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理想像見つけた

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何気なく雑誌をパラパラとめくっていたら、PaulSmithの広告の女性が、わたしの心にスッと入って来た。

「ああ、本来の自分って、こんな雰囲気だな」って思った。

ニュートラルな自分のイメージとピッタリ重なった。

今までこんな柔らかい雰囲気のモデルさんに心掴まれることなんてなかったのに、不思議。

柔らかくて、意志が強そうで、しなやかさがあって、女性らしい。
そして、森や風が似合う感じ(笑)

現在のわたしの理想像、見つけた。

転機到来、シンクロニシティ

なかなか踏み切れなかったことに対して、やっと決心が付きました。
(詳しくはこれからblogでおはなししていきたいと思います)

今年の大きな転機到来です。

『時が来た』と感じたので、計画を少し早めて、動き出そうと思います。

取っ掛かりとして、四年弱暮らした土地から、来月引越すことに決めました。

不思議なことに、今、わたしの周りも、『新しい風が吹き込んで、転機が訪れている』という方々が多いのです。

シンクロですね!!
繋がっている!

今年は、準備していたことを実行に移す年。

自分が変化し、成長していくのと一緒に、様々なことが生まれ変わっていきます。

心身の状態も、表情も、ファッションも、わたしを取り巻く状況も、環境も、曲も、出会いも。

本物の『欲』に忠実に、ひとつひとつ実現していきたいと思います。

…たのしーーい!!\(>∀<)(>∀<)(>∀<)/

蝶になる

mica’s Qualia


イタタ…

どうしても突っ掛かりを感じる。
喉に刺さったまま抜けない魚の骨みたいだ。

やっぱりココにある。


久しぶりに彼女と話したことで、スイッチが入った。

「自己表現」について。

わたしは自分を表現するために様々なことをしている。

音楽、ファッション、ヘアメイク、料理、写真、仕事、ブログ…
例えば、言葉遣いや仕草、わたしが身につけている小物ひとつとっても、それは自己表現と呼べるし、自分自身それを意識しながら日々過ごしている。

表現することは楽しくてたまらない。
生きる喜びである。

しかし、喉に刺さっている一本の棘が、長い間わたしに違和感を与え続けている。
なんだ?

…それは自分が中心としている「唄うこと」である。

作曲や作詞といった制作ではなく、歌そのもの。

その他多くのことにおいては、殆ど不満や違和感はない。
多分、そのツールを通じて自己表現することに成功しているからだろう。
それらはわたしという人間を自然に形作っている。

