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妻ターン 〜二児の父の育休・山梨移住生活ブログ〜

都内在住31歳

仕事: メーカー海外営業
→ 子会社出向中 → 2020年7月末より半年間の育休取得

家族構成: 妻(31歳)、長女(3歳)、長男(3ヶ月)

趣味: 映画、音楽、サッカー、お笑い、筋トレ

思ったことを徒然なるままに書こうと思います。


気付けば、育休も折り返し地点を過ぎてしました…
このままだと本題に入れないので振返りは今回を最後にして、今について話して行きたいと思います。


エピソード6 〜就活・社会人編

私が就活していた時期はちょうど就職氷河期。
リーマンショックの影響が残る買い手市場でした。

とにかく動かねばと就活が本格化するずいぶん前からインターンに行ったり、情報収集していたのを覚えています。
そしていざ本番。海外で働きたかった私は月並みに大手総合商社を片っ端から受けましたが、ほぼ全滅。その後は業界問わず、とにかく海外に事務所がある会社で有れば片っ端からエントリーしました。

その結果、ありがたい事に地方の企業数社からは内定をもらうことができ、最後はなぜか今携わってる業界には受けがよく、現在勤めてる会社とそのライバル企業のK社の最終面接まで進みました。

後者は不合格で今に至りますが、あの時はとにかく必死でいい格好もしたいから、大手で名の知れた会社に入りたい一心でした。

仕事はメーカーの海外営業。聞こえは良いですが、実際は製品を海外の子会社や代理店に供給する輸出業務で貿易実務と見積を作るバックオフィス的な役割がメインでした。
正確性と数字という苦手な分野が必要とされる職場で私は初めて挫折と大きな壁に直面します。

ミスを指摘されては直しの繰り返しで、その負のスパイラルで(性格的な問題もありますが) 次第にわからないことも上手く質問できず、気だけ遣ってしまう。
つい、この前までそんなうだつが上がらない社員でした。

そして気づけば8年の月日が流れ、月曜日が憂鬱で仕方がないサラリーマンに。それでも過去の記事でも書いたように仕事にそもそも楽しさを求めるのは違う、給料を貰うために我慢するのは当たり前と思っていました。

そして昨年の4月、子会社への出向。
建前上は将来の海外駐在要員として経験を積んできて欲しいとのことで、確かにそこを経た人は栄転しているものの、丁のいい左遷と受け取りました。というよりそうされても仕方ないかなと。

出向先は国内向けの業務も多く、海外で働く夢から更に遠かった感も否めない小さな部署。
ただ、こんな私でも本社から来た人という肩書きになり多少の期待を受けて働き始めました。

右も左もわからない環境で敢えて新鮮な目で色々提案して欲しいと言われ、言われるがままにやってみると案外自分の意見が採用されたり、感謝されることが多くなりました。

決まった仕事がなく、自分で改善点や新たな企画を進めるという今までとは違ったやり方が私に合っていたのかも知れません。そして上司も今までとは違い、考え方が柔軟な人たちだったというのも大きかったと思います。

とにもかくにも、働くうちにそれまで完全に自信を無くしていたのが直り、初めて仕事が少し楽しいと思えるようになりました。

今では会社のSNSアカウント立ち上げを提案し、社長賞を受賞。そのプロジェクトの運営をしたり、会社として初めて取組むインターネット上での製品販売を推進したりと個人的には以前よりやりがいのある仕事をしています。

そして良くも悪くも意見が通る環境になったことをいいことに、自分の思った方向に物事を進めることができるようになってきました。

今取得している育休が最たる例です。
以前の私だったら半年間も休みたいなんて口が裂けても言えなかったでしょう。

でも昔みたいに苦手なことを一生懸命頑張っても会社なんて評価してくれない。ましてやいつお鉢が回ってくるかもわからない海外駐在のために、給料が上がるわけでもなく家族との時間をそれに削ったところで誰もその時間を返してくれない。
仕事は向き不向きもやっぱりあって「今の職場でダメならどこ行ってもダメ」と言うのは違うと思います。

私は出向という形でしたが、このことに気付きました。今後、本社に戻るにしても転職するにしても家族第一で少しでも楽しいと思える仕事ができるよう努力したいと思います。自分次第でそれができることを妻も教えてくれました。(この話はまた別の機会に)

時代も変わり、このコロナ禍で一層働き方も変化しています。海外駐在に家族を連れて行くのが昔からの夢でしたが、それに拘らなくてもいいのかなと思い始めている今日この頃です。

そんなこんなで山梨県は甲府に思い切って移住し、毎日子供たちの成長を感じながら充実した毎日を送っています。