社会心理学の講義でさまざまな心理について学んできた。そのなかで生活において役立つテクニックもたくさんあった。様々な講義があったが中でも私の印象に強く残ったのが、「権威への服従」である。
 
 権威(authority)=専門勢力+正当勢力
 
権威ある他者から、本来なら行わないような行為や罪のないような人を傷つける行為をするように要求されたとき、私たちはどのように行動するのか自分の意思や信念を貫けるのか…?人々はその要求を受け入れてしまうのか…?
 日常生活で出会う権力は様々だ。白衣を着た医師や大学の教授などが、大学生である私たちにとって身近である。例えばTVでも見かけるような有名な医師に「来週の検査で、体の糖分分解機能を測定するので、今日から一週間、毎日夕食後にチョコレートを一枚食べるようにしてください」このように言われたら、どうするだろうか?私は医師の言葉にしたがうだろう。これは医師による冗談だったとする。だが例え私の本心が「食後にチョコレートを食べるなんて太る原因だから食べたくない」であっても、医師の言うことを忠実に守るだろう。

 私たちは「権威」に弱い。「スタンフォード大学教授の博士が行った研究によると・・・」「知的財産を専門に扱っている弁護士によると…」このような前置きがされると、私たちは盲目的に内容を信じてしまい、簡単に説得されてしまう。私たちは、医者・弁護士・大学教授などの「専門家」と呼ばれる人々にとことん弱いのである。
 
だがその「権威」は本当に正しいのだろうか。時に私たちは騙されている。今年打ち切りとなったフジ関西テレビ「発掘!あるある大事典」は、1996年から10年以上も続いた「健康・からだ・レジャー・脳と心・美容・食・暮らし」などをテーマに生活情報の提供番組であった。メインキャスターに堺正章・ヒロミ・志村けんなどの好感の持てる有名人を起用し、多くの実験と様々な分野の専門家の裏づけを用いていた。長寿番組であり世間一般からの支持があったこの番組は、専門勢力であり正当勢力(だと思われていた)なので、1つの「権威」と言えるだろう。
皮肉にも私たちが信じていた番組の実態はこうであった。2007年1月7日の納豆を取り上げた第140回『食べてヤセる!!!食材Xの新事実』を放送。放送後、全国各地で納豆が売り切れるといった騒動となった。その騒動が発端となり社内調査が行われることとなり、制作内で実際には血液検査を行っていないにもかかわらず虚偽のデータを放映したと、制作の関西テレビが発表し、社長らが謝罪した。会見後、番組の根拠となるコメントを寄せた昭和女子大の中津川研一教授は、「捏造データの裏付けに自分の話が利用され驚いている」などと関西テレビに抗議したとされる。捏造が発覚し番組は打ち切りという最悪な形で幕を閉じた。
 
私たちの社会では、一般的に専門家の意見に従うことは正しいことであると考えられている。専門家は私たちよりも多くの知識と経験を持っており、ほとんどの場合、専門家の助言は私たちを適切な行動に導くことになるからだ。専門家からの情報は、私たちがどのように行動すべきかを決定するための、貴重な手がかりを提供してくれる。私たちは、経験的に専門家の忠告に従うことが、自分のためになることを知っているのである。
このような理由から、一般的に専門家による説得に抵抗するのはとても難しい。多くの場合、私たちは専門家の意見を鵜呑みにしてしまう。冒頭の医者の例を思い出すと「毎日チョコを食べろだなんて、そんなの太るにきまっているし、信じられないから、私は食べません!」と、抵抗できるだろうか。専門家の意見は、たとえ間違っていたとしても真実のように受け止められてしまうのである。
 視聴率欲しさに、捏造を繰り返した関西テレビ。視聴者は騙されていた。私たちの心理を操ることはマスメディアにとって容易いことなのである。
 
私たちは本当に「権威」に弱い。それを皮肉する作品がある。手塚修先生のブラックジャックだ。
ブラックジャックは天才的な医療技術を持ちながら医師免許を持たない。決して医師協会など社会的な権力にしたがうことはない。医療技術の腕は最高なのにも関わらず、金や地位という力に取り付かれている患者や権力者たちのブラックジャックへの評価は最悪だ。(確かにブラックジャックにも莫大な高額請求をしたりインチキな所はあるが…)しかしそんな患者や権力者たちも最後には、ブラック1ジャックをしぶしぶ認めなければならないという話が多くある。大切なものは金や地位を兼ね備えた権威ではないということを皮肉している。信じるべきものは何か?考えさせられる作品だ。
 
