去年の4月、経営コンサルの会社から仮内定をもらった。
その会社に行くことになった背景は、
まず、ちょうど、その話がくる前に自分の性格だったり、今までの行動だったりから、
「サポーティブな立場で人や会社などを元気にしていきたい」というのがあった。
経営コンサルはまさにそれだった。ってのが1つ。
で、もうひとつはゼミの先生の紹介。
ゼミの先生がそこの会社の人から「男の子が一人欲しい」ということで
俺が呼ばれた。
その会社は去年の4月、俺が入ったときにちょうど出来た会社で
(といってもその半年前から母体はできていたんだけど)
一応、立ち上げメンバーということになる。
一応まだ(仮)なので、その会社で働きながら「正式」内定になるように頑張っていた。
ちょこっと変わり始めたのは夏に留学に行った時からかな。
仕事は確かに楽しかったけど、卒業前になんかしたい!って思って、
オーストラリアに短期留学に行った。
このオーストラリアに行ったのも背景があって、
ゼミの先生に日本の「世間」に関する本を渡されて、その本が面白くて、
世間に関する本を読みまくった。
で、「世間」は日本やアジアの一部にしかな海外にはないからというので、
それを確かめるために行ったのも背景としてある。
で、現地の教育関係の仕事で働く日本人の方数人と話をし、
日本とオーストラリアの教育の違いを知ることができ、
教育に興味を持った。
で、日本に帰ってきてまた普通に仕事をしていたのだが、
とあるきっかけでNPOカタリバという団体に11月に出会った。
ちょうど、同じ時期くらいに会社の社長から正式に内定をもらうことが出来た。
で、あのすごい社長に認めてもらったことがうれしかったり、カタリバの活動が楽しかったりで、
充実した毎日を過ごしていたのだが、悲劇がやってきた。12月30日。
突然社長に呼ばれて、怒られて一端内定取り消しを通告された。
理由は二つ。
うちの会社の社長はネットで名前検索しても出てこないくらい、守秘義務を徹底している。
で、俺はずーっとブログを書いていた。もちろん社長が守秘義務を徹底しているのは知っていたので、
社長の名前も会社の名前もやっている事業内容も自分の仕事も一切、公表していなかった。
けど、社長からすると当然その会社のことについて書いてあることはわかる。それがひとつ。
で、もうひとつは、その会社を紹介してくれたゼミの先生に内定をもらったことを報告していなかったこと。
もちろん、お世話になっていた先生なので、言わないでおこう何て思っていなかった。
言わなかった、いえなかった理由は2つある。
先生が普段より増して、11月12月は忙しく、話をする時間がなかったこと、
それから、当たり前なのだが、ゼミの中に仕事のことを持ち出すな、ちゃんとゼミは学生として受けろ
ということを言われていて、仕事の話が出来なかった。
そんな感じで言えなくて、ちゃんと新年会の時に言おうと思っていたのだが。というのが2つ目。
で、それを言われた年末正月は沈んでいて、1月中カタリバの活動をしながら、もう一度、自分自身と向き合って考えてみた。
「サポーティブな立場で人や会社などを元気にしていきたい」という思いがあることは言った。
それに当てはまるものが今2つあった。
その会社とカタリバ。
その会社とカタリバで決定的に違うことは2つあった。
1つは雰囲気。その会社の社長をはじめ社員は大企業出身者でいわゆる「縦社会」でベンチャーであっても
風通しが非常に悪かった。社長がすごすぎるのもあるが俺や若い社員は意見を全然言えず、
いわゆる「イエスマン」。「おはようございます」「お疲れ様でした」しか言わない日もあったくらい。
カタリバには代表と副代表がいるが、意見をしっかり聞いてくれて、言いたい事もはっきり言える。
さらに、カタリバは俺がちょうど入った頃から急成長してきて、その成長に合わせて、
俺のカタリバでの必要性というのも自分勝手だが、感じてきていた。
2つ目が重要で、「きっかけ」を与える方法の違いがある。
その会社は経営コンサルの会社だが、「広告」から経営を立て直す会社だった。
確かにうちの会社が担当していた会社の建て直しは世の中にもみとめられるくらいに
建て直しがうまくいっていた。けど、その会社で働いている「人」に関する部分には一切手を加えていなかった。
一方のカタリバは「コミュニケーション」。高校生と真剣に向き合って、その生徒の思いを引き出し、
将来に向けて背中を押してあげる。
直接「人」に「個人個人」に対して「きっかけ」を与えることができる。
このカタリバの活動を通して、「人」にフォーカスを置いて「人」にその人が1番HAPPYな方向に
いけるようなきっかけ作りをしていきたい、と思えるようになった。
でも、カタリバはNPO。社会人ではない。ボランティア。
そこでもまた悩んだ。みんなはちゃくちゃくと社会人になる準備をしている。
カタリバにいくということはみんなに先を越されることなのではないか?と思った。
でも、卒業したら必ず社会人にならないといけないわけじゃないし、
大学生でも社会人でも経験できないことだってあるし、これはまさにそれ。
お金が関係しない社会貢献。
単純にこれをやってみたいと思った。
しかも、自分が成長できる場はあると確信を持てたし、代表は魅力的な人だし、
また、この1年がカタリバにとって非常に重要な年だと思うし、その場に自分がいて、
貢献したいという気持ちが強く出た。
そんなことを考えているときに実はその会社から戻って来いと言われていた。
けど、その一件で自分と向き合って、いろいろ考えて、カタリバに行こうときめて、断った。
ただし、ずっといるつもりはない。社会に出たいという気持ちは正直ある。
だから、1年間だけ、カタリバでがんばって、社会に出ようと思った。
1,2年くらいだったら、カタリバで自分が成長できると思う。
だけど、それ以降は成長が鈍る気がする。
その理由は、競争がない(少ない)から。
カタリバのようなことを本格的にやっているところは他にはないと言う点が一つ。
そして、カタリバに関わる人のほとんどが学生。
やはりもっと魅力的な人と競走し、共走したい。
今、述べたことはカタリバと社会の違いでもあるが、違いはもう一つある。
それは「お金」。
まず、自分のお金に関して。ボランティア団体の職員は仕事の成果によって報酬が変わるなんて事はない。
そして、自分が対象とする人のお金に関して。
高校生は夢とか目標について考えるとき、お金と言うのはそれほど重要なことではない。
社会人にとってはお金は重要な部分。
それだけではない。家族のこと、結婚のこと、勤務地など、色々な条件、状況がある。
ただ、「人を1番HAPPYな方向に進んでもらうためのきっかけ」を作るのではなく、
『個々人の置かれている状況において』一番HAPPYな方向に行ってもらいたい。
そういう風に思うのはもちろん自己成長させたいのはあるが、なぜ自己成長させたいかと言うと、
人生の目標を達成するため。
それは自分の名前にふさわしい人生を送ること。
自分なりに「光裕」と言う名前を意味付けしてみた。
「ゆとりある心でたくさんの人とふれあい、あらゆる光を用いて、たくさんの人の心を、人生をゆたかにしていくこと」
これを死ぬとき、自分に問うて死にたい。
名前にふさわしい人生を送るには、高校生だけでなく、色んな人とふれあい色んな人をHAPPYにするための「きっかけ」を作っていきたい。
だから、社会に出たい。