この3ヶ月間

母が3時間の車の道のりを

祖母のお見舞いのために

週に3日間はお見舞いに行っていたので

父母の体の方が心配でした。

ばーちゃんは

びっくりするくらい

艶々でした。

Y先生のヒーリングの御蔭だと思います。

虹色のキラキラさえあるようにみえたのです。

沢山のお花に囲まれて

棺の中へ入れられました。


棺が閉じられる前に

「おばーちゃん、ありがとうね」と言いました。


家族葬で小さなお葬式でした。

でも、こんなのが温かくていい!って

思いました。


弟は「おばぁちゃんといえば、編み物なのに

どうしてかぎ針を入れてあげなかったの?」と

言っていました。

意外と優しい奴だと思い直しました。


私と妹が一人暮らしの

おばぁちゃんがさびしくないようにと

大きなピンクのウサギのぬいぐるみをプレゼントしていたので

そのこは一緒に入れてもらったそうです。


お通夜に時には

父がずっと傍に居て

お酒をのみながら

一人だけ泣いていたと言っていました。

母が「おばぁちゃんに話しかけてあげてるの?」と

聞くと「謝ってるんだ」と。


うちの父と祖母はそれほど相性は良くなかったので

父にも沢山の後悔があったのでしょう。


最期に謝ることができた父は

立派だと思いました。


喪主の挨拶は、長男がしました。

とても真面目で地味な人なので

挨拶は期待はしていませんでした。

形式文をそのまま読んだような挨拶でした。

でもさいごまでちゃんと言えていました。


おばぁちゃんの生き様やら数あるエピソードやら

盛り込んでおばぁちゃんを

気分よく上にあげてあげてあげたいと思ったのですが

ま・・・私の心の中でいえばいいか。


甥っ子たちはお骨拾いも初めての子もいました。


おばぁちゃんの一生を通してみんなが

沢山のものを見せてもらったり

体験させてもらいました。


最近見た映画が「少年H」

これは、まだ祖母が生きている時に

観に行ったのですが

舞台も神戸でしたし、

時代がまさに

おばぁちゃんの時代そのものだったのです。

おばぁちゃんはこういう戦火をくぐりぬけてきたんだなぁと

思いながら映画を見ていました。

生きるのも決してたやすいことではなかった時代に生まれ

二人の子供を育ててくれそれを

孫、ひ孫にまで繋いでくれたおばぁちゃんに

感謝せずにはいられません。


おばぁちゃんが亡くなってからも

存在感はしっかりとあり

私たちの中には

脈々とおばぁちゃんも流れている感じです。


私たちは今、

この現世で

この体をまとっていますが

最期には

お返ししないといけないけど

その時にいい人生だったと言えるよう

すがすがしい気持ちで次の場所へ行けたら

いいなぁと思います。


おばぁちゃん、本当にありがとう。

私たちのおばぁちゃんらしいおばぁちゃんやったで。


おばぁちゃんの関西弁が聞けなくなるのは

寂しいけど

ちゃんと耳に残っています。

この年になるまで私の誕生日を忘れずに

毎年、おめでとう電話をしてくれていたこと、

本当にありがたいことだと感謝しています。


あっちでは

久々に皆と逢って

賑やかにやってるんでしょうね。


楽しくやってね。

こっちも楽しくやるから。