【カウントダウン】



高々と舞い上がる白球。

そこにいる全ての人はきっとその打球の行方を見ていただろう。

けど俺は…、俺だけは一塁ベースに向かって走る君をずっと見ていたんだ。


真っ黒なユニフォーム、流れる汗、砂で汚れた頬。

この目に焼き付けよう。

君の夏を。





君と出会ってから15年が経とうとしていた。
俺と君の家はお隣同士でその15年をずっと見てきたんだ。


保育園もサッカー教室も習い事も、とにかくなんでも俺のあとを追ってきてた。

可愛い弟。
そんな感覚。
いや、違う。

潤をそういう風に思い始めたのはいつ?
あぁ、きっとあの時からだ。

潤が初めて俺と違う道を歩んだあの時。


「ぼく、野球やりたい。」

あの時、自分の意思を初めて口にした君が俺から離れていってしまうんじゃないかってドキリとしたのを鮮明に覚えてる。
もう俺のあとばかりついては来ることはなくなるんだ。
そう思った。


潤は弟ではない。
俺のトクベツ。

それが恋だと小学生ながらに気づいたんだ。






潤は小学校にあがると同じクラスのニノと呼ばれる子と仲良くなった。
ニノは小さい頃からキャッチボールが大好きで、小学校から少年野球チームに入ったらしい。

見学に誘われた潤はすぐに野球の面白さにのめり込んでいった。
俺の真似をしてやっていたサッカーとは違って、初めてやってみたいと思ったスポーツ。
好きで始めたんだ。
だから上達も早い。
ニノとはそれからずっとバッテリーを組んで頑張っていた。

だから俺も潤に負けないように、恥ずかしくないようにサッカーに打ち込んだんだ。


 

数年たっても関係は変わるはずもなく、俺は高校二年に、潤は中学三年になっていた。


「しょおくん、こんばんは!」
ひょこっとベランダから顔を出す。
屋根伝いに行き来してる。
俺らだけの秘密の通路。

「お前また…。」

「だって…。」

「まぁ、いいけど。」


俺が中学、高校になると会える時間が格段に減ってしまい、時々夜になるとこうやって忍び込んでくる。
来てくれてすげー嬉しいのに、なんか素っ気なくしてしまうのは君に気持ちがバレるのが怖いから。

俺にも事情があるわけで…。

あどけない表情ながら、成長していく君は愛らしくて可愛い。
余計に困る…。



「しょおくん!すごい!満点なの!?」

潤の声で我に返ると机の上に無造作に置きっぱなしの中間テストを潤がヒラヒラとさせる。

「すごいなぁ、しょおくんは。
勉強もできて、サッカーもできて、きっとモテモテなんだろうなぁ。」

「そんなこと…、」

「きっと僕なんかじゃ手の届かない人になっちゃうんだろうなぁ。」

俯いて寂しそうに言うから。

「そんなことない!」

少し強めに言ってしまったんだ。



「えへへ、そうだね。ごめんね。」

「なぁ?」

「ん?」 

「なんかあった?」

「…なんもないよ。」

「嘘つけ。」

「ねぇ、しょおくんの夢はなに?
サッカー選手?あー、頭もいいからなんでもなれるよ、しょおくんなら。」

なんてはぐらかそうとする。


「僕はね、プロ野球選手て言いたいとこだけど、それは無理ってわかるしね。
せめて甲子園とかさ、憧れだよね。」

「やっぱりそこ目指すの?」

「んー、高校球児の夢だよね。」

『夢』と語る潤の瞳はどこか虚ろで光がない。
現実が見えてきている俺達にとって夢はもう夢でしかないのかな。


「ほら、貸してみろ。」

潤が持つ解答用紙のプリントの裏にマジックで力を込めて書いて目の前にかざす。

「夢、追いかけようぜ。」


『めざせ!甲子園!!翔』


「あははは!しょおくん、パクリじゃん!」

「いいんだよ!俺は国立目指すからな!
お前もぜってー追いかけてこい。」

「満点の裏なんてご利益ありそ…、…ぅ…っ、」

笑いながらも涙を零す。
無理に笑おうとするから、俺まで苦しい。


「潤、どした?
やっぱりなんかあったんだろ?」

「ニノが、ね…。」

「ニノ?」

「ニノが転校するって…。
最後の夏だけど行かなきゃならないんだって。
もう一緒に野球できなくてごめん、て…。
僕、ひとりで頑張れる、かな…ぁ。
うぅっ…、けほっ!けほっ!!」

「潤、咳…。お前また風邪引いて…。」


梅雨に入り雨が増えると決まって体調を崩す。
思えば雨や台風や季節の変わり目…。
昔から風邪を引きやすかった。


「だ、大丈夫…。部屋戻るね。」

立ち上がり力なく笑う潤をなんとか励ましたくて。
思わずその肩を引き寄せた。


「しょおくん?」

「ニノがいなくなるなんて不安だよな。
一緒に夢追いかけてきたんだもんな。
俺はさ、ずっとお前を見てきた。
小さい頃から頑張ってたこと知ってるから。
それだけは絶対忘れんなよ。」

「うん…、ありがと…。」


触れた肩だけでは足りなくて、俺は小さな宝物を守るように優しく、でもぎゅっと…

静かに涙する君を抱きしめていた。





つづく