前の文章にも何度か書いているが、やたら「社会に出る」ということに敏感になっている。


単純に、大学を卒業して、みんなは出ていて、俺は出ていない。

カタリバを卒業した人のなかで「うらまやしいよ」と俺にいってくる人がいるが、

俺は全くの逆。


ブログからだったり、実際に話を聞いたりすると、うらやましく感じる。


実際に社会での仕事は俺がやってることとどう違うんだろう。

どんな研修をやったんだろう。どんなセンパイがいるんだろう。

営業ってどんな感じなんだろう。完全実力制ってどんな感じなんだろう。



一応、社会に出る方法は身近なもので2つあるとおもう。

1.ふつーに就職活動する。

2.カタリバ経由で社会に出る。

これは、たぶん、ずっと悩み続けることなんだと思う。


でも、明らかに今の社会人のみんながやっていることでやれてないものがある。


マナー

一般常識

自己体調管理


つまりは、もっと自分に投資する時間を作れって話だ。(今、風邪引いてるし)


やっぱり「裕(ゆとり)だ」

何事も「裕(ゆとり)だ」

ただし、ずっといるつもりはない。社会に出たいという気持ちは正直ある。

だから、1年間だけ、カタリバでがんばって、社会に出ようと思った。


1,2年くらいだったら、カタリバで自分が成長できると思う。

だけど、それ以降は成長が鈍る気がする。

その理由は、競争がない(少ない)から。

カタリバのようなことを本格的にやっているところは他にはないと言う点が一つ。

そして、カタリバに関わる人のほとんどが学生。

やはりもっと魅力的な人と競走し、共走したい。


今、述べたことはカタリバと社会の違いでもあるが、違いはもう一つある。

それは「お金」。

まず、自分のお金に関して。ボランティア団体の職員は仕事の成果によって報酬が変わるなんて事はない。

そして、自分が対象とする人のお金に関して。

高校生は夢とか目標について考えるとき、お金と言うのはそれほど重要なことではない。

社会人にとってはお金は重要な部分。

それだけではない。家族のこと、結婚のこと、勤務地など、色々な条件、状況がある。


って書いた。

就職活動がほとんど終わってしまったので正直書いてしまうが、これは本音ではない。

就職活動用に「作った」もの。

その会社は経営コンサルの会社だが、「広告」から経営を立て直す会社だった。

確かにうちの会社が担当していた会社の建て直しは世の中にもみとめられるくらいに

建て直しがうまくいっていた。けど、その会社で働いている「人」に関する部分には一切手を加えていなかった。

一方のカタリバは「コミュニケーション」。高校生と真剣に向き合って、その生徒の思いを引き出し、

将来に向けて背中を押してあげる。

直接「人」に「個人個人」に対して「きっかけ」を与えることができる。

これもうそ。ではないが、そのときは全然、そんなこと思ってなかった。最近思ったこと。



正直なことを書くと、カタリバは成長できる場だと思う。

確かに社会に出たことが無いので出たいと思うし、いずれ出るであろうけど、

おれは社会の人が経験できないことを経験しているのだと思う。

正直、不安だった。タメのみんなは社会人。おれはそうではないという事態。


けど、俺は俺なりに社会人に負けないくらいやっていると思うし、

もっと、もっとやりつづけたい。



なんか、メラメラしてきた。風邪っぽいからさらに体が熱い。


ちょっと、いま、ふと、この日常をここまでに至った背景を毎日書いていきたくなってきた。

もし俺が世の中に何かしらの影響を与えられるようになったとき、それが、日記を書きつづけることが、

その毎日溜めていったものが財産になる気がしてきた。


頑張ろう。。。頑張れるかな。

俺は大人と話すことが苦手。

面接のときも、確かにあの場の雰囲気というのもあるが、

大人を前にすると、ぜんぜん話せない。

焦って、パニくって、何言ってるかわからない。


また、ぜんぜん話が展開せず、「そうなんですか~。・・・・。」ってことはよくある。


過去を振り返ってみると年が上の人に話すことが苦手になった要因かもしれない事柄がある。


まず、うちの親は、すごく厳しい人で、中高のとき部活をやらせてもらえず、

