本日は亡弟の命日でございます。
ちょうど7回忌にあたる日です。










高校卒業後、地元の三菱自動車販売にメカとして入社。私の現在の勤務先から目と鼻の先にあるディーラー勤務でした。
そこで数年間勤務した後、自分自身でやりたい事が出来たようで・・・退職し、地元でバーテンダーとして知り合いの店に弟子入り。そして念願の自分の店を出せるところまでこぎつけました。
駅前に小さなスペースでしたが自分の店を持ち、いろいろな方との交流を図りながら”さあ~、これから!”という時に、体に少々異変が起きていました。
長引く咳、そして妙な場所から発せられる鈍痛・・・かかりつけの医者の勧めで県立中央病院を受診したところで、弟を悩ませていた症状の原因が判明しました。

『肺ガン』

進行度を示すステージ、かなり高いスコアでした。
ドクター曰く・・・”もう外科的処置は出来ない・・・”ところまで進行していました。
細胞診を行いますと、やはり悪性。
外科的処置が出来ないという事で、抗がん剤投与と放射線照射による治療を行う事になりました。
腫瘍の拡大が見られなかったことから、通院による治療を継続することになったのですが・・・その年の冬に、大腿部に身に覚えのない痛みを感じるようになったそうです。
その後の診察で、大腿部の骨に腫瘍が転移していることが判明。年明けを待って際入院。
まさかの骨への転移でした。骨髄への転移は恐ろしいくらいのスピードで各臓器へ転移を始めました。
脳、眼、胃、肝臓・・・その他ありとあらゆる臓器に転移してしまい、6年前の今日3月17日夜9時半過ぎに息を引き取りました。享年34歳。
あまりにも若すぎる死でした。

最後に選んだパジェロ、実は死の4ヶ月前に購入したクルマ。ディーラー勤務時代の友人から”非常にコンディションの良い物件がある!”との勧めで購入したもの。
弟も初めて自費で購入したのがこの型のメタルトップワイドだったので、思い入れが強かったようです。
私のところにもすごく嬉しそうに連絡入れてきていました。いいクルマ見つかったよって。

34歳・・・若すぎますし無念さも尋常じゃなかったと思います。それでもやりたい事を悔いなくやれた事は、それはそれで良かったのかなと・・・今となっては想う所です。

唯一一緒の遺伝子持った、たった一人の弟・・・本日は思い出と共に過ごしたいなと思っております。