8月のお盆の最中、

103歳の祖母が天国へ旅立ちました。

 

 

2日ほど前に熱を出し、

医者からもう長くはないと言われ、

東京に住む家族が順番に

最後の別れをしに駆け付けました。

 

数日後、施設に泊まり込んだおばたちのそばで、

明け方に息を引き取りました。

 

 

周りにいる友人も、メキシコの家族も

夫の両親、兄弟、いとこから叔父伯母まで、

みんながお悔やみの言葉を送ってくれました。

 

 

祖母は戦火をくぐりぬけて、私の父の兄弟4人全員を

一人も欠くことなく育ててくれました。

 

 

手先が器用で、なんでも自分で作るし、

彫刻をやったり、株もやったり、頭脳も明晰。

 

いつでもよく笑うんだよ、

楽しいと思うことをやらなくちゃいけないよ、

といつも言って実践している人でした。

 

 

カメラを向けると、手鏡で身だしなみを整えて

素敵な笑顔でカメラに向かうそんな人でした。

 

 

いとこたちと遺影を選ぶ時、

素敵な写真がたくさんあり、

どれもいいね、と迷いました。

 

 

お葬式は親戚のみ、

子供からひ孫まで25人ほどが集まりました。

 

 

ちょうど今年の5月、姉の3人目の子供が生まれ、

亡くなる1週間ほど前に祖母と対面できたようです。

 

 

私の父は、不思議だけれど、亡くなる命があれば、

ちゃんと新しく生まれる命があるんだね、

とつぶやいていました。

 

 

いつか自分の両親だって

私より先に天国に旅立つ時がくる。

その時に私も命を紡いでいたいと思うのです。

 

そして自分と自分の家族を大切にして

生きていきたいと改めて感じました。

 


 つい最近こんな話を聞きました。


「人は時に自分の価値を

見失うこともあるかもしれない。


でも、自分の評価を30点だとつけたなら、

自分を育ててくれた家族、その先祖まで

30点だと言っているのと同じこと。

 

 

反対に、自分を育ててくれた存在、

ご先祖様たちに感謝し、尊敬し、

すばらしい存在だと思うなら、

自分自身にもその価値がある。」と。

 

 

 

死はいつだって私たちに

生の意味を喚起してくれます。


私たちにはご先祖様がいて、

彼らが命を紡いでくださったからこそ

今の自分がある。


そのことに改めて祈りと感謝を

送りたいと思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます!