67話、2つに分けました。
潤side
「潤!!」
もう声が出せない…
あなたを呼ぶことができない…
そう諦めかけていたとき、キンッと頭の中を突き刺すように櫻井さんの声が届いた。
重たい瞼を持ち上げることができずに目は閉ざしたままだけど、僕は耳に伝わる音だけを頼りに櫻井さんの気配を感じとる。
僕の周りで何が起こっているのかわからない。
ただガタガタとぶつかる音や櫻井さんの叫ぶ声だけが微かに聞こえた気がして、僕はまた櫻井さんの名前を呼ぶ。
届いて…櫻井さん…
それが最後の記憶。
「…う、は…ぁっ…、さく…ら、さ…、」
ふと意識が浮上するも、身体の中では何かがまだ暴れ回っていて苦しい。
今僕のそばにいてくれる人は櫻井さんだと信じて、導かれるがままに熱を吐き出していく。
意識がなくても僕にはわかる。
この手は櫻井さん、
この肌の感触は櫻井さん、
この心地よい声は櫻井さん、
この香りは櫻井さん……
全身で櫻井さんを感じていた。
もし櫻井さんじゃなかったら死んでお詫びする。
でも絶対に僕は間違ったりしない。
僕の身体は、あなたにだから熱をもつんだ。
息ができる。苦しくはない。
熱をすべて解き放つと僕は完全に眠りに落ちた。
────────
「………っ、た…」
二日酔いみたいに頭が痛い、身体が気怠い。
「…あれ……?」
身体がまるで思うように動かないことに気づく。
「潤」
冷たかったトイレの壁と空間、芳香剤と混ざった気持ちの悪い香水の匂いはここにはなく、今僕を包み込むのは暖かい毛布といつもの櫻井さんの声。
「櫻井さん…ぼく…は…、っん…」
カサカサな唇に櫻井さんのうるうるな唇が重なる。
それだけで心の中までも潤った気になるから不思議だ。
だけどそんなふんわりとした気持ちになるのも束の間、昨夜のことが脳裏を掠める。
未だ残る恐怖で身体が震えそうになるから、思わず櫻井さんに触れようとした。
でも…、
櫻井さんからの再三の忠告を守れなかった僕はあなたに触れてもいいのだろうか?
櫻井さん以外の人に散々触られては汚れてしまった僕にあなたを求める資格はあるの?
覚えていないだけでもしかしたら僕の唇も…
もう…
そう考えたら、伸ばしかけた手を引いてしまう。
唇を噛む。痛みが走る。
悲しいのか、悔しいのか、情けないのか、涙が零れる。
「潤…、大丈夫…。俺がいる。
ずっとそばにいる。」
「櫻井さん…、、ふ…ぅっ」
引っ込めた手を握り、ただ横たわる僕を抱きしめて呪文のように櫻井さんが繰り返す。
大丈夫…
俺がいる…
ずっと…
染み渡る魔法の言葉に縋るように僕は泣いた。
「潤は何も悪くない。
悪いのは俺だ。」
僕の無自覚な行動を責められてもおかしくはないのに、なぜか櫻井さんからの謝罪。
「ど…して…?」
謝るのは僕の方。
「言いつけをちゃんと聞いてればこんな事に…
ごめんなさい…。」
「そんな風に謝らなくていい。
潤の自由を奪うつもりはない。
潤には自分の意思があるんだから。」
「でも…、」
「潤は俺の事を考えてくれていたんじゃないか?
アルコールもあのカクテルだけ。
ずっとジュースだったと聞いた。
潤が身勝手なことをしたとは思えない。」
「なんで…」
なんでそんなに優しいの?
怒って責められたい訳じゃないけど、こう咎めることもされないと申し訳なさが込み上げてくる。
「潤は優しいから、後輩であるアイツにカクテルを薦められて断れなかっただろ。
運が悪かった…なんて言葉では片付けられないけど、潤は騙されただけだ。」
「それが隙…だって事だよね…。
なんで櫻井さんがそこまで言うのか、今までわからなかった。
こんなことになるなんて、思ってもみなかった…。」
何度も繰り返される一連のシーン。
自分のことなのにどこか客観的に見えてきて、
抵抗を失くした僕の身体に被さる彼の姿がフラッシュバックする。
櫻井さんが来てくれてなかったら…
「いやだ…」
思い出したくないのに彼の気味の悪い笑顔が目に焼き付いて消えてくれない。
「怖い……っ!」
まだ彼の手が僕にまとわりついているみたいな感覚がして、軽くパニック状態になる。
抱きしめてくれる櫻井さんの綺麗な手までも黒く見える。
「潤、大丈夫だ…」
「僕は汚いんだ!僕に触らないで!!」
「潤!!」
振りほどいても、拒絶しても、それでも櫻井さんは僕を捕まえる。
息ができないほど、強く強く僕を抱き締めた。
「お前ほど綺麗なヤツは他にいない。
俺の大好きな潤…。
誰よりも愛してるんだ、潤を。
だから余計に心配になるし、口うるさくもなる。
お前があまりにも可愛いから、勝手にヤキモチを妬いてしまう。
潤の目には俺にしか映して欲しくないんだよ。」
「櫻井…さん…?」
「もっと早く言っていればよかったよな。
そうしたら潤を不安にさせることもなかったかもしれない。
ごめん、こんな気持ちになったのは初めてで、どうしたらいいのか自分でもわからなかったんだ…。」
初めて見る櫻井さんの余裕のない顔。
いつも自信に満ち溢れていて、出会った頃からずっと強引で人のことなんてお構い無し、物事は勝手に決めちゃうし、僕はいつもついていくのに必死で…、仕事も何でもできる完璧人間。
そんな櫻井さんの本音はどこにでもいる普通の人の感覚だった。
恋人への嫉妬。心配。不安。
僕と同じ…。
僕が勝手に櫻井さんへのハードルを上げてしまっていたんだ。
「同じです、僕も。
櫻井さんはカッコよくてスマートで、周りが注目すればするほど、いつか誰かに奪われちゃうんじゃないかって…すごく不安だった。
撮影中、変に意識してしまったせいで誤解させてしまいました。
もっと僕だけを見て欲しくて…。
櫻井さんをメロメロにしたくて…。」
「俺は最初からお前以外考えられない。
見たいとも思ったことはない。
俺の所にはこんなにも愛おしい人ががいつも一緒にいるのに、まったくありえない話だ。
もう俺はこれ以上ないくらい潤にメロメロだというのに!」
照れたような、拗ねたような顔もする。
それはきっと僕にだけに見せる顔。
「大好きです、櫻井さん。
僕をずっとずっと離さないでいてください。」
伸ばしかけた手、今度はちゃんと櫻井さんの首元に絡めて僕からも抱きついた。
「そんなもんとっくにそのつもりでいる。」
②につづく