翌日22日、朝4時にホテルを出て5時に隊員ドミトリー出発予定だったはずが、バスが4台中2台が来ない。笑

最後の最後まで theモザンビークタイム。

刻々とすぎる時間。
夕方の便に間に合うか不安が募る私たち。
これ以上変更があると大変なので焦っているJICAのみなさん。


結局待つこと1時間半。
仕方ないから来てる2台にぎゅうぎゅうで乗って行こうかとなった瞬間に来る残り2台真顔

一応予定通り4台のバスに分かれて、南アのヨハネスブルグ空港に向け出発しました。

乗ってからは快適な旅で。

お菓子をみんなで食べながらおしゃべりしつつ。



走ること2時間もかからず、モザンビークと南アフリカの国境へ。

問題もなくまずはモザンビーク側を出国。



そして南アの入国審査へ。
無事スタンプももらい、検温も通過し、
さぁヨハネスへ、いざ!と思っていると

すごい剣幕の警察?っぽいおじさんが
「モザンビークに帰れ!入ってくるな!」と
突然怒鳴りながら近づいてきました。

、、、!滝汗滝汗滝汗

結局今回の出国、南ア入国に関しては
在モザンビーク日本国大使館、
在南アフリカ日本国大使館のご協力もいただいて口上書をもらっていたので同行してくださったJICAのスタッフさんが説明してくださり、そこは通過できました。

にしても凄い剣幕で、突然すぎて、
ほんとコロナを懸念してるんだなぁと驚き。

そして南ア国境からヨハネスブルグへ再出発。

後は空港まで無事つければ〜と思って進んでいるとちょうど道中半分くらいまで来たところで高速道路の出口にさしかかりました。

入り口の時はスムーズで運転手さんがパパッと料金を払ったのですが、

私たちのバスが料金所に入ると、お姉さんが窓を開けてくれない。

なんなんだろう。なんかあったのかな。
前方に警察車両や止まっている車があったから、事故起きたんかな〜なんていいつつ開くのを待っていました。

私はバスのリーダーとして運転手ともやりとりしてたので

なんでなんやろね〜?と運転手と話していると

いっときして集まってきた警察車両数台。

警察が近づいてきて
私たちのバスに戻れ、バックしろと。

この時はまだ、このレーンにシステム問題かなんかあったんだろう〜だなんて思ってたら、まさかのバックさせられ誘導されているのは私たちのバスのみ滝汗

道路脇に連れていかれ、、、

ここで私たちがアジア人グループだからなんだと気付きました。

私たちのせいで?起きていた渋滞の間を抜けUターンしていると並んでいた他の一般の南ア人の車からも

南アに来るな!
帰れ!

と罵倒され。

怖いというよりかはただただ驚きでした。

ただその時はまだ、口上書もあるし、モザンビーク在住(旅行者ではない)ため、また説明すれば通れるだろう〜くらいに思っていました。

私たち周りを警察車両が取り囲み、
そこに説明しに運転手さんたちが降りていってくれましたが、

まさかの警察が降りて来ない。

そして聞く耳も持たず

「来るな!」
「帰れ!」
「モザンビークに戻れ!」

の一点張り。

運転手さんたちが近づこうものなら
凄い剣幕で罵倒。

ドキュメントも見せるも受け取ろうとするどころか見ようともしない。

とにかくバイキン扱い。

ただ事じゃない、そう思えるほど。

で、説明もできない、見てももらえないまま
連行されモザンビークの方角へ移動開始を強いられました。

同行してくださっていたJICA職員の方がJICA南ア事務所に連絡をしてくれましたが、その間もひたすら連れていかれ。(先頭と最後尾を警察車両に挟まれ、バスのスピードを落とそうとしたものならサイレン鳴らして威嚇され怒られ)

結局南ア事務所の方があちこちに連絡して対処してくださっている間にもバスは進まされ。


途中ガソリンを入れに寄ったガソスタではマスコミのような車に動画を撮られ。

途中通過した料金所でも沢山のカメラが向けられ。

結局気づけばモザンビーク国境寸前まで戻って来さされていました。

この時点でもう飛行機に間に合わないことが決定していて、この日の出国は諦めないと行けない時間でした。

あぁ。また出国デキナイ、、、チーン

で。
国境まで後少しのところで別の警察車両が合流し、一旦停止。

それまでの間に南ア事務所の方が現地の警察のトップの方に連絡をしてくださっており、トップダウン式に誤解を解いてもらっていました。やっとこの時その連絡が届いた模様で。

