Happy Ending Syndrome -28ページ目

Happy Ending Syndrome

終わりよければすべてよし。

 
活動を休止していた頃、物語を書いているときに途中で引っかかってしまうことが何度もありました。
そのお話を通して自分は何を描きたいのか。何を伝えたいのか。わからなくなってきたときほど、今まで書き溜めていた文章を読み返してみると、頭からスーっと何かが抜け落ちていくような感じがして。なんだか気持ち悪くなってきて、削除ボタンを押してしまう。物語ごと、全部消してしまう。


物語に罪はなくて、自分にも罪はないんだよね。ただ、「自分はこういうのを書きたいんだ」って気持ちと「こういうのを書かなきゃいけないんだ」って気持ちは違う。

自分が書きたかったお話を自分の好きなように、書きたいように書いて、あなたの作品の世界観が好きだと言ってもらえたとき。私の世界観って何だろうと考える。その好きになってもらえた世界観をあまり崩さないようにしなければ、と無意識に自分に縛りをかける。

前作が好評だったから、またこんな系統の話を書いた方がいいかな。
こういうのを書いてみたいけど、自分のカラーに合ってないかもしれない。
みんなに期待されてるから、恥ずかしくない、ちゃんとしたものを書かないと。
ちゃんと伝わるものを書かないと。

「書きたい」が「書かなきゃいけない」になったとき、その物語はすでに魂の抜け切った、からっぽな抜け殻になってしまっていると思うのです。
文字としての形は残るけれど、あったはずの中身が見つからない。読み返しても読み返しても見つからなくて、よくわからなくなって、書き直してみて、余計に見つからなくなって。その繰り返し。
作者が疲れて、純粋に心から愛せなくなった物語は、きっと弱って死んでしまう。


私の過去作たち。拙いものばかりだけど、みんな大切で、大好きな子たちです。以前の私は自由にのびのびと、書きたいものを書けていたように思います。それができなくなってしまった時期もあったけれど、今はまた少しずつ、自分の物語と向き合えるようになってきた。

「ちゃんとしたもの」って何だろう。どんなものがちゃんとしていて、どんなものがちゃんとしていないのだろう。勝手に線引きしようとしているのは誰だろう。
義務感で書くくらいなら、絶対書かない方がまし。限りある大切な時間を削ってまですることじゃない。
書きたいから書くんだ。私たちは書きたくないものを書くために物語を書いてるわけじゃない。


ちょっとしたきっかけがあり、そんなことを考えました。
無理やり詰め込まれた白々しい感動で涙は流せない。後付けされた都合の良いメッセージは誰の心にも届かない。どんなに難しく、綺麗な言い回しを知っていても、伝わらなければ意味がない。

あなたの世界観ってどんな世界観?と訊かれても、きっと私はうまく答えられない。自分ではなかなかわからないものです。これだ!とはっきり言い切れるほどの数も書いていません。
でも、書きたいように書けて満足できたものが、そのまま自分の世界の一部になってくれたらいいな。
自分らしさは意識して表すものではなく、自分の書いた物語が自然と生みだしてくれるもの。最近強くそう思うようになりました。

だって他の誰でもない自分が書いたお話なんだから。自分らしくない方がおかしいじゃないか!