当初の予定には無かったのですが、

やはり行きたくなって寄り道ですあしあと

 

 

難波宮跡

 

大極殿基壇の復元がなされていますが、広い公園。

藤原宮や平城宮、飛鳥宮跡とは違い、ビル群に囲まれていて

不思議な感じがします。

 

難波宮は孝徳天皇のイメージでしたが、聖武天皇も

難波宮を建てているとか。

平城宮から恭仁京、志香楽宮、難波宮と転々として

平城宮に落ち着いたらしいのですが、恭仁・志香楽は

記憶にあったけど難波宮もだったのかぁびっくり

 

空堀町の交差点から北上する時に道の造作が気に

なっていましたが、この道の地下には難波宮の

回廊や築地跡があるそうです。なるほど

 

次はさらに時代を遡ります

 

 

玉造稲荷神社

西暦紀元前12年創祀とか。キリストが生きている時代ですビックリマーク

 

 

蘇我氏と物部氏の戦いでは聖徳太子がこの地に陣を

敷いたそうで、伝承に基づいたオブジェ(再元はてなマーク

がありました。

 

 

 

玉造の名のとおり、古代の世ではこの地で勾玉製造が

なされていたんだとか。

神社内に資料館がありますが、1週間前までに要予約電話

 

 

豊臣大阪城の鎮守社だったため、豊臣家との縁も深く、

豊臣秀頼の像があります。

 

 

 

豊臣秀頼寄進の鳥居。

阪神大震災で被災し、このように保存されています。

 

 

千利休は神社の南側に居を構えていたそうで

顕彰碑が建立されていました。

 

 

厳島神社がここにもあります。

安芸の厳島神社は行ったことがないので、ここで参拝お願い

 

 

玉造稲荷神社は、お伊勢参りの起点だったとか。

 

さまざまな時代の痕跡のある神社でした音譜

 

日が高くなってきたので旧日生球場、キューズモール

で休憩コーヒーします。

 

 

隣接して森の宮遺跡がありますが、公開日では

無いので、通り過ぎますあしあと

 

 

今回は裏側から入ってばかりですね…あせる

 

 

森ノ宮の由来である、鵲森宮(森ノ宮神社)です。

 

聖徳太子が最初に四天王寺を建立した場所だとか。

物部守屋の難波の宅の場所は不明ですが、怨霊鎮めが

目的で社を建てることはあるある。

ここが守屋宅跡であった可能性もありますね。

 

 

百人一首にも登場する大友家持の歌碑

この地を詠んだということではないようですが

鵲つながりということでしょうかはてなマーク

 

半日コースの歴史散策は終了。

お昼寝してから帰宅の途に車