さらには「公務員になれ」と言われていて、反抗できなかった。


さらに、去年の4月に経営コンサルの会社で働いてたときのこと。

社長やNO.2の人が凄すぎて、怖くて、何もいえなかった。


なんか言っても返されて、次に何を言っていいかわからなくなって、終わり。



同年代や年下や女性には言えるのだが、年上の男性はどうも苦手。

次に自分の長所と短所を書いていこうと思う。


まず、長所から。2つ前と同じ内容だが。


俺はサポーティブな立場で何かをする、していると感じるときが一番モチベーションが上がる。

カタリバの活動もそう。

カタリバの広報統括を引き受けたのもそう。

コンビニで外国人のアルバイトに日本語講座をやったのもそう。

高校の文化祭のとき、文化祭の係ではないのに、なぜかすっごくお手伝いをして、

文化祭前日学校に泊まってまでやってたのもそう。

小学校のときやたらいとこの子供の面倒を見ていたのもそう。


なんで、俺がはこんなにこういうことにモチベーションが上がるのかとふと考えた。

俺はお母さんにすごく似ている。

お母さんは余計なお世話とたまに言われてしまうくらい、世話好き。

世話とは少し違うのかも知れないが、休みの日になると、親戚中に電話をかけみんなの状況を

常に知ろうとしているし、俺が野球をやっていたとき、他のどの親よりせっせせっせと動いていた。

大学のときも俺がスーツを着るということが事前に分かっていると、

革靴を朝せっせせっせを磨き、すぐに履けるように準備してくれている。


なんで、お母さんはこんな風に世話好きなのかを考えてみた。

前にこんな話を聞いたことがある。

うちのお母さんは9人兄弟の3番目(4番目?)である。

一番下の妹とは10歳差。

で、やはりおじいちゃん、おばあちゃんは9人も子供がいるということもあってか

かなり忙しく子供の世話をできなかったらしい。

で、お母さんは一番下の妹を学校におんぶして言って、世話をしていたらしい。

今ではとても考えられない。授業中とか泣いたりしたらどうだったんだろう。

あ、とにかく学校でも家でも常に小さいころから「世話をすること」というのを

常にやる環境にあったといえる。


それが今でもお母さんの体にしみこんでいて、それがDNAとして俺に引き継がれたのだろう。

(お母さんにはさすがに勝てないが)

俺の長所は自分の過去をさらにお母さんの過去を振り返ってまでいえるもの。



で、短所。

慎重すぎることがたまにあること。

一つ前の日記で名刺の件について書いたが、確かにみんながハッピーになれたのだが、

少し、慎重にいろいろ考えたり、もう一つの短所ではあるのだが、人のことを気にしすぎてしまい、

その問題を説明したり、相談をしようとする時に相手が忙しかったりすると躊躇してしまい、

時間がかかってしまった。その結果、名刺を渡すべきときに準備ができなく、

渡すのが遅れてしまった。

人のことを気にしすぎるというのは、もう一つ、前のブログにも書いたが、

ゼミの先生に正式に内定をもらったのに先生の忙しさなどをすごく気にしてしまい、

言えずに内定取り消しの原因になったときにも出ていた悪いところである。


でも、今、このように自分を振り返ったりしていくうちにそれを改善することを結構意識するように

なっていて、

今は、どんなカタチであれ、とりあえず、何かあったら、すぐに伝えるようにしている。

それが後々に問題を起さない一つの方法でもあるし、みんながハッピーになれるので。


基本的にはA型だと思ってもらっていいと思う。

でもいろんなアイデアがぽんぽん出るとたまに言われるので、

O型の要素も含んでいる。

俺AO型だからね。


今、カタリバで広報を統括している。

その広報で大変だったことと、そこから得たことをつらつら書いていこうと思う。

大変だったことは2つある。


1.実は今が大変なのだが、今まで3年間で250人のスタッフだったのが、この3ヶ月で一気に550人くらいになった。広報的には今大成功しているのだが、

そこで問題になるのが、カタリバに興味を持ってくれている人は多いのだが、その人たちがカタリバのイベントに参加したり企画に参加したりしてもらうにはどうしたらいいのかということである。

