先日、初めて体験したエネルギーワーク。

 

 今年に入り、私は私の中の悶々としたものを解放したくてうずうずしていた。そして、今年に入り、私は色々な事に気づき始めてもいた。

 一ヶ月ほど前、朝方、深い眠りから覚め始めた時に、突然、『ベマ』と言う声を聞いて目を覚ました。

 「えっ、ベマ! 何? えっ、それって私? 私の名前だ!!」

 とても、穏やかで優しい男の人の声だった。

 それから数週間後に『エイメン』と言う声も聞こえた。

 夫の寝言かと思うくらい、はっきりと聞こえた。

 「エイメン」ってキリスト教のアーメンの事だよね。クリスチャンの友人が「神の御心のままに」と言う意味だと教えてくれたな、と思った。

 

 ハイヤーセルフの声が聞こえる様になり、そろそろ上とコミュニケーションが取れる状態になってきたのかな?と思っていた。

 でも、深い眠りから覚めた時に突然、一方的に声が聞こえてくるので、会話ではない。

 私はハイヤーセルフに『どうしてちゃんと、コミュニケーションが取れないの?』と聞いた。そしたら、『busy』と返ってきた。

 確かにいつも何か考えていて、頭の中は忙しい。静まり返ることはほぼ無い。

 そう言うことか。と思いながらまた質問してみた。

 同じことを。

 『trustして』と言う言葉が返ってきた。

 確かに私は自分をまだ疑っている。本当にハイヤーセルフと繋がれるのか??って。

 そして、どこに意識を向けたら私は何者かになれるのか??とずっと思っていた。

 

 

 エネルギーワークで言われた事は、全て当たっていた。

 私が繋がっていたものは確かに私のハイヤーセルフだったんだと確信が持てた。

 そして、私は地球のエネルギーと繋がっていた事も納得がいった。

 私が自然豊かな北海道に生まれ育ち、自然との共生、地球との共生、に強く惹かれていた訳も。

 近くの岩山がある公園に行った時、この石の上に住みたい。と思ってこの家にたどり着いた事も。

 

 全ての点と点が繋がった。

 

 

 先日、初めのエネルギーワークのセッションを体験した。

 とっても驚きの結果。

 この話を聞いて、私はぶったまげた!!

 

 

 足からのワーク グラウディングはされている。

 

 グラウディングがされているので、エネルギーの動きがあまりない。

 

 本来なら守護霊たちが出てきてくれるのだが、出てきてくれない。

 

 「出てきて欲しい」と頼むと「出られない」と言う。

 

 出たいけれれど、そのスペースがない。と言う。

 

 腹部に手を当てると全く何も感じなくなったので、そこを掘り下げてみる。

 

 真っ黒い、洞窟が見つかる。

 

 そこはかなり汚れていて、沢山の迷いの泥やゴミで埋め尽くされている。

 

 沢山の存在が綺麗にするのを手伝ってくれた。

 

 そのゴミや泥を取り出すのに時間がかかった。

 

 その時、地球のコアのエネルギーが降りてきていた。

 

 泥を拭いてみると、それはクリスタルだった。全てのクリスタルを綺麗にしたら、大きな光を放つクリスタルの洞窟になった。

 

 そこには30人程の天使や古代人や女神がいた。

 

 私は大きな女性性の存在の膝枕で寝ていた。

 

 このセッションは、clearing、confirmation

 

 クリスタルは全ての情報を持っている。なぜなら、波動として共鳴しているので情報が入っているのだ。私はそこにアクセスするだけ。私のクリスタル、つまり私のハートに繋がるだけで、全てを知ることができる。

 

 全ての答えは我が内にある。私は全てを知っている。

 

 ハートに意識を向ける。ただそれだけ。あと、trustが大事。

 

 地球、earthのエネルギーと共鳴。

 

 マイナスポイントは頭(AIR)のエネルギーを使って考えてしまうと、答えが見つからず足が地球に張り付いてしまい、動けなくなる。

 

 

 

 これを聞いてぶったまげた理由は次回に、、、。

 

 

 

 カナダに来て16年。

 

 3度の病気を経験した。

 

 最初は、次男が2ヶ月の時、急性膵炎。

 

 夜中に突然の腹痛。それもかなりの激痛。

 夫の車で長男を友人宅に預けて、救急へ。

 カナダは病院の数が異常に少なく、入院も最短で帰される。

 血液検査で膵臓の炎症数値が下がったら退院。

 通院で原因を探そうとした所、探す間もなく、再発。1ヶ月間で再発2回。3回の入院で合計二週間半の入院生活。

 

 

 膵炎って、げつ痛なのよ。

 痛みでのたうち回っていた。

 そして、消化液である膵液を出させないために絶食、絶水、なんです。

 救急に3回行き、病院にいる間は栄養剤と水分を点滴。

 膵臓の炎症数値が下がってきたら、チキンやビーフのスープを飲み始め、その後、甘さがとんでも無いくらいのゼリーがお弁当箱一つ分くらい出てくる。

 そんだけの砂糖、食べられたものじゃない。

 口から食べ物を入れられる様になったら、帰宅。

 数日したら、また発症。の繰り返しでした。

 

 当時、長男2歳七ヶ月、次男二ヶ月。

 

 結局は結石だろうということで、確定しないまま胆嚢摘出。

 もちろん、胆嚢は空っぽ。

 答えが見つからないまま、その後は再発せず。

 

 夫は大変だったと思う。

 友人宅に泊まり込んで、昼間は友人家族に子供達を見てもらい、仕事(自営なので休めない)夜、二人の子育て、私の介護。

 

 今思うと感謝ですよ。頑張ってくれたよ。

 

