恥ずかしながら自分史です
長いですよ😁

私、団塊ジュニア期に誕生しました

父は7人兄弟の末っ子
母は10人兄弟の末っ子
(この世代の人は戦争体験のある 
   親の価値観を引きずっています。)
私は4人姉妹の次女となりました。

今も消えてはいないと思いますが
当たり前のように跡取りは男と
決まっていた常識の中
十中八九男だと言われていたのに
女で出てきてしまった私………
今思えばそんな時から
闇を育んでいたとおもいます。

記憶が出来つつあるのは幼稚園の頃から

一人一鉢植えた向日葵の水やりを
頼まれた訳でもないのに毎日していました
先生に報告してからです
アヤメ組さん全員分です
そして私の向日葵は
他の人よりとても早く咲きましたが
とても細く小さかったです
(鉢入りで4歳児の胸前後)
なので幼心に
水やり過ぎちゃったのかなぁ😨
と思っていましたが
他のは元気に育ったので
忘れていました。最2,3日前まで………😆
折り紙とお絵かき、粘土遊びが得意でした

「私動物好きだから大きくなったら
動物王国で働く!!亅と言う友達に
「そんなの絶対無理だよ。亅
「できるもん!!!亅
「動物の世話って大変なんだよ!
無理に決まってるじやん!亅
と 現実を突きつけてしまいました。

この頃蓄膿症があったので
駅近くの耳鼻科に
一人でバス通いしてました。
妹を連れて行く事もありました
これは楽しかったです

小学校にあがりました。
私は宿題をやらない子でした。
イジメられました。(仲間はずれ)
対したいイジメでもないし
自業自得なので辛い印象はありません

低学年の時でしたが
私は失言で姉を傷付けました
姉の秘密を
友達の家に遊びに行ったとき 
それを面白おかしく話してしまったのです
毎日失敗をして叩かれる
そんな姉を見て私は同じ
失敗をしてはいけないときめやめたのでい
姉の事を少し見下して
いい気になっていたのでしょう
当然学校から帰ると
めちゃくちゃ叩かれながら怒られました。
けど
「本当のこと言っただけじゃん!
   毎日ねーちゃんのこと
      怒って叩いてるじゃん亅
          って言い返しました。
その場は叩かれた怒りで言い返したけど
謝りはしなかったけど(今も謝れていない😫)
罪悪感はずっと持っていました

とても仲良くしてくれている友達と
一緒にした自由研究で
ささやかなトラブルがあり
その子が嫌な思いしているよと
他の子が文句を行ってきたけど
私に否は無いので謝らなかったら
友達ではなくなりました。
言う通りにしてあげれば
良かったと思いました。

校外学習で違う学年と交流した時
班長さんが可愛い人だったので
あと追いの様について回っていたら
「嫌いなやつから逃げるゲームやろう!亅
って逃げられました。
あの時はあまり気になっていなかったけど
思い返せば
かなり酷い扱いのような気がします。
性格の悪い人だったんだ
ということにします。

中学生になりました
相変わらず宿題はやりません
今度はいじめられなかったのですが
自分が調子に乗って言いすぎて
何人も傷つけてしまいました。
気に入らない事があると
女子は集団になって文句を言いに来ます。
「あなたを思って言うのだけど                  ナンタラカンタラ〜〜〜
ナントカチャンたちが言ってるよー亅
「そんな告げ口いらんし!
文句があるなら、ナントカチャンが
           言えばいいし!亅
こんな感じで言い返したと思います。
これは問題(闇)になっていません。