やっと私たちもバスから降りることを許されトイレもさせてもらえました。

ここで誤解が解けたようで。飛行機は間に合わないけれどヨハネスブルグへは向かえることに。

しかし警察の態度は変わらず

「おい!さっさとバスに乗れ!」
「時間は刻々とすぎてんだぞ!」

と、、、

時間って、誰のせいやねん!
あんたらのせいでこっちは大迷惑被ってるのになぜ謝りもせず命令してくんのよムキー

納得いかないままでしたが再出発できることになりよかったと胸をなでおろしたのもつかの間。
再度警察車両による誘導が始まり、なぜか進むのはモザンビーク側。

、、、?!ポーン

まさかのモザンビーク国境まで戻り、健康チェックを受けてやっと解放されるそうで。

でも仕方ないのでとりあえず国境まで戻りました。

国境まで戻ったことでやっとネット環境も戻り(モザンビークsimはみんなあるのでここぞとばかりに電波を拾って、予約していた日本のホテルや公共交通機関を泣く泣くキャンセルしたり、家族に連絡したり。)


そして検疫所のようなところへ連れていかれるも、何をさせられることもなく、なんなら警察は放置して去り始めるし(この時点で夕方なので仕事終了したのか)、検疫所の人たちもどうすればいいかわからない模様。

この国境のヘルスセンターには何も健康チェックできる設備や問診票すらなく、 なぜ私たちをここに連れてきたのかわからないと。

、、、真顔

警察〜〜〜〜!!ムキー

で、またトップダウン方式で解放を依頼してもらい、1時間ほどしてやっと解放されました。

ここでJICA南ア事務所の方とも合流でき。

幸運なことに?ヨハネスブルグの空港で暴動が起こったらしく飛行機の遅延が起き、私たちの乗る予定だった便が深夜発になっていたので飛ばせば間に合うということもわかり。

とりあえず近くの町ネルスプリットへ。

ここまでの長時間運転(12時間ほど)で運転手さんたちの疲労が心身ともに見えていたのでネルスプリットでバスをチェンジ。

(この短時間で問題解決に奮闘してくださり、バスや運転手まで手配してくださったJICA南ア事務所の方々には頭が上がりません)

やっとヨハネスブルグの空港に向かいました。

ただこの1日で私たちのことが南アのニュースやSNSで広まったらしく(あとあと見てみると、モザンビークから来た不法入国のアジア人の全員マスクを着用している旅行者、バス4台の集団が南ア警察とによって捕らえられたという内容滝汗)

身の危険もあるかもとのことで。
警察の警備付きで空港まで。(あとただ単にヨハネスブルグは治安が最悪で夜間移動は危険があるということもあり)

なんとか無事にピリピリしつつもチェックインでき、空港に入ってしまえば怖い思いをすることもなくなり、無事にドバイに向けて飛び立つことができました。

いや〜こんな映画のような出来事を自分が体験するとは!!(今となってはもうお土産話のトップネタ😂)

本当にJICAのモザンビーク事務所、南ア事務所、両国大使館、と沢山の方のお陰で無事出国でき、本当に頭が上がりません🙇‍♀️感謝の気持ちでいっぱいです。

そしてウイルスよりも怖いのは人間なんだなぁとつくづく実感。

世界で沢山の死者を出している訳の分からないウイルスを持っているかも、と彼らが不安になる気持ちも理解できます。
でもあまりにも耳を傾けてくれないことや理不尽な対応にすごく傷つけられたのも事実。

複雑な気持ちでの出国でした。チーン



そして無事ドバイにつき、13時間のトランジット。ブラブラしたりお茶したり、免税店見たり、ひたすらUNOしたり(笑)

そしてなんと日本行きの便はほとんどが協力隊員なんじゃないかというレベルで複数カ国の隊員で占めていました😂モザンビーク以外にブラジルやマラウイなど。(殆どの航空会社が運航停止しており、翌日25日にはエミレーツ航空も全便運行停止が決まっていたので本当にどこの国も急遽ギリギリ帰国できた模様)

