若年性認知症。 -9ページ目

若年性認知症。

若年性認知症ってなんなのよ。
何も分からなかった。今も知らないことばかり。
これからも分からない。だけど忘れたくないからここに残します。
大丈夫!きっと私たちはいい方向に向かってる。



電話相談で包括支援センターという場所を教えてもらい、
教えてもらった番号へすぐに電話をしました。

これからどうしていくかなどの話がしたいと
後日、姉と母とセンターに行った。


姉仕事の休みを聞き担当の方と都合を合わせて
私は主人に子供を託せる日!

私は車なし生活だったので姉が私を迎えにきてくれて、母を迎えに行き、、帰りも。
姉の休みが母のことで動く日になっていく日々が始まります。

姉の家からスムーズに行ってうちまで40分、うちから母の家まで30分。大きな国道を通るので渋滞で大幅に時間がかかることもあります。

夜勤明けでも動いてくれる姉には頭が上がらない。

運転はできないけど、私には調べたり電話したりすることはできる。
けど、いつもごめんねとありがとうと。。


うちはまとまりのない家族だけど。

母の病気が分かってから、家族を感じることが増えた。
自分が家族の一員なんだって感じた。



包括支援センターで父にもきて欲しいと言われ、父姉私3人でセンターへ。
同じ車で同じ時間を過ごしたのは
いつぶり?小学生ぐらい???記憶にありません。

だけど不思議なのは何も息苦しくなく
緊張もしない。
普通。


帰りに一緒にご飯を食べた。
そこで、今までどんなことがあったのかを父に話した。

私と姉が育った家に父は1人で暮らしていた。

母は私が22歳の時に家を出ることを決めた。
正社員になった私と姉と。

元々仲が良くなったし居てもいないような?
家族みんなバラバラで
私が中学生の頃にはそんなだったような。。


勝手に家を出た母、病気になった母。

変わらずに何も言わずにただただ
話を聞いてくれた父には感謝しかない。


包括で言われた介護についての話。

介護と言う内容には全く当てはまらなくて
イメージもわかない。

数ヶ月前まで1人暮らしで仕事も生活も1人でやってきたのに。

これからどうなってしまうのか、
若年性認知症の資料を色々用意してもらったのだけど初めて聞く言葉と不安とで
全く頭に入らない。


介護とかの前に母の身辺の整理をしなければ。
私は専業主婦、金銭的に助けてあげられない。
これからの生活費どうするんだろう。。

こう言った話を母にしても、大丈夫だよ〜としか言わない。
人ごとのような、危機感を全く感じていない様子。
隠そうとしていたのもあるかもしれない。

けどもっと現実的な話をしないとママ。
生活していくのってお金がかかるもんね。。


離婚していなかったのが本当に謎だけど、

離婚していなかったから戻れる場所があって。

私も姉もそれだけが唯一の救いだった。

私と姉から、母をこの家に戻らせたいと
父にお願いした。


父も言いたいことは山ほどあっただろう。
だけど、だけれども、

「俺から戻ってこいとは言わないけど戻ってくるなら戻ればいい」
と。。


この話をすると母は嫌そう。
話しをそらす。逃げる。



私と姉はそんな母にイライラ。。
嫌な空気。

イライラしても何も変わらないから
今できることを1つずつ片付けていこう。。

帰りの車は姉も私もぐったり。
帰ったら子供も主人も待っているのに
うまく切り替えれなかった。夜も寝られない。