そんな
小さなイジメにはあったけど
とてもしっかりした娘さん(私)は
高校生になったころ
近所の花屋1に家の近くで捕まり
バイトする事になりました
バブリーな最中、
時給500円で夏休みなんかは
10万超えのお給料を頂くほど働きました
店主も私にほぼ任せっきりでした
ここの店主は気に入らないモノは
徹底的にやっつけるタイプの人でした
バイト3年そのまま就職
花屋の3月は繁忙期なので
お休みを貰うことなく働きました
個人経営の店ですから
バイトと社員の境も無く
自覚も無いまま
いつの間にか社員でした
花の仕事は好きだったので
頑張っていましたが  
今で言うとしっかりブラックだったけど
それが当たり前だと思っていたので
週一休みの10時間労働
繁忙期は日にち超えでも
なんとも思っていなかったのです
でも、身体はキツかったのですね
それに伴い精神的にもおかしくなり出して
店主の注意も聞けなくなり
「あなたの顔色を見ながら
働きたくありません亅
と暴言を吐き辞めました。
後に横領しただの何だの
家まで因縁をつけに来ました。

タイミングよく八百屋を
やっている人と知り合えて
雇ってもらえましたが
花の仕事がやりたくなって
捜して再就職しました
次の花屋2で働いていた時
20才の私は成人式に休みたい
と言って休んだらクビにされました
父親と話し合った時
「う〜ん〜〜 しょうが無いなぁ
一回や二回遊びを断ってもいいだろう亅
と言われましたが
「初めの花屋の時から
遊びに行く余裕など無く
いつも断っていた
私はずっと仕事をしてた亅
と泣き崩れました。
そうしたら
「お前はどうしたい?」と聞かれて
「花屋で働きたい!」と言ったら
「頭を下げるしかないなぁ〜」
と話し合いは終わりました

意地を張って休んでまで行った
成人式ですが
高校時代から
仕事中毒の私は
友達と合うこともなく
出席名簿にチェックを入れて
一人ぼっちを満喫して
早々と帰って来てたから
昼から仕事に行けたけど休んだら
次の日クビ!!!
それでも
「意地を張って申し訳なかった亅と
頭を下げて戻りました。

暫く立った頃
八百屋の奥さんが
「今度、店を改装するの!!
花も増やしギフト中心でやりたいから
戻って来て!
改装中に研修にも行って貰う事になるけど…亅と現れて
悪い話でも無いし
八百屋に戻ると
改装中は研修どころか倉庫番でした
改装後、花は多くなりました。
花が触れるので楽しく働いていましたが
忙しい奥様はノートで
指示を出すようになりました
よくある事で当たり前の事かもしれないけど読みましたサインを書くのが嫌で
書きませんでした

お盆の繁忙期前に人が辞め
入荷したての処理していない花に
人が群がり疲れとパニックな私は
お客様の前で「嗚呼ああぁ~~~亅
叫んでしまいました
案の定、潮が引くように
お客様も引き花は売れ残りました
幸い卸売もしていたので
薄利多売で店長が処理してくれました
お盆が過ぎたらクビでした
 
遊んで暮らせる様なお家では無いので
新たな花屋3を探して
結婚まで務めました 
ココは
管理体制がしっかりしていたので
円満退職できました。

バックグランドでは
宗教熱心で短気な父
コントロールマザーが問題を
繰り広げてくれています
 
この父のハマっている宗教は
悪いものではないし
今で言うスピリチュアルな生き方を
時代に合わせたやり方で
布教していました。
私は姉妹の中で一番熱心でした。

子供の頃の父は
理不尽な事でよく切れていましたが
私が仕事につく頃は
キレはしたものの
理不尽ではなくなっていました
母は 
自分が一番可愛い人なので
父の顔色を見つつも
子供をコントロールする人です
私は小さくてもしっかりしていたので
母の愚痴を聞き買い物や料理など
よくやらされました やりました

お金の事で両親が
よく喧嘩をしていたので
姉は祖父母に買ってもらっ
お高いランドセルと机でしたが
私の机は従姉妹のお古
ランドセルは量販店でSALEの物を
自ら選びました
妹1は好きなものを選んでいました
妹2は机無かったかも?記憶に無い…
姉は新品 褒められない
私はお古 褒められる
妹1はわがまま言いたい放題
妹2はベッタリ母親独占
妹2は母のほうが離さなかった気もします。

