今日はハロウィーンの日ですね。町を歩いていても、ハロウィーンの恰好、というよりもコスプレでしょうか、をした若者や子供たちの姿を見ます。ご承知のように、ハロウィーンは、古代ケルト人の祭りに起源があるようです。アメリカでは、子供たちが、様々な服装に身を包み、近所の家々をまわり「トリック オア トリート」といって、お菓子をもらうという風習に変容していったようです。ただし、日本人の高校生だったでしょうか、アメリカ留学中に、この行事に参加していて、物取りと誤認され、拳銃で殺害されるという事件が、⒑数年前に起きています。そうした悲劇もありましたが、この数年はすっかり、この時期のお楽しみとして定着したようです。もちろん、商業主義うんぬんを言う方もいるようですが、まあ野暮なことは言わずに、また、ハロウィーンでお金が動くことが、経済の活性化につながるのですから、せいぜい、楽しんだほうがいいと思います。
私は、なんでも取り入れて自分たちのものとしてしまう日本人の逞しさを痛感します。四季のある日本では、それぞれの季節ごとに、様々な祭りや行事を行うことで、リセットし、新たな一歩を踏み出すという知恵をもっています。それは別の文化や文明に属する人からみれば節操がない、あるいは気味が悪い連中だともみられるかもしれません。かつて、しばしばいわれたのは、日本人に外国の方が「あなたの宗教は?」と尋ねると、日本人が「無宗教です」と答えると、変な顔をされたといいます。しかし、今や脱宗教=世俗化は世界的な傾向のようです。もちろん、その一方でISのような問題もありますが。
やや話が大袈裟になりました。つまりは、日本人は中国起源の行事を取り入れたり、欧米起源の行事を取り入れることで、人生を楽しんだりしてきた。そうした貪欲さは日本人の長所かどうかは別に逞しさかなと思います。
さて、昨日のブログでは、豆猪口のことを書きましたが、盃と表現したほうが適切だったかとも思います。骨董の世界では、専門用語が多く、そのモノを表現することが、骨董に関心のない人には、チンプンカンプンかもしれません。業者の間での昔からの業界用語、骨董=モノは無限にありますから、たとえば陶磁器でいえば焼物をつくる人たちの業界用語もあるでしょうし、茶道具でしたら、お茶の世界の言葉から来ていることもあるでしょう。さらには美術史から来ている用語もあるかと思います。そうした具合ですし、私の不勉強もあり、どう文字で表現したらいいのかわからず、つい生かじりの表現を使ってしまいます。だったら、画像で示すのが一番かとも思いますし、映像の時代ですから、画像でご覧いただくのが一番いいのかもしれません。しかし、私は画像に頼らずに、つまり、ある制限の中で、骨董の面白さや奥深さ、その反面の怖さ、きりのなさ、あり地獄の有様をかき連らねていきたいと思います。
どうも、今回は理屈が多くなっていますね。そうです、私自身、なぜこんなにも骨董にはまるのか、訳がわからなくなっています。そこで、骨董の先達たちが書いた本を読みます。大型書店にいけば、骨董や陶磁器・美術関係のコーナーは必ずあります。また、ネットで検索すれば、本当か嘘かは別に様々な骨董関係のお話しが載っています。私の「ブログ」もそのひとつです。ほとんど情報性はゼロですが(苦笑)。
骨董関係の本を書いている人は、骨董屋さん・古美術商さんなどが多いようですが、趣味で骨董をコレクションしている方たちの本もあります。そんな中で再起、読んだ本で面白いと思ったのは、「哲学主クロサキの哲学する骨董」です。哲学者の黒崎政雄さんが、趣味の骨董について書いていますが、哲学者ですので、なぜ骨董に魅かれるのかということを、論理的に”腑分け”しています。骨董にはまる人間の心理は同じです。共感できます。また、本物・贋物のお話しも面白いです。さらにはデジタル・ネット時代の21世紀の今の時代の骨董の意味もよくわかります。たまたま黒崎先生と私が同じ世代、1954年生まれということもあるのかもしれません。ただし、骨董歴では、黒崎先生のほうが大先輩ですが。
青山二郎さん、小林秀雄さん、白洲正子さんの骨董に関する本もあります。白洲正子さんのお孫さんお白洲信哉さんの本も読んでいて楽しいですが、理解できないところもあります。一方で、小林正衛さんや奈良本辰也さんの骨董の本も楽しく読ませていただいています。尾久彰三さん、同じく”貧好き”派ですから、共感できます。末續堯さんの本も読みました。中島誠之助さんの数多い著作も読ませていただいています。広田不孤斎さんや青柳瑞穂さんの本も実に味わい深いですが、古き良き時代と感じてしまいます。以上の皆さんは骨董に人生をかけている同志、大袈裟ですね、しかもまだ私などはヒヨッ子ですので、彼らから一緒にしてくれるなと言われそうです。
たかが趣味なんだから、そこまで突き詰めなくてもとも思いますが、趣味だからこそ、いい加減にはしないのが、私なりの哲学です。仕事はいい加減ですが(再苦笑)。
ともかく、平成も27年、今後も”平成の骨董とは”を考えていきたいと思います。その意味では、大江戸骨董市で知り合ったTさんの、高さ5センチもない、布袋さまか大黒さまで、虫喰いだらけの木の塊をどう考えるかは大事かと思います。偶然が織りなした人と虫のコラボレーション、オブジェとしての面白さ、しかし、骨董かどうか、そうした問題を投げかけています。
まあ、そんなことを考える土曜日の夕方です。明日は靖国神社の骨董市へ行く予定です。どんな出会いが待っているでしょうか。ワクワクします。
如庵