最近入ってくれた人は、あまり、カタリバができた経緯やどういう想いでカタリバをやっているのかなど中身のことをあまり知らない人が多い。

それが少しでも解消したら、新しくスタッフになってくれる人やこれからなってくれる人たちが企画に参加したいとより思ってくれるのではないか

と思い、夏に「カタリバ取材班プロジェクト」と言うのをやろうと思っている。

カタリバの代表や副代表、運営スタッフ、社会人、学校の先生、高校生などあらゆる人に取材をし、色々な視点から「カタリバ」というものを述べてもらい、たくさんの人に「カタリバ」を知ってもらうというプロジェクトである。



2.俺は5月に広報を引き受けたのだが、引き受けたとき一つ問題があった。

ある名刺発注会社に4月中に名刺を100枚発注するという約束をしたのに、40人分しか発注できていない

という問題があった。それを対処することが最初の使命だった。

その問題が挙がったときに、「他の名刺発注会社もあることだしめんどくさいからやめちゃえば?」という意見もあったのだが、

その名刺会社の代表はすごくいい人で学生がたくさん集まるイベントに招待してくれたりしてくれていた。

いろいろな情報を収集して、発注をやめることは相手にとってすごく失礼だし、ハッピーじゃないし、

ゆくゆくはカタリバにとってもハッピーじゃなくなると思い、改善策を考えた。

結局は1辺に100枚ではなく、学校企画が月2、3ペースであるので、その企画ごとに発注をお願いして、

それを1年間お願いするという形になり、

今では新規スタッフも増え、企画ごとに3,40枚発注をお願いできていて、その会社の代表とはいい関係になり、

また企画の最後に名刺を渡すことによって、カタリバキャストの証の役割も果たしていて、

その企画を経験した人が名刺を配りつつ自分の企画での体験談を語ってもらえるので、

広報の効果もあがり、広報的にもカタリバ的にもハッピーで

全員がハッピーになっている。



で、広報統括をやって得たことを話そうと思う。

1に関係することなのだが、物事を広い視点で捉えることと、それらを実行する力がついたと思います。

今までのカタリバの広報といえば、口コミ、WSイベント開催、とHPしかなく、HPも更新性が弱く、しかも

何をやっている団体かいまいち分かりにくかった。

その今までの広報をもう一度見つめなおし、もっと色んな切り口で広報できるのではないか、

と思い、

今ではHPもリニューアルして、さらに更新性を良くする為にブログをうまく活用し、さらにはそのブログと連動して

お届けするメールマガジンの発行もスタートした。

さらに、大学に渉外に行き、授業の最後10分15分をお借りしてカタリバの紹介をしたり、

私たちから積極的に色々な学生団体のイベントに参加したり、自分たちがWSを行ったり、

イベントに参加するときもビラを数パターン用意し、さらにカタリバ登録カードというものをつくったり

などなど、

色々な方向性を考え、実行した結果が、3ヶ月で300人というものにつながっていったのだと思う。


2のほうは結構カタリバの職員になってから得たことという意味合いが強いのだが、

今まではカタリバには1スタッフとして参加していて、たしかに高校生にきっかけをあたえるという大前提はあるものの、

自己成長と言う観点が結構強かった。

だが、カタリバの職員になってから、自分のことより自分以外の人のこと、

利己より利他という観点が強くなっている。

あの名刺の件もそう、カタリバ全体のことスタッフのこと名刺会社の人、その名刺会社と関連のある学生団体のことなど、

自分の損得よりも他の損得をより考えるようになった。この点でも視野が広くなったと言えるのかもしれないが。

広報においてもいかにカタリバを魅せ、カタリバにたくさんの人を巻き込み、企画に参加してもらうかということを考えながら動いている。


利他の精神が結局は自分の成長につながっているのだと思う。


「自分の名前に恥じない人生を送る」というのを思うにいたったわけは、
あるとき、お父さんになんでこういう名前をつけたのか聞いたときがあって、
「光」というのはおじいちゃんが「光重」でお父さんが「光明」で3代続いてる名前で、
「裕」ってのは「何事にもゆとりをもって生きてほしい」という意味合いがこもってるらしい。
これは父方の俺に対する想いがすごい詰まってて、すごくこの名前をつけてくれ
て感謝してるのね。