南アでのヨハネスまでのバスが18時間弱。
南アドバイ間のフライトが7時間ほど。
ドバイでのトランジットが13時間、
そしてドバイ成田間が約9時間。

途中の数時間のトランジット等も含めると計53時間。

やっとやっと日本の地を踏めました。
一時避難帰国が決まった時は寂しさでいっぱいでしたが、トラブルに見舞われすぎて、途中から逆にもう帰りたくて仕方なかった笑い泣き

無事に帰ってこれて良かったです。

心身ともに疲労していたせいか?
最後の福岡へのJAL便、シートは快適だし、
CAさんたちのサービスや気遣いがが天国かってレベルにすごいしでやっと気持ちが落ち着けたのか眼下に広がる夜景見ながら泣けてきたほど。笑



福岡へ無事帰宅できました。


とりあえず
日本最初のご飯は福岡県民飯の資さんうどん。
ゴボ天とかしわ。私の黄金コンビ。
(これ出国前最後も同じだった😂)


帰ったら焼肉で塩タン食べたいとか
焼き鳥で白軟骨食べたいとか思ってたけど
あまりにも疲れすぎてうどんを欲した😂

でも正解。美味しすぎ。

帰宅してしっかりお風呂で長風呂して、
あったかいお湯に疲れることに溶けそうになり。

日本が寒すぎて驚いたけど
毛布や掛け布団にくるまり、ぬっくぬくで久方ぶりに熟睡したり。(熟睡できたせいか全く時差ボケもない)

朝起きると納豆、味噌汁、白ごはん、漬物にブロッコリー&パリパリウィンナー(どっちもすっごい食べたかったやつで、まさかこんな帰国後すぐに食べれるなんて驚いたポーン)という、輝くご飯を食べ、

全力で幸せを感じています。笑

2週間自宅待機ですが、それがあけたら行きたいところも沢山(笑)

ただいつかモザンビークに帰れることも期待してポル語の勉強やこっちでできる活動準備などは継続していきたいと思います。
Boa noite :)

一昨日後ろ髪を引かれながら任地の
モザンビーク 島を出て州都ナンプラへ行き
昨日ナンプラから首都マプトへ。
そして今日日本へ発つ予定でした。

そう予定だったんです😂
(つまりまだ今夜もモザンビークにいます)

ナンプラ空港では、大量の荷物を持つアジア人のグループはやっぱり(汚職の得意な?)モザン空港職員達に捕まり笑い泣き

あれはなんだ、これはなんだとどうでもいいものにケチをつけられ、「ジュース買ってくれたらいいよ」というわけのわからない賄賂要求と戦い、

チェックインするとまさかの出発時間も便名も違う。

恐らく、国内線の飛行機も減便しており、一本後の飛行機に知らないうちに勝手に変えられ、乗ることになった模様で(今考えればこの時から運が怪しかった?)

そんな風に出鼻をくじかれはしましたが
一応無事にマプトには到着。

そしてマプトにつき隊員ドミトリーへ。

JICAのスタッフさん達から
帰国手続きやオリエンテーションを受け。

みんなモザンビーク最後の夜を過ごして
翌日の飛行機に備えていました。

翌日、つまり今日。
朝5時すぎに一本の連絡が。
「南ア航空がコロナ拡大防止のために
フライトキャンセルを始めました」と。

😳😳😳😳

なんてこった!!

もちろん。
私たちの乗る予定だった便もキャンセル。

もはや出国できないのでは...
いつになるんだろう...

そんな不安いっぱいの朝。

しかもモザンビークから飛んでいる
航空会社は全会社フライト停止、

さらには月曜23日はモザンビークは
完全に全ての国境を閉鎖し鎖国状態に
なるということに。

そんな厳しい状況の中、
JICAのスタッフさん達が
再度奔走してくださりぐすん
(ものすっごい大変だったと思う。
本当に感謝感謝です😭)

明日なんとか!

