Maica_nの日記

Maica_nの日記

Maica_nです!
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#日記
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真っ白なレターセットを買った。


誰かに書こうと思って買った訳でもなく、ただ欲しくなることがある。

たまたま今日がそうだった。


手紙は、自分自身の、その人自身の言葉や文字で伝えることができるから、書くのも貰うのも好き。


昔は思っていることをちゃんと話せないことも多かったので、節目節目で、家族や友達に書いて渡してみたり、書くだけ書いて渡さずに机で眠ってたものや、宛先不明のものもあったり。


そんな中で、二十歳の自分へ手紙を書いた事を思い出した。確か17歳の時、高校の現代文の授業の課題だった。


元気ですか、だの、今どこで何をしてますか、だの、"未来への手紙"の定型文はいくらでもあるはずなのに、その時、私は何を書けばいいかわからなかった。三年後の自分が、あまり想像できなかった。


二十歳の自分がこれを読んだ時のことを、まだ一行も書いてないのに考えていたら、あと授業も残り十分ほどになってしまっていた。


もう何でもいい。とりあえず何も考えずにつらつらと出てくる言葉を書いて提出した。

結局その後手紙は返却され、家に持って帰って、また何も考えず机にしまった。



それからどんどん日は過ぎて、高校も無事卒業し、一人暮らしの為の引っ越しの準備中。

最後に部屋を整理していたら、手紙が出てきた。


読まずに、捨てた。


授業の残り十分でなんとなく書いた文章なんてどうせ大したこと書いていないだろうに、わざわざ残しておく方が恥ずかしい気がして、捨てた。




でも、いざ二十歳になって思い出した今、めちゃくちゃその手紙読みたい。

めっちゃ気になる。


あれから3年、本当にあっという間だったけど、確実にいろんなことが変わった。

二十歳の自分に手紙を書いた時の事も、それを捨ててしまった事も覚えているのに、何を書いたのかだけが綺麗に思い出せない。

今、当時の自分に手紙を出すとしたら、「手紙は捨てるな!あと、写真と動画は山ほど撮っとけ!」とでかでかと殴り書きするだろう。



もっと真剣に考えて書いていたら、まだうっすらと覚えていたのかな、なんて思うが、なんとなく書いた文章だったからこそ読みたい。

その"なんとなく"の感覚が大事だったりすることを日々感じているからだ。



17歳の私は一体何を考えていたっけな。

中途半端に「多分いろいろしんどいやろうけど頑張ってください」とか、もっともらしく将来について語ったりしてたら、それが一番腹立つなぁ。でも、なんかそんな気がしてきた。



どうせなら、「五時間目むっちゃ眠い」「今日のお弁当炒飯やった」的な死ぬほどどうでもいい事、もしくは手紙やのに一人でボケるわノリツッコミするわで、ふざけまくっていて欲しい。