で、名前は父方の想いがすごく詰まってるんだけど、性格はお母さんにそっくり
なのね。
俺は、サポーティブな立場で何かをするときに一番モチベーションが上がるのね。
カタリバで、高校生に対してしてるのもそう。
広報統括をやり始めたのもカタリバで一番かけていた部分を補うと言うかたりで
やり始めたし、
コンビにバイトでも外国人のアルバイトさんに日本語講座やったり、
もっとさかのぼると小学校のときなんだけど、うち、いとこがすごく多いのね。
(お母さん、9人家族)
親戚のおばちゃんが子供の面倒見るのが大変なとき、小学生の俺がすごく面倒見
たりとかしてた。

これってなんでだろうと思ったら、うちのお母さんがそういう人だったのね。
俺より世話好きで、たまに余計なお世話と言われるくらい。

で、お母さんは何でお世話好きなのかを考えたんだけど、
お母さんは9人兄弟の3番目でお母さんと一番下の妹とは10歳差なのね。
で、おじいちゃん、おばあちゃんは忙しくて一番下の妹の面倒が見れなかったの
ね。
だから、お母さんは学校にその妹をおんぶして行くくらい面倒見てたのね。
小さいころから面倒を見ることを常にやってたのね。
俺は、そのDNAを受け継いでるんだ。


話し長くなっちゃったんだけど、要は、父方から名前を、母方から性格を受け継
いでいるのよ。

で、あるとき自分の名前を漢和辞典で調べてみたのね。
「裕」は「ゆとり」という意味と「ゆたか」という意味があってさ、
「光」は英語に直すと「light」
「light」には「光」、「明かり」などの意味があるけど、
「火を灯す」「道案内」という意味もあるらしい。


こんな背景がありまして、
「光裕」という言葉を
「裕(ゆとり)ある心でたくさんの人に触れ合い、あらゆる光を用いて、
人の心や人生を裕(ゆたか)にしていくこと」
と言う風に意味づけして、これに恥じない、これにふさわしい人生を送ろうと思っ
たわけです。


で、「個人個人が置かれている状況において一番ハッピーは方向にいけるような
きっかけづくりをしていきたい」というのはこの人生目標とつながっていて、
カタリバに来る前までは、どのようにして人の人生をゆたかにしていくことが
一番自分がモチベーションが上がるか分からなくて、
で、広告から経営をコンサルする会社に行ったけど、
確かに会社の業績は上がったけど、そこで働く人に対するコンサルしてなくて、
それはハッピーではないと思って、
で、カタリバでは、もろに「人」対象にコンサルというかきっかけを与えること
ができてて、
それはお互いにとってハッピーになれるもので、
俺は「人」いフォーカスを置いて「人」がハッピーな方向にいけるようなきっか
け作りがしたいと思ったの。

で、「人」の一生の大部分を占める「職」に関してきっかけを与えるということ
はその人に大きな影響を与えることができて、
それが企業貢献、社会貢献につながると思うのね。

俺は、それをしていきたい。

去年の4月、経営コンサルの会社から仮内定をもらった。

その会社に行くことになった背景は、

まず、ちょうど、その話がくる前に自分の性格だったり、今までの行動だったりから、

「サポーティブな立場で人や会社などを元気にしていきたい」というのがあった。

経営コンサルはまさにそれだった。ってのが1つ。


で、もうひとつはゼミの先生の紹介。

ゼミの先生がそこの会社の人から「男の子が一人欲しい」ということで

俺が呼ばれた。

その会社は去年の4月、俺が入ったときにちょうど出来た会社で

(といってもその半年前から母体はできていたんだけど)