南ア、ヨハネスブルグの空港まで
陸路による国境越えをし、
ヨハネスブルグからフライト✈️になりました。

ギリギリ完全国境閉鎖の前に出れる模様。
(というか絶対出たい笑い泣き)


どうかどうか明日は
無事に事が進みますように。
ただそれだけを願います笑い泣き

おまけ。

よくよく考えると
私2020年、ケニアでのフライト遅延からのステイオーバー、そしてそれのさらなる9時間越えの遅延から始まったなぁ。つくづく飛行機運に見放されている気がします。ショック
Bom dia :)
今日アメブロを開くと1年前に
書いた記事だと出てきたこのブログ。

一年経った今、違う意味で出国に
迫られています。滝汗

とりあえず今日州都ナンプラへ移動、明日首都マプトへ移動、そして土曜以降に帰国の予定となりました。

首都組は先発隊としてバタバタ今日帰国だそうで大変そうですアセアセ

地方組も昨日の夕方「明日移動してください」と連絡が入り、そこから家をひっくり返したかのごとく荷造り開始。
シャワー浴びたあとにまた汗かきながら😂

コロナウイルスが落ち着けばモザンビークに戻ってこれる予定ではありますが万が一戻ってこれなかった時のためのパッキングをしなさいとお達しがあり。

大量の断捨離をしつつ、取捨選択に疲れつつ、やっとパッキングを終えました。(戻ってくることを望んで置いていくものもありますが。)

そしてJICAからの指示でリスト作成し、
明日の移動の交通手段やホテルも手配し、
気づけばもう21:30。

お土産なんて全然買えなかったし
なんなら会えてない人もいるし
あっという間にイーリャを離れることになりますが、

とりあえず明日は洗濯して、お手伝いさんに説明して、冷蔵庫の整理して、、、とまだまだやることはいっぱいです。

昨日は朝から学校に行きました。
この時点では具体的な任地を出る日が決まっておらず、でもそう遠くはないと知っていたのでとりあえず一時避難帰国になって明日か明後日に出るんだと報告してまわり。

成績処理や最期のテストなどここを去るまでにやらなきゃいけないことを(久しぶりに)分刻みのスケジュールかよってくらいで片付け笑い泣き

昨日職場のグループトークでも報告してたのでそれで知っている同僚たちからは会った瞬間に抱きつかれ、知らなかった同僚たちにも説明して。

「寂しい」
「必ず戻ってきなさい」
「モザンビークで待ってるよ」
「みのりの笑顔が恋しくなるわ」
「日本からメッセージ送って」
「いつ帰ってくるの」
「帰国中元気でね」

ととりあえず泣かされる。笑(1回目)

沢山の愛をもらいました。

職員会議の後には一人一人が頬キスとハグでお別れ。また泣かされる。(2回目)

できなかった仕事も同僚たちが快く引き継いでくれました。

そして、最後の授業があったのですが、(というか無理やり時間割変えてらってねじ込んだ笑い泣き)
どうしても私がこの教科をやり遂げたくて、予定より2日早く最後のテスト。

採点後にいつも「この結果に異議はありません」というのを生徒が書かないといけないのですが、その時にとても嬉しいサプライズをしてくれました。

というのも





余白に

「先生大好き」
「先生の授業が好きだからこのまま続けて欲しい」
「先生の授業ではいろんなことを学べる」
などなど書いてくれていました。


英語で書いてくれた子も。
「あなたが先生で良かった」と。えーんえーんえーん

この学年は最上級学年。おそらく11月の彼らの卒業までには帰ってこれると思うけれど、彼らが一番私がいつ戻ってくるのか心配してくれて。

この時は気づかず、回収しただけだったけど、職員室に戻って整理してて気づいて泣きました。(3回目)
(そのあと書いてくれた子たちに会えたのでお礼も言えました)

次のターム教えることができなくて同僚にも生徒にも迷惑をかけてしまうけど

生徒も同僚も
「モザンビークで待ってるよ。必ず戻ってきて」と言ってくれるのでとても私は良い人たちに巡り会えたなぁとつくづく思います。

同僚や、今日私の授業がなかった学年ですら、それを聞きつけて、次から次に(テスト中だったけど😂)教室にやってきて悲しんでくれしばしのお別れもできました。また泣かされる(4回目)

そして極め付けは夕方家に帰ると去年教えていた生徒で今年は進級しなかった生徒が家に来ていて。

「一時帰国するって聞きました。寂しいよ〜
電話番号教えるから、戻ってきたら絶対連絡してね!」

と言ってくれました。

夕方には今教えてる子も家に来て
明日発つんでしょう?どうか気をつけて。と。

最後の最後まで泣かされる(5回目)

そして完全任期満了の帰国隊員みたいなお別れしててそれがまた笑えて。笑


本当大好きよー😭❤️!

同僚や生徒たち、そして教え子にも、いっぱいいっぱい日本のお土産を買って必ず帰って来ようと思います。