私が仕事をしだした頃
近所に引っ越して来た人がいました。
初めは母の愚痴を聞いて取り入って来ました
車の免許のない母とよく出掛けていました
因みに母はパチンコ好きです
そのうち隣人は我が家に入り浸りました。
この頃、瓶に小銭貯金をしていたのだけど
よく減っていました。
犯人だとおもいます(証拠はない)

お金の愚痴を言う母に
借金の仕方を教え
全部は把握してませんが
まぁまぁな額をしてたと思います
なので私の給料の殆どは
母に奪われていました。

不満はあっても母娘なので
家族なのでそういうものだと思っていました

結婚編
私は運良く結婚できました。
花屋3で知り合った人です
普通に扱われて居ただけなのですが
あんな生活の私は
お姫様扱いされている気分でした

お金に困ることも無く暮らせます
それだけでどんなに有り難かったか
でも………
遅番で夜10時に
帰って来る夫とご飯を食べようと
お腹を空かせて待っていたのに
膳を用意しているスキに一言もなく
食べだすような人でした
「はぁ?何で先に食べちゃうの???
私は何時間もお腹を空かせて待っていたのに!!!一言もなくさきにたべるって…!亅
初めての夫婦喧嘩です

仕事も真面目で
ギャンブルは
お馬さんにお小遣い程度で楽しみ
お酒も飲む方ではなく
温厚で
素晴らしい人です

なのに不満は募るのです。
違う人間なのに
夫婦なら当たり前だと思っていた事のズレ
気付いて欲しくて…
言わないと駄目だと思い
言うようになりました
言い方が攻撃的なで聞くはずもありません
そのうち黙りました
諦めたつもりでいただけなので
検査はには引っ掛からないのに
止まらない咳をするようになりました
コレ(咳)は夫に文句を
言えるようになったら止まりました
通り道に転がってるときに
「邪魔」とか
日常の些細な我慢を小出しにしました。 
感情乗っかっちゃって大爆発!!の時もありますが嫌である事実は伝えないと自分にたまります。うまく行かないときは相手に聞かせようとしている時です。

子育てはほぼ一人でした
幼稚園や学校行事は参加はなので
本人は育メンだと思っていると思います

熱のある私 熱の乳飲み子おんぶ
ひよこ歩きの熱幼児の手を引き
二人分のお出かけセットを抱え
病院に行ったとき
え??一人で来たの???と言われ
あれ、これ変なことなんだ!って
初めて気が付きました

結婚編は私の負の感情で書いてるから
私に共感しちゃうと夫は相当極悪人😆
思い返せば
良いところもあった……よ…う、、な?
まぁそれも置いといて

BG編
お金にだらしない母親は
結婚してからも
当たり前のように
無心してきたました
父親の病院代だと………
(父親は若い頃から糖尿があり
結婚した頃はかなり悪くなっていました)
母はよく私を呼びつけ愚痴りました
話を聞いているだけなのに
不安になりました。
反対には母ケロッとして
高笑いをしだします
この時この人は私に
不安を押付けているんだと
不安を乗せてくるんだと感じました

話がそれた………
お金の無心
親だから断れないと思っていたけど
このままでは永遠ループ
私には1円も稼ぎが無かったので
子どもの貯金から
立て替えるので本人(孫)に
頭を下げて許可を取るようにと
当時3歳くらいの(孫)に頭を下げさせました
(子どもの傷になっていませんように)
流石に無心しなくなりました。代わりに姉や妹1.2.は被害にあったかもしれません

パチンコにも連れて行かれた事ありました
2〜3回一緒に打ったけど
ちょっと痛い負けをしたとき
「生活に困るじゃん、
   ってか勿体なくない?
  そもそも人(夫)のお金だし
  ババァと同じ事していくの???亅
って気が付いて
それから行きたく無くなりました
この出来事は
ギャンブル依存の傾向がある私には
いい薬になりました

