胸の痛みはまだあるけれど、




必ず癒される日がくるって信じてる。





これで良かったんだって、





やっぱり神様は何でも知ってるんだねって、





そう心から言える日がくるって、信じてる。









だって、私の神様は、





痛みや傷を放っておかれるお方ではないから。





私のすべての必要と、私自身を





一番よーーーーーく知ってくださっているから。










完全に癒されるその日は、もう与えられる日として、






私の未来に置かれているから、





だから、大丈夫。





今週の礼拝メッセージで先生が、超消極的だった人が、主に変えられ、
超積極的な人になり、その後、その生き方を本にして、
ベストセラーになった話をしてくれました。



それを聞いて、私に用意されている人生は、もしかしたら、
その人とは逆かもしれないなぁと思いました。





私は、積極的な方だと思います。



日本人にありがちな、言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン的な
ところはなく、自分の意見を躊躇なく言うし、
やりたいことと、やりたくないことがはっきりしていて、
断るのとか全然平気だし、せっかちだから、じっと待っていることができなくて、
すぐに白黒はっきりつけて、自分で答えを見つけて終了してスッキリしまうし、
とにかく我が強くて、前のめりで走っているような、そんな人生でした。




そういう生き方は、クリスチャンになってもあまり変わっていなかったけれど
(自分ではほとんど無意識でしたが)、でも失敗の連続で、やっと、
「私の人生が苦しかったのは、神様のせいじゃなくて、この生き方のせいなんだ。」
と、気づくことができました。




それから示されているのは、”受ける人生”であり、”待つ人生”です。




私が一番苦手で、絶対無理!!!と思っていた人生です。




でも今、不思議とそこに平安があります。






今までは、目標があって、そこに到達するまでは、
どこか未完成であるかのような思いがあり、
だからすぐに完成させたくて、待ちきれなくて、
つい前のめりで走ってしまっていたのだと思います。




だけど、目標に到達してはじめて祝福を受けるのではなく、
プロセス中もまた祝福の連続であり、その時々で恵みは十分にあるのです。




その気づきを与えられてから、日々の景色が変わりました。




私はまだ、教会のことも、将来のことも、どうなるかまったくわからない状態です。




だけど、そんなことはどうでもよくなりました。




日々降り注いでいる恵みを受け取ることで、私は十分豊かであるということを
実感できるようになっています。




日々の恵みはあまりにも多すぎて、全部は受け取りきれていないけれど、
でもそれでも、今までただ垂れ流されていた恵みを、一日一つずつでも
受け取れている実感があります。




今までだったら見逃していた恵みの大きさ。




何の変哲もないと思っていた日常の豊かさ。




恵みのほんの一部しか受け取っていないはずなのに、
すごく心が満たされています。




それを思うと、神様の恵みと祝福は一体どれだけ大きいんだろうって
思います。




想像もできません。




今までは、未来は、見つめて、走っていくものだったけれど、
もしかしたら、気づいたら”ここ”にあるものなのかもしれないなぁと思います。




そういう意味では、”現在”と同じなのかな。






私が、”待つ”ことが大嫌いだったのは、
その言葉の響きに何か、”欠け”を感じていたからかもしれません。




でも、待っている時でも、神様は私たちを決して、退屈にさせたり、
飽きさせたり、飢え乾いたりさせないお方です。




そう考えたら、そもそも”待つ”ってなんだろう?と思えてきます。




待たされている間は、別におあずけをされているわけではなく、
その時に必要な、私たちに見せたい景色を、
神様は見せてくださっているだけなのかもしれません。




それが私たちの目からは寄り道に思えて、勝手にじれったくなっているだけで、
神様の目からは、寄り道でもなんでもないのでは?と思ったりします。






私の今までの生き方は、まるで、パリにエッフェル塔を見に行くぞ!と思ったら、
それしか考えられなくて、旅行の計画も、移動時間も、
その間の食事や会話や景色も、全部上の空で、エッフェル塔のことばかり
考えていたような、そんな感じだったのかもしれないなぁと思います。




そう考えたら、すごくもったいないことをしたなぁと思います。





日々の恵みは十分にあり、祝福は、自ら無理矢理引き寄せようとしなくても、
主が導かれた場所にあり、私たちはただそこにいるだけで、
向こうからやってくるものなんじゃないかなぁと、最近感じています。








コリント人への手紙第二 12:9

わたしの恵みは、あなたに十分である。