帰国
遂に、アパートを出る時が来た。結局、出発時間ギリギリまでバタバタ手続きに追われてしまった。形式的な見送りが嫌なので、丁寧に遠慮させていただいたのですが、、、すごく嬉しい事に本当に好きな人達だけに見送られて、心の奥から感謝で熱くなった。私らしく、ブラジルの太陽みたいにワーっと明るく「tchau!!」するつもりが…やっぱダメだね、涙がドバドバ溢れてくるんだもん…約三年、あのアパートは我が家の基地みたいなもんだったなぁ…家族一人一人がそれぞれの外の世界で沢山の努力をして、嬉しい時もしんどかった時も、ここには最高の仲間がいる、どんなんだって受け入れてくれるかけがえのない家族がいる、基地だったなぁ…とか、10階の我が家を見上げて考えていた気がする。車が出発してから、ぴーちんが号泣し出した。あんな泣き方、生まれてから一度も見た事が無かった。ビックリした。「帰りたくないよーブラジルにいたいよーずっとブラジルで暮らしたいよー」車内で叫んで泣いて泣いて泣いて泣いて…Tシャツがビショビショに。。運転手さんもスゴく心配していた…だって、1時間以上泣いていたから。ほーちゃんは、「チアカロ(カロリーナ先生)に、電話して。」と言っていた。…もう、何故!?こんなにブラジルを愛して受け入れてブラジル人みたいに暮らしていたのに、ブツっと切られてしまうんだろう?こんなに辛いなら、もう、駐在はしたくない…と、その瞬間は腹が立った←駐在ではなく『ブラジルで生きる』のが大好きだったんだよね子供たちを沢山抱きしめながら、右には疲れ切って爆睡のほーちゃんがもたれかかり、左にはグチャグチャの後に泣きつかれて爆睡のぴーちん。い、い、いつもの長距離移動の旅行パターン…お、お、重い…そして、ただただ、愛おしい。私はぴーちんを慰めながら、自分をも慰めながら、色んな気持ちで胸が押しつぶされながら、いとも簡単に何度も号泣しては、泣き止み、また号泣。次から次から、ブラジルの大好きな人達みんなの顔や温度や声を思い出しては涙が止まらなかった。言葉が出てこないのは、助手席に座っていたダンナも同じだった。「思いが溢れるね…」全部の景色が美しかった。空港到着までの2時間を、自分勝手に泣き続けられたので、なんとなく気持ちを整理する事が出来た気がする…(と、これを機内で綴りながらも、また感情が溢れてきちゃうんだよね)目が覚めた娘たちも、気持ちが切り替わった顔をしていた。私達の娘たちは本当にたくましい!!ラウンジでゆっくり過ごしながら、ダンナと二人、それぞれ鳴り止む事のないiPhoneに、時間ギリギリまで精一杯応えた。娘たちも、ブラジルが大好きな気持ちを最後の最後まで、みんなに伝えていた。ぴーちんが、クラスメイトへボイスメッセージを作った↓「oii!Amigos Amigas!!tudo bem??Eu ta no aeroportoagora.euta sentindo saudade muito vocês...Muito obrigada!!amo...até breve!!」友達みんな、元気?今、空港にいるよ。みんなが恋しいよ…みんなありがとう。大好きだよ。またすぐ会おうね!娘たちを可愛がってくれた、私のポルトガル語の先生には、ポルトガル語のメッセージの最後に、「先生、日本でも頑張るからね!」と、日本語でも伝えていた。…あなたにはいつどこでも素晴らしい出会いがあるよ!と、私は確信している。そして、機内へ。外を見ると久々に強い雨が!ベタだけど、“ブラジルも寂しくて泣いているね”と、家族みんなが同じ言葉、呟いた。ブラジルまでもが私達の気持ちに寄り添ってくれているようだった…ありがとう。。さあ、約24時間掛けて、気持ちを移していこう。逆に言えば、24時間の移動が無いと、気持ちが日本へ向かないと思う。そして、自分の心の大事な部分は愛するブラジルへ全て置いた。これから始まる新たな生活も、前向きに生きていきたい。夜23時過ぎ、いつもは寝ている時間のほーちゃんが、ただただ無言でジーっと外を見つめていた。…そんなに小さな体で何を考えているの??離陸した時に、二人で笑顔で手を握り合った。娘たちは、このでっかいブラジルで心が大きく大きく育ったよ。「Brasil,muito obrigada!!」ありがとうね~ブラジーウ!と、二人で小さく叫んだ。ダンナが言った。「ありがとう。こんなにもブラジルを愛させてくれて。」…なんて大きな言葉だろうなぁ。。その通りだ。家族みんながこんなにブラジルを愛せたなんて、凄すぎるよ。それは、親の私達が前向きにブラジルを愛して暮らしたから、子供たちもまた、それ以上で生きたんだと思う。故郷から一番遠い所に、もう一つ大事な大事な故郷が出来た。何もかも、全部ありがとう!Agradecemos do Brasil.