 

 

 

 新春にあたり、思うままに書いてみます。

 

 去年は辰年だった。

 

 すいすいと昇っていく龍が思い浮かぶ。

 

 去年はそういう年だったんだね。

 

 上へ上へと昇って行くには、制限があると行き止まってしまう。

 

 ここからは行けませんよ。と制限を作る。

 

 例えば、怒っては行けない。とか、優しくしなくちゃ行けない。というのも制限だし、

 母として、妻として、娘、女として、なんていうのも制限。

 自分に対しての制限を自分で作っているという事。

 

 この世に生を受けた時から押し付けられた思い込みでしか無いのよ。

 

 そんな他人勝手な思い込みに縛られて、自分を見失っていたり。

 

 誰かをジャッチしてみたり。

 

 

 そんな制限を取り払ってしまったら、龍の滝登りの如し、上へ上へと登っていく事ができる。

 

 そんな一年が終わり、今年は巳年。

 

 脱皮をするかのように、新しい自分へと生まれ変わる。

 

 制限をはずし、今年は新しい自分を作り始める。

 

 まだまだ制限を外せていないあなた! まだまだ遅くはありません。

 

 パッカパッカと制限外して、新しい自分を作って行きましょう。

 

 

私の目の横をかすめるのは、そこに存在する精霊達。
雨を浴びた木々や地面から、生き返ったかのように顔をだす。
雨音に合わせて、踊るもの。音を奏でるもの。
それぞれに今この時を楽しんでいる。
どの精霊たちも、誰かがここに居て彼らを見ている事などを気に留めるものはいない。

大きな楓の木から出てきた精霊が歌い出す。


「🎵光と闇とが溶け合う今、

          僕たちは身体を見つける事ができる🎵。


 🎵光と闇の隙間があったなら、

          僕たちは声を見つける事ができる🎵。


 🎵そして僕たちは、喉を振るわせ歌うんだ🎵。


 🎵この幸せを歌うんだ🎵。


 🎵とても楽しい時間に感謝して🎵。」

美しい音色で奏でられたその歌は、私の心にすーっと染み込んでいった。
そして、私の心に染み込んでいったその音色は、私の全身へと行き渡り、それから私が私を前に進める力へと変わった。

ただただ歩いていると、瑠璃色に光る鳥が目の前を横切る。

その鳥は池の畔りの葦の帆に留まった。

可憐な声で歌を歌っている。

雨がポツポツ降り出した。

空は灰色に広がり、一気に雨が周りを覆う。

鳥はかろうじて森の中に逃げ込み、雨の隙間を見つけた様だ。

私は雨の中に佇み、雨と光が織りなす美しい景色に目をやる。

水面に繰り広がる輪の連鎖。

それは音楽と共に周りの木々に響き渡る。

水溜りに落ちる雫の音。

風に叩かれた水の音。

それらを受け止める木々達は、更に緑を深めた様だ。

ああ、今日はちょっと道を外れてみたい気分。

足元に咲く小さな花達と、その下を黙々と歩く蟻たちに目をとられる。

蟻たちの目の前に広がる景色に想いを馳せてみる。

大きな葉や花たちの下、地を這う葉やくきの間、地面にへばりつき、目的に向かってただ歩を進める。

そこにある空間には時間などない。

急ぐ必要もない。

休む必要もない。

ただ、仲間と共に目的を達成するのみなのだ。

そんな蟻の人生もいいな。と思った。



そして見上げた私の目の前にはまた道が続いている。

私も目的に向かってただ歩を進めるのみなのだ。

疑問と共に湧いて来るのは、ワクワクとした気持ち。

 

先の見えない道を見ていると、この先に何が待っているのかわか

らないワクワクが心を躍らせる。

 

今日見た景色と明日見る景色。

 

きっと明日見る景色の方がずっと楽しいと思えるだろう。

 

今日、気付いた事が明日の景色を明るくさせる。

 

そして、明日気付いた事が未来を明るくさせる。

 

そうやってこの道を歩いていく。

 

ずっとずっと、歩いていくこの道。

 

どこに続いているんだろう

 

ずっとずっと思っていたことがあった。

 

この道は一体、どこへ続いているのだろう?

 

私の足元に続いているこの道はどこに辿り着くのだろう?

 

 

 

今まで歩いてきたこの道を振り返ってみると、色々な風景を見せてくれた。

 

雑踏の中に続く道、淡い青色と薄い橙が辺りを照らしていた。

 

ゆっくりと落ちて来る雪の中に弱々しく灯る街灯。

 

清らかな緑の中で微笑む人達。

 

どこまでも続く青い海原で揺れているクラゲ。

 

輝く星達に照らされながら、一人自分の場所を探すあの人。

 

共に歩くと決めた人と只々進むこの道。

 

どこまでも続くこの道は、一体、私たちをどこに導いているのだろうか?

 

その先には、何が待っているのだろう?

人には色がある。

オーラとも言うのかもしれないが、私の思うイメージの色というのが正しいと思う。

若い頃、友人達を捕まえて、あなたは何色、あなたは何色。と告げて回った。

その人その人の持つ色が私には見えた。

 

私はと言うと、ずっとずっと緑が好きだった。

学生時代は みどりのクレヨンというペンネームを使って雑誌にコメントを書いていた。

緑が好きすぎて緑まみれになった事もある。

今でも、緑が好きで、家族の服を買う時は緑系になりやすい。

多分、緑は私をパワーアップしてくれる色なのだろう。

 

緑のなかにいる。緑に包まれる。

 

その中でバランスの取れた私を見つける。

 

今、ここで、緑になれる、私。