中の上の暮らしで裕福に育った夫は
 (ウチは下の中か上)
穏やかで
悪いところのない人です

なのに私がブチ切れるのは
生活が貧困していないから
出てくる贅沢病だと些細なイライラを
抑えて暮らしていました

でも怒りはたまるります
キィ~~~!!って当たり散らして
別部屋で反省して
謝りに行ってのパターンが
出来上がりました。

ある日なんとも言えない気持ちになって
飲んだこともないのに
お酒を飲みたくなりました。
あ〜〜〜こうして 
キッチンドリンカーが出来るのかぁって
隙間に何かを埋めようとするんだ〜って
かんじた。

父との別れは
下の娘が生まれて2週間経った時でした
私は荒れました。
結構なクソジジイだったけど
見守られてる感はあって
安心できる場所は一気になくなりました。
そんな辛いときも
夫からは言葉すらも
かけてもらえなかったです。
与えられた業務はきちんとこなせるけど
苦労をしていないのか
人の気持ちがわからない………気がする
そんな人です

夫育てを間違えて
安定した暮らしのお礼と
言うわけではないのですが
何もかも頑張りすぎて
夫のやるべき仕事まで奪っていたので
今、魔の50歳児(友達に教えてもらった)
が出来上がってしまいました。

その絶望の中
私はインナーチャイルド
という言葉に出逢いました。

私のインナーチャイルドは
とても小さき丸まっていました。
抱っこを求めてきました。
甘えれなかったと気付きました。

子育て

私の子育ては褒めれたものじゃない
母親とかなり同じことをしてきた
夜泣きしても起きてくれない
夫に腹が立つのに
子供を泣くなと叩いた
子育ては一瞬と言われるが
言葉の通じない泣き叫ぶ乳幼児
助けてくれない夫
この地獄が永遠かもしれないと感じていた。
でも、育ちました。
永遠の様な時間も過ぎて行きました。
二人とも傑作です。
目標を持ち自分の道を歩いている娘と
感性がずれてる?とは思うけど
生き抜く知恵とやさしさのある娘です
子育てが楽になったのは
思い通りにしようとしなくなった時です
今も意見の食い違いで喧嘩もしますよ。
親になったら親の苦労がわかるとか
言われていましたが
私は分かりません
小さい我が子に会いたいとも
今のところ思いません
叩いた後悔しかありません。

だから
生まれて来てくれてありがとう
この言葉は心
本心から言っている人もいるけど
良い母親ぶって言っている人を
見るだけで吐き気がするほどでした

幸せの連鎖で育つ子なんて
ごく少数です
親にかけられた呪いは重いけど
見直せば少しづつでも溶けきいきます
いつまでも人のせいにしていないでください
いつまでも被害者で居ないでください
被害者のうちは地獄は永遠です

助けを求めた時
「俺は変われん!」と
心を砕いてくれた夫は
嫌いな人になりました
でも離れられない
ずるい人間です
あの時は私が辛かった状況を
話していたのに
自分が責められていると感じて
心を閉ざしたのです
誰にも守られない絶望を感じました
私は臆病でズルいので
嫌だけどここから出たいほどでないようです

飛び出そうとした事もありましたが
本当に欲しい愛(精神的安心)は
くれていないけど
彼なりの愛(生活の安心)は
しっかり与えられています
ズルい選択肢ではありますが
我慢してここに居る訳ではありません。

自分の体験なんて人と比べたら
自分で引き込んだ苦労だから
と思っていたけど、まぁまぁ酷いですね😆
泣きながら徹夜で書きました。
泣くことができて良かったです😆

自分の思い上がりで人を傷つける怖さ
安全基地のない怖さ
自分の弱さから逃げ出してしまう怖さ
偽の正義で切りつけられる怖さ
人の欲の深さ無責任さ
ジャッジするとかされるとか
私が動けないのは
そのレベルの話ではなかったんだなぁと
こんな人生なのに精神疾患も患う事なく
よく生きているなぁと思いました
コレが導きとか
御守頂いていたという事なのかな?


叩けばホコリはまだまだ出そうだけど
今はこれが限界!!!
最悪これ閉鎖させればいいもんねっ!て開き直って
編集途中だけど乗せる😆
だって
ねむたいから〜〜〜!😴