翔side
「………ん?」
誰かに呼ばれたような気がしたが……。
まさかな、ここに山間の場に人が来るわけがない。
ましてや、この場所に自分を知る人なんて今はもういないはずだ。
日射しの眩しかった数時間前。
レースのカーテンからはもう光が差していない。
窓に近づき外を眺めると晴天の空は一転、どんよりとした雲に覆われている。
「雨…、降るかな…。」
山の天気は変わりやすい。
幼い頃、夢中で蝶を追いかけていたから迷子になってしまい、雨に降られてしまったことがあった。
その時から、何度も親父から忠告を受けた。
山の中で遠くに行って雨に降られると、次は生きて帰れるかわからないと脅されたものだ。
この別荘に来たのはあれから数回、小学生以来。
もういい加減手放そうとしていた別荘がこんな形で使う日が来るとは思ってもみなかった。
「あ、降ってきた…。」
大粒の雨が落ちたと思えば、みるみるうちに雨音が響いてくる。
土砂降りの雨。
出会った日、君は雨に濡れていた。
別れた人を想い…、
そして、泣いていた。
潤が泣くと雨が降る。
この突然の雨は潤の涙か?
今も泣いているのだろう…。
黙っていなくなった俺を想って。
カーテンを閉じて、目をつぶる。
『櫻井さん…』
雨の音に混じって潤の声が聞こえてくるようだ。
泣いた顔、怒った顔、恥じらう顔、笑った顔…、
どんな顔をする潤も好きだ。
ごめんね、潤。
誰にも言わず、勝手に決めた。
時間がなかった。
あの時俺にできることはこれしかないと思った。
お前が誰かに抱かれるなんて許さない。
お前が犠牲になる必要はない。
お前は永遠に俺だけのもんだ。
潤は誰にも渡さない。
──────────
「失礼します。
うちの松本になにかご用でしたか?」
映画祭の途中。
潤に接触してきた奴がいた。
遠目からであったが明らかに潤の表情が変わったのがわかった。
驚き?動揺?困惑?
どうとも捉えられるが、明らかに一瞬潤の笑顔が消える。
「誰だ、アイツ…。」
異変を感じ、俺はすぐさま潤の元を離れた彼に声を掛けた。
「あ、櫻井副社長じゃないですか!」
「私をご存知で?」
「えぇ、よく知ってます。
イケメンでやり手で僕らの間では超有名人ですよ。」
「失礼ですが、あなた様は?」
「申し遅れました。」
渡された名刺に…
「…しょう」
「聞いてませんか?僕のこと、潤から。」
「……えぇ、多少なり。」
コイツか。
あの日、潤を泣かした奴は。
顔なんて知らなかったけど、すぐにピンときた。
「もう貴方様と潤の関係は終わってるはずでは?
今更会いに来る必要などないでしょう。」
「潤がそう言ったの?
少しの勘違いが大きな誤解を与えたようです。
潤は勘違いしている。
僕達はまだ終わっていない。」
「潤にはもうそんな気はないですよ。
彼は新たな道を踏み出したんです。
劇団にいた頃から知っているのなら、彼の夢を遠くから応援して頂きたい。
潤の邪魔、、しないでください。」
言葉だけは丁寧に伝えたつもりだが、とにかく俺はコイツが嫌いだ。
コイツが潤を好き勝手に抱いていたかと思うと、いくら過去の事とはいえ虫唾が走る。
ましてや、潤の心でさえも支配していたかと思うとイラついてきて堪らない。
「アハッ、君は近くにいるくせに潤をまだよく知らないんだ。
潤は俺に会いに来るよ。
さっき潤に連絡先を渡したんだ。
潤はね、ああやってフワフワして優柔不断に見えるけど、必ず答えを出したがる。
今頃、久しぶりに再会した僕のことで頭がいっぱいだろうね。
なぜ?どうして?…てね。」
「こんな名刺を渡して、潤を脅すのか?」
ゴシップ誌の編集長という肩書き。
潤との関係をバラすと弱みを握るつもりか?
適当な事書いたって握りつぶしてやるだけだ。
「潤は優しい子だからさ。
自分のことより君たちの事、庇うんじゃないかな?」
「君…たち?」
「あなたのとこにはなぜこんなにも才能のある人がいるのでしょうね。
才能を開花させた潤、天性の才能を持つ二宮和也。」
「お前……二人をどうするつもりだ。」
「あなたには優秀な弟がいるじゃないですか。
二人も自分の手元に置かなくても、ねぇ…」
この男、知ってる。
俺とカズが異母兄弟であることを。
どこから調べた?
俺の周りで怪しい動きはなかったはず。
「何が言いたい。」
「潤は返してもらいますよ。
あなたにこれ以上染められる前に。」
俺がコイツに敵意を抱いている様に、コイツもまた俺に敵意を向けてくる。
まるで潤を奪ったお前が憎いと言っているようだ。
「今をときめく若手俳優と言えど、愛人の子はマズいんじゃないですか?
ほら、浮気だ不倫には世間は厳しい。」
「アイツには関係のないことだろう。
なぜカズのことを調べる。」
「潤の事とは全くの別件でね。
売れっ子の過去を調べるのは当然でしょ。
今はいくらいい子だって、昔はヤンチャしてるもんです。
そしたら、こんな過去があったなんて…
あなたの父親も有名な演出家であるならば遊びも大概に…」
「そんなこと、今はどうでもいい。
この事と潤は関係ない。」
コイツは潤の心理を完全に把握している。
カズの過去を使って、潤を追い込むつもりか。
「あれ?戻らなくていいの?
ステージの近くにいないと潤が心配するよ。」
見れば出演者はすでにステージ上に登壇して、一列に勢揃いしてる。
心なしか潤が俺を探しているのか周りを見渡してキョロキョロしてるようにも見える。
俺が近くに行ってやらないと…。
「では、失礼…」
「ちょっとよろしいですか?」
立ち去ろうとするショウを引き止める。
同じ名前のコイツの名をもう潤に呼ばせない。
「私が取引に応じます。」
「あなたが?何を言って…」
潤とカズを巻き込む訳にはいかない。
守るべき人、愛する人。
大切な家族と恋人。
潤の為のビッグプロジェクトが決まってる。
こんな奴に邪魔されたくない。
「しかし、潤だけはあなたに渡す訳にはいきません。」
「は?これまでの話聞いてたよね?
そんなことは潤が決めたらいい。
潤がこのことを聞いたら…」
「その前に私と話を…、
後程お時間を頂けませんか?
けれど、今は申し訳ない。
潤が待っておりますので。」
すっと頭を下げ、視線を交わすことのないままその場を後にする。
待ってて、今行くからな。
俺を見つけた潤の顔は心底ホッとした顔をしていた。
大丈夫だ、潤の居場所は俺が守ってやる。
潤が必要なのは俺も同じなんだ。
だけど、たとえそばにいられなくても愛する人を守りたいと思うのは間違いだろうか。
より一層強く降りしきる雨が潤の涙だと思うと気持ちが揺らぐ。
潤を守ったつもりが苦しめていたら…、
それは、辛いな…。