横浜に帰ってきて
あの地震が起こったとき
テレビでは一体
どんな映像が流れてたのか
YouTubeで見てみたの
気仙沼の映像
すごく流れてたんだね
あれ見たら
死んだって思われても
不思議ぢゃないよね…
納得する
心配してたくさんの人から
メールが入ってて
すごく励みになったし
涙が止まらなかった
ありがとうございました
忘れてはいけない
この出来事を
あの地震が起こった
3月11日14:46
その日はお母さんの
誕生日でした
あたしは朝起きて
今日はあたしが料理して
なんか食べさせてあげよう
って、
ケーキも買いに
行かなきゃなって
そう思ってた
買ってきたお土産も
届けにいかないと
って
だって10日の夕方に
気仙沼に帰ったから
まだまだやることあった
てか気仙沼に帰って
なんにもしてなかった
美味しいお母さんの料理も
友達との再会も
高校や中学の先生との
再会も
振袖も決めなきゃ
いけなかった
帰ってしたかったこと
なにもできなかった
まさかこんなことに
なるなんて思わなかった
地震がきて
一瞬でテレビが消えて
停電になって
情報はなにも
入ってこなかった
でもすぐ分かったの
感覚的に
今まで経験した地震とは
比べものにならないって
津波がくるって
20分も経たないうちに
津波はあたしの地元を
めちゃくちゃにしました
一瞬にして
今まで過ごしてきた
あったかい町並みと
何万人の命を殺した
海に流れた重油には
火がついて船は何回も
爆発して燃えつづけて
街の中にある明かりは
燃えている家と船の
火事の明かりだった
あの火の海の中に
たった3つしか
海沿いの建物は
残らなかったんだけど
その3つのうちの1つに
お母さんはいたの
死んでてもまったく
不思議ぢゃなかった
そんな状況で
3日後に
海上保安庁のヘリで
救助されて
あたしたちがいた
避難所に来て
再会できました。
お母さんは
地震が起こって
連絡が取れなくなる寸前
弟と電話できたの
そのときお母さんは
最後に声が聞けて良かった
これからはあなたが
家族を守っていって
お願いね
って言ったの
それくらい
死ぬと思ったって
目の前で
悲鳴をあげながら
津波にのまれていく
人達と燃えていく建物
地獄図だったって
2日経って
やっと街の様子を
見に行くことができた
明るくなってから
初めて現実を見ました
なにもない。
見慣れた景色も海も
ずらっと並んでた船も
建物も
なにもかも
信じられなかった
夢を見てるんぢゃないかってほんとに思った
動かなくなった
たくさんの人の遺体が
街にはあった
受け入れられなかった
これからどうなるのか
どうしていくべきなのか
何から手をつけたら
いいのか何も
考えられなかった
でも全部現実だから
受け入れて
頑張っていかなきゃって
日にちが経つにつれて
強く思えたのを覚えてる
苦しいのはみんな同じ
みんなで協力して
頑張っていこうって
そう思えた
昨日お母さんから
電話がきて知り合いの遺体がやっと見つかったって教えてくれた
ずっと寒い空の下
まだまだ
見つけてあげられてない
たくさんの人がいる
早く家族と会って
楽にしてあげてほしい
あたしには何もできない
すごく悔しいけど
でも離れてても
小さなことをみんなで
積み重ねていけば
絶対大きなことに繋がる
そう思ってがんばる
しっかり現実を見て
できることは全力で
みんながんばろうね
これからもっともっと
苦しいことが待ってる
それを絶対乗り越えて
亡くなってしまった
たくさんの命を
無駄にしないように
前よりも素晴らしい国に
していこうね
絶対この日を忘れずに
もっともっとがんばる