潤side



『こないだ忘れ物した。
遅くに悪いんだけど、行ってもいい?』


今日という日が終わる頃、翔くんからの電話の着信。
一瞬出ることを戸惑ったけど、その着信画面に浮かぶ櫻井翔の文字がどうしようもなく愛おしくて、通話をタップしてケータイをそっと耳に当てると、期待通りの低音ボイスに心が震えた。





昼間、ニノとの会話から少しだけ気まずさを感じた俺は取材を終えると、「お疲れ様」とだけ声をかけ、目を合わすことも出来ずに楽屋を後にした。
普段なら予定のない夜は誰かを誘って気を紛らわすことが多かったけど、でも今日はそんな気分になれずに家にあるビールを一缶だけ開け、半分ほど飲んだ。

「おいしくない…。」

冷たくて喉を潤すはずのビールはいつもなら簡単に一本は空けてしまうのに、残した半分はそのまま缶の中でぬるくなっていく。

飲む気にもなれなかった。
人とも会う気にもなれなかった。

「忘れたい…。」

あの日のことも、あの日起きたことも、あの日話したことも、少しだけ感じた幸せさえも。

どうしてこんなにも翔くんが好きなのだろう。

傍にいたいのに、傍にいるのが辛い。
こんなに苦しい恋をするのなら、出会わなければよかったのかな。


そんなことばかり考えていた最中の着信だった。




──────────


「寝るとこだった?」

「ううん。で、忘れ物?
見る限りそれっぽい物なんて…」

「物じゃねぇんだ。」

「じゃ、なに?」

「……飲んでたの?」

テーブルに置きっぱなしの缶ビールに視線を向ける。


「少しだけ…」

「家で飲むのはいいけどさ、あんまり外では飲み過ぎんなよ、こないだみたいに。」

なに?俺、怒られてる?
そんな事を言うためにわざわざここに来たの?
若干溜息混じりの言い方をされてカチンとくる。

「……だから?」

泣きそうな声を誤魔化すために声も低くなる。


「あんなに記憶なくすまで飲んで送らないと帰れないなんて、自分の立場わかってる?
無防備にも程がある。
酔っ払ってグダグダに力が抜け切ってりゃ、いくら男だってな…」

「だから!なんだって言うの!?
こないだの事、説教しに来たの?」

翔くんに迷惑かけといて、こんなこと言う資格はないのに自分の心を防衛しようと、言葉はどんどん乱暴になる。
さっきまで翔くんを想って、苦しくて苦しくてどうしようもなくて。
翔くんからの電話に実はちょっとだけ嬉しさを隠せない自分がいて…

なのに……


「ちが…っ、」

「酔って記憶なくして、翔くんに迷惑かけた。
あの日のことは確かに俺が悪いから…謝る。
けど、もう翔くんに余計な心配掛けたりしないから!
もう翔くんに送れとか泊まれとか、そんな昔みたいに甘えたことはこの先絶対言わないから! 
だからもうほっといてよ!
用がないなら帰って!」


最悪……

せっかく今まで押さえ込んできたのに。
せっかく耐えてきたのに…。

爆発した感情に耐えきれず俺の目からほろほろと涙が溢れていた。
泣いたりしたら、翔くんがまた気にしてしまう。
翔くんは優しいから。
言ってるそばからまた翔くんに迷惑をかけてしまう自分が情けなくて、さらに涙が頬を伝う。



「お願い…帰って…」

泣いてることバレてるよね。
泣き顔なんて見られたくない。
俯いたままの状態で懇願する。


立ち尽くしたままだった翔くんはつかつかと俺の前まで来ると強引に頬を掴まれ、顔を上げさせられる。

「やっ…!」

抵抗するものの、もう一度グッと引き上げられ、涙でぐちゃぐちゃな俺の醜い顔が翔くんの目の前に晒される。

「やめろよ!なにするっ!」

「お前さ、ホントに覚えてないわけ?」

「はっ?」

「お前は酔っ払って子供みたいに素直だったよ。」

「悪かったな、今は素直じゃなくて。」

「そうだな。今のお前は嘘ばかりだ。
なぁ、あの夜、お前は俺に何を言ったんだと思う?
ジュニアの頃のお前に戻って考えてみなよ。 」

「そんなのどうでもいいから離してよ!」

「答えたら離してやるよ。」

近い距離。
翔くんの鋭い目。
ニヤリとうっすら上がる口角。
さらに俺を頬を掴む手が強くなる。

答えなきゃマジで離してくれなさそう。
早く言わないと、このままの状態はもう逆に恥ずかしい。


「答えりゃいいんだろ。」

「ほら、言ってみ?」

ちょっと楽しんでないか?
この際、当たって砕けろだ。
言ってやる!


「う…んと…、ジュニアの頃、俺は…」


『しょおくん、しょおくん!』
幼い俺はずっと翔くんを追いかけてた。

尊敬と憧れ…それはいつしか恋になった。



「しょおくん、大好き。……とか。」

それしか答えはない。
今も昔も俺の気持ちはこれしかないんだ。


「ふはっ!ド直球。」

答えさせといて、翔くんは次の瞬間には吹き出しやがった。

「うるさいな。
もう答えたろ、離してよ。」

「やだね。」

「なんでだよ!約束が違う……」

「離したらお前逃げちゃうもん。」

そう言うと、頬から手を離した。


あれ?離したじゃん。

「…?
う…わっ…!!!」

離れた手は次の瞬間、強い力で俺を引き寄せる。

翔くんの力強い腕が俺の背中に回されて、
翔くんの熱い吐息が耳元を掠めて、
翔くんの心臓が俺の胸にぴったりとくっついて、
ドクンドクンとどちらともわからないくらいに脈打つ鼓動が響いて。



「忘れ物、受け取りました。」

「…。」

これは夢か?幻か?
それとも地球の滅亡か?
俺、死んじゃったりしないよね…?