ただ、「歌」においては、うまく自分を表現出来ている実感が乏しい。
自分の表現したいものに、歌がついていけていない。

これはもう随分前から感じているのだが、今だ越えられない壁である。

なぜ越えられないのかはわかっている。

今のわたしには、歌に対して感じる「スキと楽しい」が足りないからだ。
それを快と感じること、欲する気持ち…すなわち、欲求の度合いが問題だと感じている。

こうなるに至った経緯は大体検討がついているので、もはや焦りはあまりない。

簡単に説明すると、何年も心の子供を抑圧し、裏切りながら歌い続けてきてしまったことが原因だ。
瑞々しい歌への欲求が、干乾びてしまった。

故に去年の終わり、もう無理に何かをしようとするのはやめようと決意した。
開き直ったことが功を奏して、その後、新しい境地を開拓するような曲が出来つつある。


わたしは栄養をとりながら、時が来るのを待っている。
蛹のように、じっと。

驕った思い込みかもしれないが、「この殻を突破し、自由に歌えるようになる」という変な確信がある。
それだけを信じてここにいるようなものかもしれない。


…来い。

わたしは必ず蝶になる。



Photo:Yasutake
Edit:mica

存在

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今日もいい天気。
太陽が眩しい。

起きぬけに話してもらった重要なヒントのおかけで、点と点が繋がってきた。

何故ここまで生きるのが辛かったか、
どうして自分が強烈な恐怖に打ちのめされるようなことに皆は平然としていられるのか。

ああ、そうか。
わかってきた気がする。

わたしは『自分という存在そのものが愛されている』という感覚がわからない。

何かをしなければ、期待に添えなければ、愛されないと信じている。

相手の期待を裏切ってしまったなら、即刻見捨てられてしまうと信じている。

『君という人間を否定しているわけではなくて、君のやり方がよくないと言っているだけだよ』

この意味を頭でわかってはいても、いまいち実感出来なかった。

だから、自分のどこかを咎められると、存在そのものが否定された気がして、恐怖でいっぱいになった。

愛する人の理想通りになれない自分に焦りと不安を感じた。

どこまでも他者中心だな。
これでは辛い筈だ。

わたしはまず、自らの存在価値を認めることが出来ていない。

四六時中、傷付けられないように神経をはりつめ、いつナイフを振りかざされるかわからないその時に備えている。

『死』に追いやろうとする外敵から身を護るために。

これでは誰と居ても安心出来ない筈だ。
わたしにとっては、どんな人でも敵になりうるのだから。

可笑しいな。

そうだ、ずっと可笑しいと感じてた。

でも、これを掘り下げて、正体を暴こうとはしなかった。
ここまで持ち越してしまった。

苦痛に塗れた可笑しな日常はいつしか普通になり、疑うことも抵抗することも少なくなっていた。

喪失感。

しかし、すぐ先には広大な草原が拡がっているのを感じる。

あそこまで、辿り着けるか。

ああ、この感覚を曲にしたい。
これこそわたしが唄うべきものだ。

続・ブラックホール

事あるごとにこんなふうになるならいっそ、『そのまま求めてみよう』と思った。

この胸に轟々と音を立てて渦を巻く衝動の正体が、制御不能になるくらい深く激しい淋しさなのだとしたら、
それをそのまま表現する。


淋しい。
繋がりたい。
一緒にいたい。


伝えてみる。

わたしは、怒りで淋しさを捩伏せ、真の欲求を満たすことから逃げていただけだ。

ブラックホール

胸の中心で渦巻くブラックホールは、今も相変わらず存在している。

これは、とてつもない破壊力を持つ。


この凄まじい衝動の正体は、淋しさなのか?


争いの後特有の鈍痛が頭に重たくのしかかる。

脳が侵食されていくような厭な痛み。


この凄まじい衝動の正体は、淋しさなのか?


怒りも、恨みも、嘆きも、悲しみも。


安心するということが出来ない。

わたしは臆病者過ぎる。

都会に佇む小さな楽園

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四ッ谷駅を降りると、いつも気になるのが写真のこの場所です。

「どうして駅前に、こんなデッドスペースがあるんだろう」と、
大学時代から不思議に思っていたのですが、今改めて見ると都会に佇む小さな廃墟みたいだな。

人間の手の届かない、野放しにされた小さな楽園は、
東京のど真ん中ですくすく育ち、にょきにょきとキミドリ色の触手を伸ばす。

すごく楽しそう。

「わたしも仲間にいーれーて!」って心の中で叫んでみるの。

ここで野外ライブが出来たら素敵だなって思っていたけど、沢山の人が侵入すれば、この聖なる空間は壊れてしまうかもしれない。

…こういう、一見ありそうもないところに、キラリと光るものを見つける、宝探しが好き。

例えば、何千点もある服の中から運命の出会いをする古着屋巡りも、

閃きを受け取って、自分の細胞と共鳴する感覚を音で表現していく制作も、

混沌を掻き分けて核心を見極める自分探しも、

同じような感覚です。

瓶いっぱいのジンジャーブレッドクッキー

インスピレーションが降りてきた時や表現欲が湧き上がってきた時など、
衝動から発生したエネルギーを我慢してしまうと、欲求不満になって、いつもそれをよからぬ方向に費やしてしまうので、
素敵なエネルギーの使い方を心掛けてる今日この頃。

…ということで、エネルギーが溢れんばかりなので、制作の合間にクッキーを焼きました♪

ずっと前VJスコップさんからいただいたジンジャーブレッドクッキーの、クッキーミックス。
mica’s Qualia


あんまり可愛いからインテリアとして部屋に飾っていたのだけど、ついに開ける時がやってきました!!

ボールに移して、三層になっている粉をよく混ぜ合わせます。
ジンジャーのいい香りにうっとり。
mica’s Qualia


バター、タマゴ、砂糖を加え、ひとまとめにして冷蔵庫でしばらく寝かせたら、楽しい楽しい型抜き♪

こんなちっちゃいのと…
mica’s Qualia


こんくらいのと…
mica’s Qualia


こーーーーーんなに大きなやつが出来ました!!
(メイちゃんの真似したかっただけ)
mica’s Qualia


オーブンが一段なので、計6回焼きました(汗)

以前妹からチョコチップクッキーの瓶詰をもらった時の瓶にギッチリクッキーを詰めたら…

夢のようなクッキー詰め合わせの出来上がりーーー!!
mica’s Qualia

サクサクでカリカリで凄くおいしいーー!!

