5年間で抗がん剤治療は20コース以上。
大量化学療法による自家移植を一回。
同種移植(臍帯血)を二回もして、
毎回、寛解まで持ち込む事ができたのに、
これでも出てくる神経芽腫というしつこい病気。難しい病気。
二度目の臍帯血移植を終え、
この年、ユニツキシンという神経芽腫の新薬がこのタイミングで承認されました。
何年も、何十人もの子どもたちやそのご家族が、この新薬の承認を待っていたと思います。
再発予防である新薬、抗GD2抗体を2コースしていたのに、
腫瘍マーカーが上がり始めました。
画像を撮ると、多発骨転移がわかり、骨髄にも転移、
最悪な事に、中枢神経にも転移が認められました。
今までで一番、最悪な状態でした。
再再再発。
その翌月の2月から治療が始まりました。
もう、手探りの手探りです。
「治す事は難しい」と言われ、
「治す治療」ではないです。
「延命治療」です。
痛み、苦痛を取り除く事を目的とした、
「対症療法」です。
今までの効果と副作用を天秤にかけて、
割とよく効いたIREC(イリノテカン、エトポシド、カルボプラチン)から始めました。
1コース後の評価は、良くも悪くも著変なし。
ただ、一部やや増悪。
2コース目も同じケモをする事にしました。
全体的にやや増悪。新規病変も。
これは効いていないと判断し、腎機能も十分保たれていたので、
3コース目は、神経芽腫でも一番きついと言われている、
05A3(シスプラチン、エンドキサン、テラルビシン、オンコビン)をする事にしました。
さすがに、副作用も骨髄抑制も強く、ぐったりする時間が長く、娘らしさがなくなりました。
評価は全体的には改善されていましたが、一部は増悪。
劇的に効いているという印象はなく、
このレジメンのケモは何度もやるようなものではない。
副作用がきつく、隔離期間も長く、帰れる時間も短い。
今、何の為にこんなきつい治療をしているのだろう。
と、その時、自分の中で思いました。
そして、強い治療はやめようと思い、
次の治療は、IT(イリノテカン、テモダール)+アバスチン。
名大病院の教授や小児科の先生たちが、神経芽腫ではあまり使われていない、
アバスチン(脳腫瘍で比較的よく使われている)を神経芽腫でも使えるようにして下さり、
そのレジメンでいく事にしました。
この治療だと、副作用も骨髄抑制もほとんどなく、家に帰れる時間が長く、娘にとって理想的な治療でした。
中枢神経の腫瘍も画像上、薄くなっており、それなりに効果を感じ、
医師達も、弱い治療なのに思った他効いている。と判断しました。
副作用があまりなく、二週間以上も家に帰れる時間を作れる事は大きく、
このイリノテカン、テモダール、アバスチンの治療を続ける事にしました。
しかし、やはりこのレジメンはそんな強いケモではなく、
途中、だんだんと痛みやNSEが上がる間隔が早くなったり、
効果が薄れてきてると感じていました。
そこで、痛む場所に痛みの緩和を目的とした放射線治療も併用しました。
しかし、照射箇所によっては、アバスチンとの相性が悪い事から、
アバスチンはしない方が良いとなりました。
そして、アバスチン無しなら、地元の病院でもできるのと、
病状も悪くなってきたので、
このタイミングで地元の病院へ戻り、
IT(イリノテカン、テモダール)を本来、5日のところを4日に減量して、
在宅医療の力も借り、通院しながら、再再再発治療13コースしました。
2022年
2月 IREC
3月 IREC
4月 05A3
5月 IT+アバスチン
6月 IT+アバスチン
7月 IT+アバスチン
8月 IT+アバスチン
9月 IT+アバスチン 放射線照射
10月 IT+アバスチン
11月 IT+アバスチン 放射線照射
12月 IT 放射線照射
2023年
1月 IT
2月 IT(1日目のみ)
途中、ハイパーサーミア(温熱療法)を受けてみようと、診断書など書類を集め、
あとは、受診するだけまで進めてもらっていたのですが、
娘の体調や体力的にできるタイミングがありませんでした。
ハイパーサーミアは回数は決まっていますが、保険適応だし、
話を聞いてみると、副作用や自分の中で怪しさはなく、
効果はわかりませんが、
痛みの緩和や抗がん剤の効果を上げる補助的な効果がある。と、説明を受け、
体調が良い子など、無理のない範囲で受けてみてもいい治療なのかな。
なんて、思いました。
振り返ると、この1年、本当に娘はたくさんがんばりました。
この1年間だけではありません。
3歳の頃から5年3ヶ月、息を引き取る前日まで、抗がん剤治療を頑張ってました。
こんなに頑張ったんだ!!!
と、叫びたくなるし、
我が子ながら誇りに思います。
忍耐強く、頑張り屋さんの自慢の娘です。
そして、これだけの治療をしているのにも関わらず、
娘の腎機能は、全く落ちなかったこと。
それも抗がん剤を続けられた要因でもあります。
世の中には、治療を頑張っておられる方がたくさんいらっしゃって、
みなさん、奮闘しているかと思います。
もし、私が娘の立場なら、娘みたいにここまで治療を頑張れるかな…
もし、今、自分が癌と診断されたら、治療をするだろうか。
精神的にも肉体的にも辛いであろう抗がん剤。
果たして自分は治療をする選択をとるのだろうか。
怖くて逃げてしまいそうです。
情けないですが、そんな事を思ってしまったりします。
再再再発治療中も、笑顔はありました。
しかし、昨年秋ごろから、顎の骨の腫瘍が悪さをし出し、
喋ること、笑うこと、歌を歌うことが上手くできなくなってしまいました。
食べる事も難しい時もありましたが、食べることが好きな娘は、
それでもいつも、一生懸命食べていました。
そんな姿は本当に見ていて愛おしい気持ちでした。
それからは、次々とあちこち痛みだし、貧血が進み、病状が勢いを増してきました。
娘の治療が、同じ病気で闘っておられる方や、
今後、どなたかの参考になればいいな。と、願い、
連日、長々と治療の振り返りを投稿させて頂きました。
娘を救えず、同じ病気で闘うみなさんの希望となるような内容ではないかもしれませんが。
何か治療の事で、ご質問等ございましたら、いつでもお気軽にお声掛けください。
おわり。