旅行4日目。
この日はクルーズ途中の岸に降り
ボートに乗ってナイル川の西岸「死者の町」に行きました。
古代エジプト人は太陽を神と崇めていたので、太陽が登るナイル川東岸は生きている者の国、または死者が復活する国とし、太陽が沈む西岸を死者の国と考えていたそうです。
なので西岸にはお墓がいっぱい。
この日は王家の谷と王妃の谷に行って来ました。
残念ながらここは写真撮影が不可なので映像はないのですが、ここもまた考えられないようなスケールの大きさでした。
王の墓をピラミッドにすると、目立つのでお宝目当ての盗賊がすぐ入ってしまう…
そこで考えられた王家の谷。
西岸の目立たない岩谷に、まるで蟻の巣の人間バージョン?ってくらいの深くてたくさんの小部屋がある穴が掘ってあり、そこの1番奥が王のミイラの安置室になります。
もちろん中は、その王の活躍やこれから復活するだろう経過が描かれた壁画やヒエログリフがいっぱい。
そして、出入り口を岩や砂で埋めどこにあるかわからなくして、盗賊から守ろうとしていたそうです。
そんな王の墓がいっぱいの王家の谷。
ラムセスやトトメスなど歴代ファラオのお墓がズラリとありました。
…が、学者が発見した時にはどのお墓もからっぽ。
作業員達には目隠しをして連れて行き、二度と東岸には帰さないという徹底ぶりだったのに…
ひとつの墓に供えられている財宝は何千点、何万トンにも及ぶはずなのに…
墓を探し当て運び出した盗賊、恐るべしです。
そんな中で唯一手つかずのまま発見されたのが、あの有名なツタンカーメンの墓。
18歳という若さでマラリアで亡くなってしまったというツタンカーメン。
早すぎる死でお墓の準備が間に合わず、小さな墓だったという事が良かったのか、たまたま立地(?)条件が良かったのか…。
お墓からは、たくさんの24金のお宝と、ツタンカーメンのミイラが発見されました。
ほとんどの物は考古学博物館に収容されているのですが、ツタンカーメンのミイラと黄金の棺のひとつがこのお墓の中で見ることができました。
そして王家の谷の向こう側には、王妃の谷が。
大変貴重なネフェルタリの墓も見学してきました。
入場には人数制限と時間制限もあり、手荷物も全部預けなくてはならないという厳重な警備。
それだけに、本当に美しいレリーフの残る素晴らしいお墓でした。
ここも撮影不可だったので、パンフレット画像だけでも載せますね。
女神と手をつないでいるネフェルタリ。
この壁画の色はあとから色を塗ったわけではなく、3500年前に作られた当時のままの色が今も鮮やかに残されているんです。
お墓の中全体が、本当に色鮮やかで美しかったし、何よりネフェルタリ自身が美しい!
肩からかけているショールもシースルーだったりと、オシャレだったこともよくわかるし、運命を相手にチェスのようなゲームをしている姿の壁画にも色々考えさせられます。
こんな素敵なお墓を残してもらったネフェルタリは、ラムセスⅡ世に本当に愛されていたんだなぁという事が感じられ、ため息がでました。
そしてそのあとは、ハトシェブスト女王葬祭殿へ。
過去にテロリストによる銃乱射事件で、一時期は観光もストップされていた場所。
今はたくさんの観光客で溢れています。
この神殿にはたくさんのハトシェブスト女王の壁画があるのですが、ほとんどが次の王でもあるトトメスⅢ世によって削られてしまっていました。
トトメスⅢ世にとっては継母にあたるハトシェブスト女王。
実の母からの怨恨を引き継いていたそうです。
現代と同じで、大昔でもそうゆう感情は変わらずあったんですね。
牛の耳をしたハトホル女神様の像。
古代エジプトでは、「牛のような女性」というのは美しいという最高の褒め言葉だったそうです。
今の日本でそんな事言われたら、
きっとみんなムキーッ!って怒っちゃいます。
観光を終えてクルーズ船に戻ったこの日の夜、船はエスナの水門を通りました。
水門通過待ちをしているたくさんの船のまわりには、小さなボードを漕いでガラベーヤやショールを売ろうとする商人の姿があちこちに。
買うなんて一言も言ってなくても、勝手に船に商品を次々投げ込んできます。
買わないからー!と、投げ返すのですが、コントロールが悪くナイル川にボチャン。慌てて取りにいく商人。
そのやりとりがとっても面白かったです。
ナイル川の水に浸った商品は乾かしてまた販売するそう…
うーむ…
そして日が沈んだ頃、
いよいよエスナの水門通過。
その頃旦那様、
可哀想に熱中症でダウン。
かなり水分は摂っていたんですが
連日40℃以上の中での生活は
想像以上に身体にダメージがあるようです。
そして、そんな中でもわたしは
たくましいほどに元気にすごしていました。
やっぱり女性は強いんです。
iPhoneからの投稿
この日はクルーズ途中の岸に降り