…ここで気合のひとこと\(>∀<)/!!!

6/25(木)のelfinライブまであとちょうど1ヶ月です!!
みなさん、スケジュール検討お願いしますっ!!(●´∀`●)

いざ、ワーイな世界へーー(>∀<)!!
スピード上げてがんばるぞ~~\(>∀<)/!!!!

幸福論

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わたしにとって何が幸福かが、最近とてもよくわかる。

『なるべく多くの時間を、愛する人と一緒に過ごすこと。』

それは家庭であり、音楽である。

そして、その時間こそがインスピレーションの源となり、わたしの魂を朱く燃やす。
その炎は、強く柔らかい。

きっと、もう、始まっている。
きっと、もう、実現出来ている。

今、そうしているように、これからも、創作活動を通じて、たくさんの人に出会い、感じ、考え、語り合いながら、歳を重ねていきたい。

まだ小さな輪を、どんどん大きく拡げていこう。

自分が望むなら、死ぬまでずっと。

それって素晴らしくハッピー!

…これがmica27歳の幸福論。

一番受け入れたくなかった部分

様々な出来事から自覚出来たことがある。

わたしが自分自身の中で一番受け入れたくなかった部分とは、実は弱い所でもなければ、被害妄想癖で悩みがちな所でもない。

それはどちらかというと『強い』にカテゴライズされる部分だ。

臆病が故の自己防衛から、処世術として身につけてきたもの、性格的なものまで様々。

攻撃的、計算高い、打たれ強い、自立心が強い、我が強い…等。

他、特に認めたくなかったのは、自己中心的な部分だとわかった。

わたしは、人に嫌われたくない。
嫌われるのが怖い。
他人を敵に回すのが怖い。
非難されるのが怖い。

しかし、その反面、自分の意志を貫くためなら、他人を傷付けることも、孤立することも構わないと思っている所がある。

普段は『人に嫌われたくない』という意識が強いため、そんな風には考えられないのだが、
過去を振り返ってみると、ここぞという時に、わたしはいつも決まってそういう選択をする。

他人に迷惑を掛けてでも強引に、自身の人生を全うする方を選ぶのだ。

故にたくさんの人を傷付けてきた。

周りの人はとっくにわかっていたのかな…
やっと認識出来た。

わたしは、そんな自分をどうしても認められなかった。

だから、無意識に、身勝手で攻撃的な自分を他人に投影して、
「わたしが攻撃されてるんだ」と被害者を演じたり、
依存的な自分を全面に押し出して現実逃避や責任転嫁をした。

弱く、優しく、毒がなく、皆に好かれるいい人でありたかった。
皆に守ってもらいたかった。
強い人に導いて欲しかった。
誰かに幸せにしてもらいたかった。

(…あ、ここで笑った人、わたしをよく知ってる人でしょ(*∀*)!!)

話は長くなってしまったけど、何が言いたかったのかというと…

『自分のどんなに醜い部分も、そのままを受け入れていくことが大切』なのだと心底感じたということだ。

最も危険なのは、等身大の自分が認識出来ないことだと思う。

要は、どんな歪みがあっても、それを自分でわかってさえいればいい。

わたしは『人に嫌われたくない』『皆に好かれたい』という非現実的な気持ちが強過ぎて、
自分の見たくない一面が本当に見えなくなっていた。

いや、違和感は度々感じていたな…
でも気付きたくないから、自分が出すサインを無視し続けたんだ。

文字通り『人に迷惑を掛ける』とは、こういうことかもしれない。。。

『自分がわからなくなったら自分のとってきた行動を振り返ってみればいい』
と尊敬する人が言っていたが、その通りだ。
いざという時にどういう行動に出るかで、自分の核心と呼ぶべき部分が見えてくるから!(笑)

卑下することも、買い被ることもなしに、等身大の自分を見つめたい。
パーツパーツではなくて、全体像で捉えたい。

難しいけど、意識しながら。

…読んで下さって、ありがとう。