おぃっす (^o^)/ 俺ぃらだ!!
ココも、ガキの頃からしょっちゅう前は通り過ぎてたけど、
一度も足を留めたことが無かった場所だ


当時は国道20号線ギリギリの所迄敷地で、
上の写真の駐車場になってる所に、佐藤道場があったそぉ



門を入ると建物正面玄関が出てきて、当時のままの姿で迎えてくれる

現在の入り口は、下手側の台所からになってるけど、
当時は玄関から入ると直ぐにこの玄関の間があり、
来客者は先ずココで来意を告げて控えたそぉ
因みに、土方歳三はココがお気に入りで、風通しも良い事もあって、
しょっちゅうこの間で寝っコロがってたそぉだ

昔の人はお洒落だなぁ・・・と感心させられたことがあって、
不動産関係の人にとっちゃぁあたりめぇの事らしいんだけど、
釘隠しにこだわってて、それを見たら一発で何の部屋かが判る
よぉになってて、各家で色んなモノを使ってたんだそぉ


この佐藤家では『菊』が公の間で、さっきの玄関の間なんかに付いてた


やわらかいイメージだからってぇ事で、
『兎』を使った釘隠しは、家族が使用する間で使われてた

そしてコレ!!
『蝙蝠』は暗い所に隠れているってぇ事で、秘密の間に使われてた


この間がそぉなんだけど、実はココ、あの『市村鉄之助』が
2年間匿われてた間なんだそぉ

土方歳三の遺品を届けた後、賊とされてた彼ら新撰組生き残りは、
どぉしても隠れて生活をしなけりゃならず、まだ少年の彼にゃぁ
生きていく事すら儘ならねぇだろぉ、ってぇことで佐藤彦五郎が匿っていた
実はココに伺うまで知らなかった事があった!
なんと、20歳頃の

明治天皇

が、兎狩りの後に二度
この日野宿本陣を訪れ、水浴びをされていたという事
これにゃぁビックリした

明治天皇が20歳の頃ってぇと、明治6年頃の話になる
その当時のこの地域の状況はってぇと、賊を出した地域って事で
明治政府からは睨まれ続け、住民達もひっそりと隠れながら暮らし、
新撰組の事は何も語らず隠し続けてた
コレは俺ぃらのあくまでも推論なんだけど、
明治天皇自身かあるいは侍従達は、たまたま此の度の事では新撰組は
敵となり、罰せられる事となってしまったが、実はそのよぉな組織
ではなく、尽忠報国の士であると分かっていたのではないかと
そこで、現在の彼らや関わった人・地域の状況を、何とか救うには
どぉする事が良いのかを考え、新撰組の多摩での本陣である『日野宿本陣』を、
あえて天皇陛下が訪れる事としたんじゃねぇだろぉか
この事は、日本国中に絶大なメッセージを発したはず
最早、明治天皇は新撰組及び多摩地域を朝敵とは見ていない
『許している』というメッセージが・・・
ホントに俺ぃらの勝手な推論なんだけど、わざわざ二度も訪れてる
ってなぁ、そこに意味を持たせてるとしか思えねぇんだ
この事があって、佐藤家のみならず多摩地域の住民達は、
相当楽にその後の暮らしがおくれるよぉになったんじゃねぇかと思う
やっぱり国を統べる人ってなぁ、民の事を一番に考えていて、
例え一地域の小さなことでさえ、しっかりと見てるもんなんだなぁ・・・
改めてこんな風に感じた一日だったよ
