数年前、私は


「幸せとはなるものではなく感じるもの」


この言葉に出会い、生きることがとっても楽になり、人生が変わりました。


高校生の頃から、20代後半まではとくに

「幸せ」というカタチを追い続けていて


学生の頃は

この人気の会社に就職できたら幸せになれる。

かっこいい彼氏ができたら幸せになれる。



二十歳を超えた頃からは

結婚したら幸せになれる。

マイホームを持てたら幸せになれる。

子供ができたら幸せになれる。

お金があれば幸せになれる。

起業できたら幸せになれる。



などと、当たり前のように


「幸せになるためにどうしたらいいか」


でいつも頭がいっぱいだった。



なんとかしてそれらを手に入れなければ幸せになれない!

と思い込み、嫌な出来事があっても


「幸せになるためだからと」


と、感じる心を閉ざしていつもポジティブシンキングをしていた。疑いどころ満載ですね。


立ち止まることもできず、常に突っ走る日々。

本当に心も身体も苦しかったな。



今はまだ、かたい蕾でも、いつかふわっと花開くよ



そもそも私はなんでこんなにも「幸せになりたい」と思って生きてきたのか?というと


自信がない、価値がない自分が嫌だったから


なんですよね。


周りが羨むようなことを手に入れたら、すごい人になれる、自分に自信が持てる、価値が生まれると思っていた。



さらに言うと

自分で幸せになろうとするよりも、


誰かに幸せにしてもらおう


という気持ちの方がはるかに大きかった。

「結婚してくれなきゃ幸せになれない!」とか本気で思ってた(笑)


誰かに幸せにしてもらおうとする時、必然的に相手をコントロールしたくなる。

だから余計に無駄な体力を使って疲れるし、相手との関係性も悪くなる。悪循環でしかない。


そんな風に生きてきた私にとって、

「幸せとはなるものではなく、感じるもの」

この言葉に出会った時は



「えっ⁈私、こんなにも幸せになるために頑張ってきたのに、頑張る必要ないの?」

と、もう頭をガーンと殴られたような衝撃を覚えました。


でも、もしも、本当にそうだとしたら?

もう幸せになるために頑張らなくても、何かを手に入れなくても、私の価値には関係ないのだとしたら?



「私、変わりたい」



もう「幸せになるために」行動するのをやめよう。

「幸せにしてもらおう」と相手をコントロールするのをやめよう。


1人で勝手に幸せであろう。

幻を追い求めるのをやめて、

今ここで、存分にこの世界を味わおう。



そう決めました。


そしてノートで自分が感じているどんな些細なこともよく聴いて、世間の声ではなく、自分の本当の願いのもと、行動するようにしていきました。



そのおかげで心に余白ができ、これまで感じたことのない至福や、季節の移ろいをたくさん感じられるようになった。








私には価値がない、自信もないから変わりたいと思っていたけれど、感じられる、このすばらしい機能が備わった体がある、それだけですでに価値があることだって気付いた。



私にとっての至福は自分の内側から湧き出てくる温かい泉のような


はぁ〜幸せ

落ち着く

安心する


という感覚。


一瞬一瞬立ち止まって

今この瞬間を味わえるって、なんて幸せなんだろう。



私が感じたこと

経験したことは

全て喜びであり価値がある。

このままで十分価値がある。



この前提で生きると人生はますます豊かになる。



そして、今このことを振り返って改めて気づいたことがあったので、次の記事に書きたいと思います。