今日は快晴の1日でした。代々木公園のケヤキ並木の骨董市に出かけました。自宅からは自転車で30分ほど、10時半すぎに到着しました。隣の公開スペースではスペインフェスタをやっています。
この前のときよりも、業者さんもお客さんも多いようです。会主さんのブースには、この代々木公園の骨董市のマスコットとでもいうべき柴犬がのんびりした顔で座っています。
笑顔のいいTさんがいました。Tさん相手に、私が与太話をしていると、アジア系らしき男性がブリキ製の車のおもちゃはいくらですかと聞いてきました。台湾の方のようです。Tさんによれば、こういう玩具が今、台湾ではブームだそうです。こういうのというのは、中野ブロードウェイ系のレトロな玩具です。Tさんの商売の邪魔をしていはいけないので、台湾の方がお金を払っているのをきっかけに、別の業者さんのところを見て歩きます。
古本を買ったりしたことのあるIさんがいました。古本がずらりと並べてあります。1冊1冊見ていく中に、キラリと光るものがありました。⒑センチ足らずの仏様です。Iさんに聞くと、鎌倉あたりの胎内仏ではないかとのこと。私は内心、小金銅仏ではないかなと思いました。
京都時代に中国や朝鮮半島の小金銅仏に凝ったことがありました。本物・贋物にこだわらない私です。多いときには⒑をこえる小金銅仏を手元に置いていました。そんなときに本屋で見つけたのが、村田靖子さんの「小金銅仏の魅力」~中国・韓半島・日本~でした。たぶん、日本で唯一の小金銅仏の本かと思います。小金銅仏は、ある時期に飽きがきて、すべて処分してしまいましたが、村田さんの本は手元において楽しんでいました。
村田さんの本によれば、日本の小金銅仏は、日本に仏教が伝来した飛鳥時代、さらに奈良時代には盛んに作られたそうです。その中での大傑作が奈良・東大寺の毘盧遮那仏です。平安・鎌倉時代あたりには貴族が手もとにおくために作られ、その後、江戸時代までは細々という感じになるそうです。これは私見ですが、日本列島は中国や朝鮮半島に比べて、樹木の成長に適した風土です。木彫りのほうが細かい細工がしやすいように思うのです。小金銅仏は方に溶かした金属を入れて作ることになるので、あまり細かい細工はできないように思うのです。私のてもとに小さな厨子に入った木彫りの仏様がいます。江戸期位のものかと思います。仏様そのものは数センチ足らずですが、よく彫れています。また、室町期という木彫りの数センチの光背仏も1体ありますが、このお顔が、Iさんのところの仏様にお顔がよく似ています。また。木彫りの小さな仏様だと虫食いでボロボロになるとか破損しやすい欠点があります。虫食いというのも、虫に食われるというのではなく、仏様を彫るための木の中に虫の卵がいて、その卵が成虫になった結果、虫食いになることのほうが多いでそうです。その点、小金銅仏は火災にでもあわない限りは保存されやすいともいいます。真鍋俊照さん編集の「日本仏像事典」によれば、日本では素材そしては木像仏が一番で二番目が金銅仏が好まれるそうです。
この仏様、小さいのですが全体のバランスがいいのです。まあ、一目惚れということです。Iさんから譲っていただきました。
さて小金銅仏か胎内仏かは別として、この仏様は十一面観音でしょうか。左手には壺らしきものを抱え、右手首には数珠らしきものを巻いています。また、金箔の剥げ具合が室町の光背仏と似ています。還暦を迎えると、もう一度、2度目の人生ということで、誕生仏を手元に置く方も多いそうです。私も去年、還暦を迎えましたが、私のところにやってきたのは誕生仏でなく、胎内仏か小金銅仏かはわかりませんが、私が一目惚れした仏様でした。
さて、そろそろ昼時です。お腹も減ってきました。帰ろうかと思う私の目に飛び込んだきたのが「高句麗の鉄馬」です。3、4年ほど前に、とある骨董市で、鉄の塊のようなものを見て、これは何ですかと業者さんに尋ねたところ、「高句麗の鉄馬で、奉納品です。ただし、これは足が1本欠けていて補修してありますがね」と聞きました。私は午年生まれで郷土玩具は馬を中心にコレクションしています。また、我が家は4人家族ですが、息子と義母も午年生まれです。去年は午年でした。「我が家には馬が3頭います。孫と娘の連れ合い、そして私が皆、午年なんですよ」というのが、義母の得意のジョークでした。
さて、今日、出会った高句麗の午は私に似て短足ですが、鞍がついています。3,4年前に見たものよりも状態もいいようです。細かい細工も見えます。また、鉄さびの具合がいいなど見どころが多いのです。こちらも譲っていただきました。Dさん、ありがとうございました。
高句麗は紀元前37年から668年まで、今の中国の東北部や朝鮮北部にまたがるツングース系の国家として栄えました。当時の中国は三国志の時代の末期から再分裂の時代のあと、唐の繁栄が始まる時代です。日本では神話時代から、大和朝廷による律令政治が始まる時代です。日本ではなく「倭」の時代です。大和朝廷は高句麗や新羅よりには百済と同盟関係を結んでいました。そんな時代背景の中で、高句麗では奉納品として、あるいは奉納品だからこそ、貴重な鉄を使ったのでしょうか。当時の高句麗の富強ぶりがわかります。とはいえ、「高句麗の鉄馬」というのは謎がおおいようです。高慶秀さんという方が「韓国における祭祀遺跡と祭祀関連遺物」という論文を平成23年に書いておられます。もう少し、勉強してみましょう。
11月は、青銅器の「卣」、今日の金銅仏、鉄馬と金属にまつわるものが手もとに飛び込んだ1か月でした。明日は、靖国神社はお休み、富岡八幡宮もお休み、新宿の花園神社はやっているようです。自転車で15分ほどですので、のぞいてみましょうか。空振りでも、花園神社に参拝し、花園饅頭でも買って帰りましょう。花園神社は業者さんこそ少ないのですが、2年前にネパールの仮面を2つほど譲っていただきました。東北のかまど面を思わせるのと、馬の面です。わが書斎の壁から、愚にもつかぬブログを書いている私をいつも眺めています。
如庵