一応、立ち上げメンバーということになる。


一応まだ(仮)なので、その会社で働きながら「正式」内定になるように頑張っていた。


ちょこっと変わり始めたのは夏に留学に行った時からかな。

仕事は確かに楽しかったけど、卒業前になんかしたい!って思って、

オーストラリアに短期留学に行った。

このオーストラリアに行ったのも背景があって、

ゼミの先生に日本の「世間」に関する本を渡されて、その本が面白くて、

世間に関する本を読みまくった。

で、「世間」は日本やアジアの一部にしかな海外にはないからというので、

それを確かめるために行ったのも背景としてある。


で、現地の教育関係の仕事で働く日本人の方数人と話をし、

日本とオーストラリアの教育の違いを知ることができ、

教育に興味を持った。


で、日本に帰ってきてまた普通に仕事をしていたのだが、

とあるきっかけでNPOカタリバという団体に11月に出会った。


ちょうど、同じ時期くらいに会社の社長から正式に内定をもらうことが出来た。


で、あのすごい社長に認めてもらったことがうれしかったり、カタリバの活動が楽しかったりで、

充実した毎日を過ごしていたのだが、悲劇がやってきた。12月30日。


突然社長に呼ばれて、怒られて一端内定取り消しを通告された。

理由は二つ。

うちの会社の社長はネットで名前検索しても出てこないくらい、守秘義務を徹底している。

で、俺はずーっとブログを書いていた。もちろん社長が守秘義務を徹底しているのは知っていたので、

社長の名前も会社の名前もやっている事業内容も自分の仕事も一切、公表していなかった。

けど、社長からすると当然その会社のことについて書いてあることはわかる。それがひとつ。


で、もうひとつは、その会社を紹介してくれたゼミの先生に内定をもらったことを報告していなかったこと。

もちろん、お世話になっていた先生なので、言わないでおこう何て思っていなかった。

言わなかった、いえなかった理由は2つある。

先生が普段より増して、11月12月は忙しく、話をする時間がなかったこと、

それから、当たり前なのだが、ゼミの中に仕事のことを持ち出すな、ちゃんとゼミは学生として受けろ

ということを言われていて、仕事の話が出来なかった。

そんな感じで言えなくて、ちゃんと新年会の時に言おうと思っていたのだが。というのが2つ目。


で、それを言われた年末正月は沈んでいて、1月中カタリバの活動をしながら、もう一度、自分自身と向き合って考えてみた。

「サポーティブな立場で人や会社などを元気にしていきたい」という思いがあることは言った。

それに当てはまるものが今2つあった。

その会社とカタリバ。


その会社とカタリバで決定的に違うことは2つあった。

1つは雰囲気。その会社の社長をはじめ社員は大企業出身者でいわゆる「縦社会」でベンチャーであっても

風通しが非常に悪かった。社長がすごすぎるのもあるが俺や若い社員は意見を全然言えず、

いわゆる「イエスマン」。「おはようございます」「お疲れ様でした」しか言わない日もあったくらい。

カタリバには代表と副代表がいるが、意見をしっかり聞いてくれて、言いたい事もはっきり言える。

さらに、カタリバは俺がちょうど入った頃から急成長してきて、その成長に合わせて、

俺のカタリバでの必要性というのも自分勝手だが、感じてきていた。


2つ目が重要で、「きっかけ」を与える方法の違いがある。

その会社は経営コンサルの会社だが、「広告」から経営を立て直す会社だった。

確かにうちの会社が担当していた会社の建て直しは世の中にもみとめられるくらいに

建て直しがうまくいっていた。けど、その会社で働いている「人」に関する部分には一切手を加えていなかった。

一方のカタリバは「コミュニケーション」。高校生と真剣に向き合って、その生徒の思いを引き出し、

将来に向けて背中を押してあげる。

直接「人」に「個人個人」に対して「きっかけ」を与えることができる。


このカタリバの活動を通して、「人」にフォーカスを置いて「人」にその人が1番HAPPYな方向に

いけるようなきっかけ作りをしていきたい、と思えるようになった。


でも、カタリバはNPO。社会人ではない。ボランティア。

そこでもまた悩んだ。みんなはちゃくちゃくと社会人になる準備をしている。

カタリバにいくということはみんなに先を越されることなのではないか?と思った。


でも、卒業したら必ず社会人にならないといけないわけじゃないし、

大学生でも社会人でも経験できないことだってあるし、これはまさにそれ。

お金が関係しない社会貢献。

単純にこれをやってみたいと思った。

しかも、自分が成長できる場はあると確信を持てたし、代表は魅力的な人だし、