ここまでで、私たちは「権威」を盲目的に信じやすくそれに騙されやすいのだということを述べてきた。次にどれほど私たちが「権威」に弱いのか見てみよう。
 1974年に権威への服従の心理に関する実験をミルグラム博士が行っている。実験の被験者は「学習に及ぼす罰の効果」という表向きの理由で募集されたごくごく普通の人々である。被験者は二人ずつ呼び出され、博士から「この実験は記憶と罰の関係を調べるためのものです」と説明される。その後くじ引きで「生徒役」と「教師役」を決め、実験室に入る。くじはあらかじめ被験者が教師役となるように仕組まれており、生徒役は博士の助手である。
 実験の手順は簡単なものだ。生徒役は別室で電気イスに座り、教師役は簡単なクイズを生徒役に与える。生徒役がクイズに間違えると、教師役は罰として生徒役に電気ショックを与えるのである。電気ショックは、15ボルトから450ボルト(死に至る危険あり)までの30段階があり、生徒役が間違えるたびに1段階ずつ強い電気ショックを与えるよう指示される。
 実験が始まると、教師役は生徒役が答えを間違えるたびに、電気ショックのレベルを1段階ずつ上げていく。ショックを与えられた生徒役は、段階ごとに悲鳴をあげたりと演技する。
生徒役の悲痛の声に、教師役は博士に「もう止めた方がいいのでは?」と提案するが、博士は続けるように指示する。教師役はためらいながらも電気ショックを与え続ける。
 実験は被験者が、博士の要求をに関わらず電気ショックを与えるのを拒否した時点で終了した。「大多数の被験者は途中で実験をやめるだろう」「わたしなら最後までは続けない」実験の映像を見て思った。しかし、驚いたことに、教師役の被験者のうち62.5%が最後のスイッチ450ボルトまで実験を続けたのであった。
 
このように命令システムに組み込まれると、本心でない役割に応じた行動をしがちなのだ。最終責任者は博士であり、自分は指示に従っているのだと考え、その命令に従うことで満足感が生じていると考えられる。ミルグラムはこうした、自分は他人の要求を実行しているのだとみなすことを代理状態と呼ぶ。この状態下では命じられている行為についての責任もあまり感じなくなり、自分は命令を果たしただけという弁解をするのだ。

 いかに私たちが「権威」に弱いかがわかるだろう。
 権威への服従を現実に置き換えると、とても恐ろしい。思い浮かぶのはドイツでのヒトラー独裁政権下でのユダヤ人大量虐殺だ。ヒトラーは極めて特殊な人物であったに違いないだろう。しかし彼も、私たちと同じ一人の人間なのだ。人間はどこまで人間に対して惨忍になれるのか、思い知らされる。

 もし私がこのような状況下に生きていて、罪のない人々の命を奪わなければならないとしたら、どのような心理状況になるのだろうか。考えるだけで恐ろしいことだ。私たちは「権威」というのもをどう捉えていけばいいのだろうか。人間の心理を知ることはとても興味深い。社会で生活をしていくにあたってとても役立つだろう。それと同時に、人の心理を逆手に取り利用している人々がいる点にも注意しなければいけない。
社会心理学の講義でさまざまな心理について学んできたが、印象に強く残ったのが、「権威への服従」である。

権威(authority)=専門勢力+正当勢力
 
 権威ある他者から、本来ならばおこなわない行為をするように要求されたとき、私たちはどのように行動するだろうか。自分の意思や信念を貫けるか?その要求を受け入れてしまうのかだろうか?
 権威とは何か。日常生活で言うならば医師や大学の教授などが、身近である。例えば有名な医師に「来週の検査で、体の糖分分解機能を測定するので、今日から一週間、毎日夕食後にチョコレートを一枚食べるようにしてください」このように言われたら、どうするだろうか?医師の言葉にしたがうだろう。これは医師による冗談だったとする。だが例え私が「食後にチョコレートを食べるなんて太る原因だから食べたくない」と思っても、医師の言うことを忠実に守るだろう。

 私たちは「権威」に弱い。「スタンフォード大学教授の博士が行った研究によると・・・」「知的財産を専門に扱っている弁護士によると…」このような前置きがされると、私たちは盲目的に内容を信じてしまい、簡単に説得されてしまう。私たちは「専門家」と呼ばれる人々にとことん弱いのである。
 
 だがその「権威」は本当に信じていいのか。時に私たちは騙されている。今年打ち切りとなったフジ関西テレビ「発掘!あるある大事典」は、1996年から10年以上も続いた「健康・からだ・レジャー・脳と心・美容・食・暮らし」などをテーマに生活情報の提供番組であった。メインキャスターに堺正章・志村けん等好感の持てる有名人を起用し、多くの実験と様々な分野の専門家の裏づけを用いていた。長寿番組であり広く支持があったこの番組は、専門勢力であり正当勢力(だと思われていた)なので、1つの「権威」と言えるだろう。
 だが番組の実態はこうであった。ある騒動が発端となり社内調査が行われることとなり、制作内で実際には血液検査を行っていないにもかかわらず虚偽のデータを放映したと、関西テレビが発表し、社長らが謝罪した。番組の根拠となるコメントを寄せた昭和女子大の中津川研一教授は、「捏造データの裏付けに自分の話が利用され驚いている」などと抗議したとされる。捏造が発覚し番組は打ち切りとなった。
 