ボートに乗ってナイル川の西岸「死者の町」に行きました。
古代エジプト人は太陽を神と崇めていたので、太陽が登るナイル川東岸は生きている者の国、または死者が復活する国とし、太陽が沈む西岸を死者の国と考えていたそうです。
なので西岸にはお墓がいっぱい。
この日は王家の谷と王妃の谷に行って来ました。
残念ながらここは写真撮影が不可なので映像はないのですが、ここもまた考えられないようなスケールの大きさでした。
王の墓をピラミッドにすると、目立つのでお宝目当ての盗賊がすぐ入ってしまう…
そこで考えられた王家の谷。
西岸の目立たない岩谷に、まるで蟻の巣の人間バージョン?ってくらいの深くてたくさんの小部屋がある穴が掘ってあり、そこの1番奥が王のミイラの安置室になります。
もちろん中は、その王の活躍やこれから復活するだろう経過が描かれた壁画やヒエログリフがいっぱい。
そして、出入り口を岩や砂で埋めどこにあるかわからなくして、盗賊から守ろうとしていたそうです。
そんな王の墓がいっぱいの王家の谷。
ラムセスやトトメスなど歴代ファラオのお墓がズラリとありました。
…が、学者が発見した時にはどのお墓もからっぽ。
作業員達には目隠しをして連れて行き、二度と東岸には帰さないという徹底ぶりだったのに…
ひとつの墓に供えられている財宝は何千点、何万トンにも及ぶはずなのに…
墓を探し当て運び出した盗賊、恐るべしです。
そんな中で唯一手つかずのまま発見されたのが、あの有名なツタンカーメンの墓。
18歳という若さでマラリアで亡くなってしまったというツタンカーメン。
早すぎる死でお墓の準備が間に合わず、小さな墓だったという事が良かったのか、たまたま立地(?)条件が良かったのか…。
お墓からは、たくさんの24金のお宝と、ツタンカーメンのミイラが発見されました。
ほとんどの物は考古学博物館に収容されているのですが、ツタンカーメンのミイラと黄金の棺のひとつがこのお墓の中で見ることができました。
そして王家の谷の向こう側には、王妃の谷が。
大変貴重なネフェルタリの墓も見学してきました。
入場には人数制限と時間制限もあり、手荷物も全部預けなくてはならないという厳重な警備。
それだけに、本当に美しいレリーフの残る素晴らしいお墓でした。
ここも撮影不可だったので、パンフレット画像だけでも載せますね。
女神と手をつないでいるネフェルタリ。
この壁画の色はあとから色を塗ったわけではなく、3500年前に作られた当時のままの色が今も鮮やかに残されているんです。
お墓の中全体が、本当に色鮮やかで美しかったし、何よりネフェルタリ自身が美しい!
肩からかけているショールもシースルーだったりと、オシャレだったこともよくわかるし、運命を相手にチェスのようなゲームをしている姿の壁画にも色々考えさせられます。
こんな素敵なお墓を残してもらったネフェルタリは、ラムセスⅡ世に本当に愛されていたんだなぁという事が感じられ、ため息がでました。
そしてそのあとは、ハトシェブスト女王葬祭殿へ。
過去にテロリストによる銃乱射事件で、一時期は観光もストップされていた場所。
今はたくさんの観光客で溢れています。
この神殿にはたくさんのハトシェブスト女王の壁画があるのですが、ほとんどが次の王でもあるトトメスⅢ世によって削られてしまっていました。
トトメスⅢ世にとっては継母にあたるハトシェブスト女王。
実の母からの怨恨を引き継いていたそうです。
現代と同じで、大昔でもそうゆう感情は変わらずあったんですね。
牛の耳をしたハトホル女神様の像。
古代エジプトでは、「牛のような女性」というのは美しいという最高の褒め言葉だったそうです。
今の日本でそんな事言われたら、
きっとみんなムキーッ!って怒っちゃいます。
観光を終えてクルーズ船に戻ったこの日の夜、船はエスナの水門を通りました。
水門通過待ちをしているたくさんの船のまわりには、小さなボードを漕いでガラベーヤやショールを売ろうとする商人の姿があちこちに。
買うなんて一言も言ってなくても、勝手に船に商品を次々投げ込んできます。
買わないからー!と、投げ返すのですが、コントロールが悪くナイル川にボチャン。慌てて取りにいく商人。
そのやりとりがとっても面白かったです。
ナイル川の水に浸った商品は乾かしてまた販売するそう…
うーむ…
そして日が沈んだ頃、
いよいよエスナの水門通過。
その頃旦那様、
可哀想に熱中症でダウン。
かなり水分は摂っていたんですが
連日40℃以上の中での生活は
想像以上に身体にダメージがあるようです。
そして、そんな中でもわたしは
たくましいほどに元気にすごしていました。
やっぱり女性は強いんです。
iPhoneからの投稿































