こんにちは。
He laughed in spite of himself. (彼は思わず笑った。)
こういう文のときのin spite of は「思わず」と訳すよう高校英語では指導してます。「~にも関わらず」と訳すときの方が多いんですが、上の文のように「思わず」と訳すときもあります。「~にも関わらず」と「思わず」は日本語にすると全く意味が違いますね。2つ以上も意味が全く違う訳があるとき、それらを1つにすることがリスニングではとても大事になります。
そもそも、2つ以上の日本語の訳し方がある場合、アメリカ人の頭の中でも2つの訳があるのでしょうか?アメリカ人の頭の中では、もちろん、in spite of は in spite of です。in spite of を日本語に変換する際に、状況によって「~にも関わらす」と訳した方がいいときもあるし、「思わず」と訳したときの方がいいときもあるというだけのことです。英語と日本語は別の言語ですから、日本語に変換する際に、2つ以上の訳し方が出てきてしまうわけですね。
それではアメリカ人はどのようにして in spite of を1つの訳ととらえているのでしょうか。それを理解するには、日本語にとらわれていてはだめです。綺麗な日本語から離れて、英語に近づいていかなければいけません。そこで、日本語と英語の中間に位置する言語、中間言語というもので英語を理解していくことが求められます。綺麗な日本語ではなくとも、意味を理解していこうとすること、それこそが、英語に近づいていく、ということなのです。本当の英語学習はそこにあります。
それでは、アメリカ人の頭の中のシンプルな in spite of の訳を解説します。まず、in は「~の中に」とか「~内に」とかそんな感じの語感です。これはすんなり納得できると思います。そして、spite なんですが、これは「悪だくみ」とかそんな意味です。つまり中間言語で訳すと、in spite で「悪だくみの中に」というような意味になります。
ここで少し宗教的な背景についてなのですが、アメリカ人はキリスト教徒がほとんどで、言葉と宗教は切っても切れない関係性があります。そこでサターンの登場です。人が悪さをしたり、うまくいかないことが続くとき、サターンが耳元でその人に悪いことをささやいているイメージをしてください。テレビなんかでもそういったシーンよく出てきますよね、天使と悪魔が出てきて、それぞれがささやくシーン、天使は良い行いをするように言い、悪魔はそそのかすようなことをささやくわけです。その状態こそがspiteの状態なんです。
つまり、in spite でspite(悪だくみ)の状態にin(おちいる)というような語感になり、サターンが耳元で悪いことをささやいている状態の中にいるというような語感になります。そして of はサターンの悪だくみの対象がof以下になりますよ、という機能語になります。
つまり、
He laughed in spite of himself. (彼は思わず笑った。)
この文をもう少し、日本語と英語の中間言語的に解釈すると、
He laughed (彼は笑った) in spite (サターンの悪だくみにおちいって) of himself (彼自身が)
というような意味になり、
He laughed in spite of himself. 『彼は(サターンの悪だくみにおちいって)思わず(ニヤリと)笑った。』
何か悪いことを考えているようなニヤリ感が出てくるニュアンスの文になります。
高校英語で教えているような、
He laughed in spite of himself. (彼は思わず笑った。)
というような訳じゃなく、アメリカ人の頭の中にはもっと、何か悪いことを考えてニヤリと笑う感じがあるわけです。片方の広角だけが上がってニヤリというような感じです。サターンにマインドコントロールされてニヤリみたいな感覚です。
以上を踏まえて、in spite of(~にも関わらず)と訳すときの例文をみてみましょう。
In spite of all our efforts, the enterprise ended in failure. (我々のあらゆる努力にもかかわらず、その仕事は失敗に終わった。)
この文のように in spite of は 「~にも関わらず」と訳すときがほとんどです。
しかし、さきほどのサターンの悪だくみをイメージしてみてください。
In spite (サターンの悪だくみの中におちいり) of all our efforts (私たちのすべての努力が) the enterprise ended in failure.(その仕事は失敗に終わった。)
というようなニュアンスになります。サターンの悪だくみの目的語がof以下のall our effortsになります。
In spite(うまくいかない状態におちいって) of all our efforts,(私たちの努力が) the enterprise ended in failure.(その仕事は失敗に終わった。)
このように考えると、in spite of (~にも関わらず)と(思わず)の二つの訳しかたを「(サターンによって)うまくいかない状態におちいって」とひとつの訳でシンプルにすることができます。アメリカ人の頭の中では訳は1つです。これであなたもすべての in spite of を1つの訳で訳すことができれば、ほんの少し、アメリカ人の英語に近づいたことになります。これが本当の英語学習です。もちろん綺麗な日本語にしたければ、「~にも関わらず」とか「思わず」とかで、文脈に応じて訳しわけてください。
シンプル(一つ)の訳し方にするメリットはいっぱいあります。まずはスピードです。会話についていけるようになります。
訳が一つしかないので楽です。状況に応じて訳を2つも3つも訳を仕分けしてる状態で会話のような早いスピードについていけるわけがありませんね。想像に難しくないと思います。
日本語にとらわれず、英語を学ぶのであれば、英語を英語で考えられるようにならなければいけません。それは日本語の訳を単純化シンプルにしていくことこそ、英語を英語で考えられるようになる一番の近道なのです。英単語に対して、日本語の訳を2つも3つも文に応じて使い分けしていたら、いつまでたっても英語に近づけません。綺麗な日本語に頼ること、それは日本語の範囲内でただ言葉遊びをしているだけです。
英語を学ぶなら、日本語を離れ、多少わかりづらい日本語と英語の中間言語で理解できるようにならなければ、いつまでたっても英語にちかづけません。1つの英単語英熟語に対して、日本語訳は1つです。2つも3つも日本語訳を用意し、その文の状況によって、わかりやすい日本語訳にすることは、英語を日本語に近づけているようなものです。日本語を離れ、英語に近づいていくことが、本当の意味での英語学習なのです。綺麗な日本語訳で自己満足してても語学は身に付きません。少々わかりづらくても、シンプルに単純に一つの訳で意味をとれるようにならなければなりません。
しかし、高校英語では綺麗な日本語訳をかかせるような問題をテストに出すので、本当の意味での英語学習とは程遠いものとなっています。日本の中学高校では、英語を教えておらず、日本語をおしえているようなものです。日本語の範囲から抜け出せないままです。文科省は「日本人だからまずは日本語をしっかり覚えてから英語を学習してください、ただし、日本語があくまでも主役ですよ。」と言って学習指導要綱をつくっています。こんな文科省のやり方では、日本国内の中学高校の英語教育はいつまでたってもダメです。日本語を捨てて、英語に近づくには、日本語を捨てなければなりません。文科省も日本語を捨てろとはさすがに言えませんからね。現状仕方ないのかもしれませんね。語学学習で留学が一番良いのはそれが理由です。日本語を捨てて英語に近づく環境に身をおくことによって、脳がアメリカ人の脳と共鳴し、英語をだんだんシンプルに考えられるようになっていくのです。日本国内にいたら、日本語は捨てられませんからね。
補足
キリスト教では、仏教と違い、人間の良い行いは神の意志により行われ、悪い行いはサターンにそそのかされて行っている。という考え方があります。いきなりなんでサターンが出てくるんだよ、と思わないでください。言葉と宗教は密接な関係があるのです。
以上