 私たちの社会では、一般的に専門家の意見に従うことは正しいことであると考えられている。専門家は私たちよりも多くの知識と経験を持っており、ほとんどの場合、専門家の助言は私たちを適切な行動に導くことになるからだ。専門家の情報は、私たちがどのように行動すべきかを決定するための、貴重な手がかりを提供してくれる。経験的に専門家の忠告に従うことが、自分のためになると知っているのである。
 このような理由から、一般的に専門家による説得に抵抗するのはとても難しい。多くの場合、専門家の意見を鵜呑みにしてしまう。冒頭の医者の例を思い出すと「毎日チョコを食べろだなんて、太るし、信じられないから、食べません!」と、抵抗できるだろうか。専門家の意見は、たとえ間違っていたとしても真実のように受け止められてしまうのである。視聴率欲しさに、捏造を繰り返した関西テレビ。視聴者の心理を操ることはマスメディアにとって容易いことなのである。
 
 私たちは本当に「権威」に弱い。それを皮肉する作品がある。手塚修先生のブラックジャックだ。ブラックジャックは天才的な医療技術を持ちながら医師免許を持たない。決して医師協会など社会的な権威に従うことはない。腕は最高だが、金や地位に取り付かれている患者や権力者たちのブラックジャックへの評価は最悪だ。(ブラックジャックが高額請求をしたりインチキな所はあるが)しかしそんな患者や権力者たちも最後には、ブラックジャックを認めなければならないという話が多くある。大切なものは金や地位を兼ね備えた権威ではないとわかる。信じるべきものは何か?考えさせられる作品だ。
 
ここまでで、私たちは「権威」を盲目的に信じやすいと述べてきた。次にどれほど私たちが「権威」に弱いのか見てみよう。
 1974年に権威への服従の心理に関する実験をミルグラム博士が行っている。実験の被験者は「学習に及ぼす罰の効果」という表向きの理由で募集されたごくごく普通の人々である。被験者は二人ずつ呼び出され、博士から「この実験は記憶と罰の関係を調べるためのものです」と説明される。その後くじ引きで「生徒役」と「教師役」を決め、実験室に入る。くじはあらかじめ被験者が教師役となるように仕組まれており、生徒役は博士の助手である。
 実験の手順は簡単なものだ。生徒役は別室で電気イスに座り、教師役は簡単なクイズを生徒役に与える。生徒役がクイズに間違えると、教師役は罰として生徒役に電気ショックを与えるのである。電気ショックは、15Vから450Vまでの30段階があり、生徒役が間違えるたびに1段階ずつ強い電気ショックを与えるよう指示される。
 実験が始まると、教師役は生徒役が答えを間違えるたびに、電気ショックのレベルを1段階ずつ上げていく。ショックを与えられた生徒役は、段階ごとに悲鳴をあげたりと演技する。生徒役の悲痛の声に、教師役は博士に「もう止めた方がいいのでは?」と提案するが、博士は続けるように指示する。教師役はためらいながらも電気ショックを与え続ける。
 実験は被験者が、博士の要求をに関わらずショックを与えるのを拒否した時点で終了した。「大多数の被験者は途中で実験をやめるだろう」実験の映像を見て思った。驚いたことに、教師役の被験者のうち62.5%が最後のスイッチ450Vまで実験を続けたのであった。
 
 このように命令システムに組み込まれると、本心でない役割に応じた行動をしがちなのだ。責任者は博士であり、自分は指示に従っているのだと考え、命令に従うことで満足感が生じていると考えられる。ミルグラムは、自分を他人の要求を実行しているとみなすことを代理状態と呼ぶ。この状態下では命じられている行為についての責任もあまり感じなくなり、自分は命令を果たしただけという弁解をするのだ。

 いかに私たちが「権威」に弱いかがわかるだろう。権威への服従を現実に置き換えると、とても恐ろしい。思い浮かぶのはドイツでのヒトラー独裁政権下でのユダヤ人大量虐殺だ。ヒトラーは極めて特殊な人物であったに違いないだろう。しかし彼も、私たちと同じ一人の人間なのだ。人間はどこまで人間に対して惨忍になれるのか、思い知らされる。もし私が同じ状況下に生きていて、罪のない人々の命を奪わなければならないとしたら、どのような心理状況になるのだろう。考えるだけで恐ろしいこ。私たちは「権威」というのもをどう捉えるべきか。人間の心理はとても興味深い。だが時に想像できないほど恐ろしいものだ。
なんだか今日のみきさんは
頑張ってる~かも!!


たんまり溜め込んだ仕事もこなしたし☆



暑いはずなのにクーラーもつけないで
頑張ってみたり☆
これでeco検定もばっちり♪なわけはない。


夏休みに入って初めて勉強したし☆
ものの30分♪


そんなこんなで只今夕方4時半。


お家であ奴を待ってるわけですけども…



べつにのろけとかじゃないんだぁ。



これから別れ話するんだもん☆


素敵になる為のSTEP1


悩みの種は排除すべき!!


愛とかそんなものよりも
自分がいかに幸せかが大事


たしかに幸せだけど
めんどくさいこと
つらぁ~いことが多すぎる


だから自分の為に別れる!!


…つもり。


はぁあ~何回別れ話すれば気が済むのやら。


ホントに別れられるかな??


わかんないよ。