さて、そんな願いを込めて、そして次は大切に保管しておく事を誓いながら、また十年後の自分に手紙でも書いてみようかな。

これまでも何度か書いてきたと思うけれど、よく散歩をする。


そんな中でたまに公園に立ち寄ると、いろんな観察ができて面白い。


ベンチでひっそりとお昼を食べるスーツ姿の方。


途中でその人のものらしき携帯から着信音。

すぐに手を取って画面を確認した後、そのまま通知音を切って鞄に入れた。


出ないんかい。


気づいていて出ないという事は、相手は仕事関係の人では無さそう。


誰からの電話だろう。

お母さん、友達、恋人、はたまた、昔好きだった人、とか。


突然昔好きだった人から連絡が来るなんて、そんなんドラマや映画の中だけの話やと思ってたら、私の周りの人達も割と皆経験あるみたいで驚いた。

そういうのってなんか、悪い予感が、しなくもないけど。

でもまぁある意味ロマンチックかも。


など、勝手に想像する。

とにかく、お仕事お疲れ様です。




さて、お互い笑顔が絶えない初々しい雰囲気の学生さんのカップルがアイスを食べながらやってきました。


微笑ましい。


そして、仲良く手を繋ぎながらお散歩中の老夫婦も登場。


これまた実に微笑ましい。

旦那さんがとても優しい目をしながら奥さんと話していて、ほっこりした。

きっとこれまで沢山大変な事もあっただろうし、今日のこのほんの一瞬、二人を垣間見ただけの私はそれを知らない。

それでも、幸せを少し分けてもらった気がした。


さっきの初々しいカップルも、これから長年共に連れ添って、またこんな風に公園に散歩をしにきたりするんだろうか、そうだといいな。



二組くらいの家族連れ。


ママ友同士らしきママ達が、時たま子ども達に声を掛けながら、でも愛おしい目で見守りながら、お話をしている。

まさかあれが世に言う、ちょっとした井戸端会議とやらなんだろうか。


「こないださぁ、ウチの旦那が…」


「そういえば聞いた!?あそこのマンションの〇〇さんが」


「あの新しくできたスーパー行った?」


そんな会話が繰り広げられているのだろうか。


そしてそんなちょっとした井戸端会議が、"ウチの旦那"の話が、ここだけではなく全国各地で行われていると思うと、余計に面白い。


いつか私も是非一度混ぜて頂きたい。



一方で子ども達はそんな会話を気にも止めず、二人ともが仮面ライダーゼロワンとして戦い合っていたり、ボールを投げ合ったり、枝で地面に絵を描いたり、泥団子を作っていたり、自由気ままに遊んでいる。



実際、ヒーロー同士が互いに戦い合う時は、どちらかが敵に洗脳されていたり、闇堕ちしているパターンが多い気がするが(あくまで私の所見です)、二人にはいつまでも、お互いに真のヒーローとして正義や平和の為に戦っていてほしい。