また、この1年がカタリバにとって非常に重要な年だと思うし、その場に自分がいて、

貢献したいという気持ちが強く出た。


そんなことを考えているときに実はその会社から戻って来いと言われていた。

けど、その一件で自分と向き合って、いろいろ考えて、カタリバに行こうときめて、断った。


ただし、ずっといるつもりはない。社会に出たいという気持ちは正直ある。

だから、1年間だけ、カタリバでがんばって、社会に出ようと思った。


1,2年くらいだったら、カタリバで自分が成長できると思う。

だけど、それ以降は成長が鈍る気がする。

その理由は、競争がない(少ない)から。

カタリバのようなことを本格的にやっているところは他にはないと言う点が一つ。

そして、カタリバに関わる人のほとんどが学生。

やはりもっと魅力的な人と競走し、共走したい。


今、述べたことはカタリバと社会の違いでもあるが、違いはもう一つある。

それは「お金」。

まず、自分のお金に関して。ボランティア団体の職員は仕事の成果によって報酬が変わるなんて事はない。

そして、自分が対象とする人のお金に関して。

高校生は夢とか目標について考えるとき、お金と言うのはそれほど重要なことではない。

社会人にとってはお金は重要な部分。

それだけではない。家族のこと、結婚のこと、勤務地など、色々な条件、状況がある。


ただ、「人を1番HAPPYな方向に進んでもらうためのきっかけ」を作るのではなく、

『個々人の置かれている状況において』一番HAPPYな方向に行ってもらいたい。


そういう風に思うのはもちろん自己成長させたいのはあるが、なぜ自己成長させたいかと言うと、

人生の目標を達成するため。

それは自分の名前にふさわしい人生を送ること。

自分なりに「光裕」と言う名前を意味付けしてみた。


「ゆとりある心でたくさんの人とふれあい、あらゆる光を用いて、たくさんの人の心を、人生をゆたかにしていくこと」


これを死ぬとき、自分に問うて死にたい。


名前にふさわしい人生を送るには、高校生だけでなく、色んな人とふれあい色んな人をHAPPYにするための「きっかけ」を作っていきたい。


だから、社会に出たい。




大学1年の5月から、なんだかんだで3年の8月くらいまでかな?

コンビニのアルバイトをやってました。


主にやったことと言えば発注担当。


発注に関しては、カップラーメンと無印良品とカップ味噌汁担当だった。


その仕事の中で大変だったことは2つ。

(1)売り場の環境維持のためにはみんなの協力が必要なんですが、

  コンビニというのは外国人のアルバイトの人が多く、人によりけりなのですが、

  結構、手を抜いて仕事をする人が多い。

  それだと、困るので、お客さんがあまりいない時間を利用して、

  カップラーメン売り場の前に立たせて、

  例えば、「こうやって商品がちゃんと前に出ているのと出てなくて商品の顔がみれないものと

  どっちを買いたいと思う?」みたいな感じで質問をしながら、

  一つ一つ丁寧に教えていった。

  その結果、みんながちゃんと理解してくれたらしく、ちゃんと環境を整えてくれて、

  しかもその中の2人の外国人の子が別の売り場の担当になるくらいまで成長してくれた。


(2)あるとき、発注をするのを忘れてしまい、売り場がすかすかになってしまったことがあった。

  店長にすごく怒られ、「今後続けるか辞めるか1日考えろ」と言われて考えた。

  辞めようとも思ったけど、せめて、マイナスになってしまった売上分だけでも取り戻してから

  辞めようと思って、その日以降、ほぼ毎日コンビニに行っては、売り場を環境をチェックし、

  しっかり発注をし、さらに、もっと売上をあげるべく、品の並べ方を大幅に変えて、POPを使ったりして、

  売り場にお客さんの目を向かせようと必死に努力した。

  そしたら、今までうちのお店は月間地区売上1位を獲得したことがなかったのだが、

  取ることが出来た。


そこで得たこと

(1)しっかり誠意をもって、相手の気持ちを考えながら接すれば理解を示してくれると言うこと。


(2)失敗してもそれにめげずに、めげずに努力することの重要さを知った。

  そこで頑張って結果を出せば、その失敗は過去の笑い話になる。

  

  お客さんの視点に立って戦略を考えることの大切さを知った。

  

ブログをスタートします。

書くことは、もちろん自分のことについて。


特に今は就活をしている身なので、

自分を振り返りつつ、面接で聞かれたことをフィードバックして整理するために、

書いていく部分が多いと思います。


今まで、どういうことがあって、出来事の節目節目にどういう思いで、どういう決断を下し、

どう行動していったか、など、正直につらつら書いていこうと思います。