いつも物事を考えたり理解する時に
いろんな方向から見るようにしている。
例えば人間関係。
産まれてからは家族や同級生、
成長してからは
配偶者やパートナー。
ふたつの違いは、
昔から自分を知っている存在と
目的を同じくした同士、
ある特定の感情を抱く存在。
家族というのは産まれてから
価値観や意識が違っても否応無く
生活を共にする。
そこには諍や意見の相違も生じる。
が、血縁関係である以上、扶養義務や
倫理観も含み、離別することは通常は困難。
後者は、合わなければ離れる、別れることが出来る。
前者は故に離別の危機が少ないことから
依存的になりがちであり、それが
衝突になる場合もある。
時間軸で考えると長く付き合いが
あるからと言って自分を理解している、
もしくは相手を理解しているという奢りこそが
トラブルになりうるし、
空間軸で考えると濃度の濃い体験や時間を
共有した関係だから、お互いを分かり合えている、と考えることがトラブルになる。
しかし、自分の知らない自分もいるし、
相手が自分をどう捉えているかにもよる。
自分にとって理解し難いことを
相手は常識と捉えている場合もあると思う。
理想はそれすらも擦り合わせて
共有、理解し合い、受け入れていくことで
相手も自分も無理のない関係を築くことだけど
根本が違う相手もいる。
相手をどれだけ思いやれるか、尊重できるかにも
よる。
どうしても自分にとって譲れない価値観を
相手に理解してもらえない場合は
無理に追うことは自分も相手も傷つける結果になる。
長く付き合いをしているから、
古くからの付き合いだから、で
自分を理解して又自分も相手を理解しているとは言い難い。
今日昨日知り合い、意気投合した
相手でも昔から知っているような錯覚に陥ることもある。
毎日を一緒に過ごす家族ですら、
お互いを完全に理解しているとも言い難い。
2割は理想や想像、妄想であると思う。
もちろん変わらない部分もあるが。
あと何年生きるか生きられるかはわからないけど
空間軸で、短くても濃い時間を共に過ごし
素晴らしい体験を共有し、
理解し合える関係性の人間関係を
時間軸で長く付き合っていけるのが理想。
本来の目的はそういう人間が増えているから
SNSが拡散しているのだろうな。