そんなこんなで、ママさん達がそそくさと帰る準備をし始めた。


ママに「帰るよー」と声をかけられ、一人の子が「〇〇、また明日も遊ぼうね!」と手を振って走って行った。

もう一人の子も、「またね、バイバイ!」と元気よく頷いてママの所へ戻って行った。



よくある光景かもしれないが、"また明日"という言葉になぜかぐっと来た。

しばらく、また明日ね、なんて会話をしていない気がする。

また明日も当たり前に会える、という事が今年は特に少なかった。

そしてここにいる皆、マスクをしている。

だからか余計に、純真無垢な二人が儚く見えた。



などとそんな事を書いている私は、もうかれこれ二時間近くこの公園に居る。


陽が暮れる前に帰ろ。

また明日も、二人が一緒に遊べますように。

消しゴムや鉛筆を最後の最後まで使い切った記憶が無い。


勉強机の奥の方や、使わなくなった筆箱から、たまにころころと出てくる。


小さくなって薄汚れたあの子達はどんな気持ちでそこに居たんだろうか、とぼんやり考える。


使い切る事で言えば、消しゴムは頑張ったらできる。

米粒サイズになっても、紙に押し付ければ文字は消えるし、それを最後の一消しとしても立派に役目を果たしているし、胸を張って消しゴムの一生を終えられる気がする。


でも大体その前に、というかまだ半分くらい残ってるのに新しいものを買ってしまう。どうしても欲しくなる。


まだ使えるものがあるはずなのに、無駄に新しい文房具が欲しくなる現象に名前は無いのか。



とはいえ、鉛筆に関してはなかなか難しい。


そもそも基本的な使い方であの芯を最後まで消費し得るのだろうか。


補助軸にも限界はあるし。

仕方ないけどやっぱり捨てるしかないよな。


と思っていたら、何やら素敵なアイテムがあるらしい。


短くなった鉛筆達を繋ぐ事ができる鉛筆削り。

それを使えば最後まで使い切れる。


ほんの少し手間は必要みたいやけど、捨ててしまうよりは全然良い。


やっぱり皆同じ事を思ってたんやな、と少し笑ってしまった。

それをちゃんと実現してくれた開発者の方にお礼を言いたい。



なんだかふと、人も同じなんじゃないかとも思った。


自分自身も、他人も、気持ちも、関係も。

継ぎ接ぎだらけでも、ほんの少しの気遣いや想いで繋いでいけるのかな、と。



この鉛筆削りを見つけた時、そう言われているような気がして、"繋ぐ"の意味を物語っているような気がして、これまでの自分を反省した。



まだまだ学ぶ事が沢山あるな。

誰かと一緒にいて、相手の知人(私は知らない)にばったり遭遇し、「あ〜久しぶり〜!!」と盛り上がっている二人の間に挟まれた時。


狭い道で向こう側からくる人とすれ違おうとして、お互い同じ方向に避けてしまい正面衝突した時。




電車で移動中、イヤフォンが抜けてしまっている事に気づかず、LINEで友達から送られてきた意味の無いボイスメッセージを爆音で再生しかけた時。




お互いの事はわかるけどあまり話したことの無い人とたまたまエレベーターで乗り合わせた時。




苦手ながらやっとこさ料理を仕上げ、さぁ、食べるぞ、と食卓に持っていこうとした途端お皿ごと落として床にぶちまけた時。




誰かとご飯を食べていて、最後の一つがかなり長い間お皿に取り残されてパサパサになっている時。




奇数グループの中でペアを組む事になった時。




カラオケで、間違えて知らない人の部屋に入ってしまった時。




待ち合わせで、「お待たせ!」と後ろから声をかけたら知らない人だった時。




公共の施設のトイレに行った後、出口ですれ違いざまに目が合った男性が、私が男子トイレから出てきたと思ったのか、間違えてそのまま女子トイレに入りそうになった時。




皆さんにも、上手く言えないあれ、ありますか?

ひんやりした隙間風とか、薄手のパーカーを引っ張り出すとか、聴こえる鳴き声や羽音が変わったとか、ベージュやブラウンのアイテムが増えてきたとか、気づけばぬるりと、夏が終わっていました。



が、彼らとの本当の戦いはこれからなのです。



通気口や窓を開けて過ごすことが増えるこの時期、いくら網戸を閉めていても、あの網目のどこから入った?と言わんばかりに存在する。



いや、ただ存在するだけならまだ良い、全然良い。でも、そうはいかない。私達は常に狙われているのです。



図らずも人間にとって嫌〜な周波数を纏いながら飛び回り、私達の大切な血液を奪った上に、終いには痒みを引き起こしては悩ませる。



そんな彼らの事は、私も好きではありません。

特に地元にいた頃なんかは、気温が上がるにつれ、窓にびっしり彼らが張り付いて、それはそれはもうお世辞でも気分が良いとは言えない光景でした。



ただ、人間にとって何のメリットも無い彼らでも、人間の手やら、緑の渦巻きやら、スプレーやらで簡単に命まで奪われるというのは、それはそれでなんだか気の毒だなと思う瞬間があります。



仕方ないと言えば仕方ない。

彼らにとっては、それが生きる術であり、命を謳歌しているだけ。



でも、彼らの動きはコントロールできない。

じゃあどうすれば、せめてその場で命を奪わず済むだろうか、一番平穏な答えが導き出せるのだろうか。

そんな事を考えながら毎夏、部屋に入ってきた運の悪い子達と戦っていくうちに、少しずつ彼らの扱いが分かってきました。

他の虫と同じように、外に逃がしてあげればよかったのです。



ある時ふと、彼らを両手で叩くのではなく、そのまま掌を丸めて、手の中に捕まえてみよう、と思い、彼らの進行方向の後ろからそっと、そして素早く、両手を被せてみました。



そして、まさかの初手で成功。


「とった!!!!!!!

お"ね"ぇ"ぢゃ"ん"!!!!!!!!」


まるで、となりのトトロでメイちゃんがまっくろくろすけを捕まえるあのシーンそのものでした。



「え、いけた?確実に今手の中にいるよな…!? 中で死んじゃってない…!?」



結局そんな事を考えているうちに、緩んでしまった指の隙間から、あっという間に逃げられてしまったんですが、それが私の中で大きな進歩でした。



次のチャンス到来。

さっきと同じ要領で手の中に収め、そのまま肘を使って窓を開け、手を離すと、そのまま飛んでいってくれました。



これだ。



それから何度か、ちょうど手や指の接地面に彼らが挟まれてしまって上手くいかなかったこともありましたが、徐々に慣れていき、今では片手でこなせるようになりました。




良ければ皆さんもチャレンジしてみてくださいね、なんてそんなことを書いている今、目の前の白い壁に一匹、今にもこちらに飛んで来そうな様子。



今年はどれだけ彼らを逃がしてあげられるだろう。


もはや敵は彼らではなく、自分との戦いになりつつあるかもしれません。