9月24日の徳島新聞で大きく紹介されている。長尾さんは42歳の時に発症し、次第に身体が不自由になり、人工呼吸器を付けて闘病生活は25年にも及んでいる。現在はわずかに動く右足でパソコンを操作しながら意思疎通を図っている。そして、2001年からはその右足を使って1200枚にものぼる絵を描いてきた。その約半分がこの「難病ALSを生きる」に収められている。その粘り強い精神力には頭が下がる。しかしどの絵を見ても明るい色調で、見ているとホッとさせられる。また、すべての絵にコメントが添えられているのだが、これまた抜群に明るいのだ。若い時のやんちゃな生活も書かれていて、面白い。例えば下の絵では、こう書かれている。
「これは力がいったで、いかんがこれだけ並ぶと街も綺麗、昔、先輩が名古屋の長屋に住んで居た頃、長屋が何棟もあった。一度仕事の帰りに、間違えて隣の家に入った。炊事場を通り越して居間の敷居で気が付いた。『あかん。間違えた。』と言って飛び出してきた。奥さんが後から謝りに行ったらしい。布団の中まで入らずによかった。よかった。」
背表紙には「難病で 我を惨めと 想うなと 険しい道に どっこい生きる」
この長尾さんの療養を支えているのが、奥さんの美津子さんである。この方も苦労を苦労ともしない性格で、話していると気持ち良い。
ALSの難病のこういう方が
「難病で 我を惨めと 想うなと 険しい道に どっこい生きる」
このような事を記して今を生きているのに!
わたくし無類のファイターも全然比較する事ではないですが以前、新型の鬱病
の症状があった事をブログで紹介させて頂きましたが、
今、現在のわたくしの事しか知らない方はみなさん言います。
「嘘でしょう」と、
本当に酷い時は、自分が嫌で嫌で
自分は生きて良いのだろうかと
どうやって命を断とうと真剣に考えた時が
ありました
しかし、例えば徳島ではJR汽車になりますが
飛び込もうと思っても親友のJRの運転士の
顔が出て来て迷惑かかるからと
駄目と止まり、また高いビルの上から
飛び降りようと思っても結局、後処理を
してくれる人に迷惑がかかると
思い止まり、結局どんな形でも
人に迷惑がかかるからと命を断つ事を
諦めたのです
今ではこの事が本当に恥ずかしく感じます
世界には生きたくても生きられない方が沢山いるんだと、自分は生きている
生かされているだという事に気付き
毎日すべてのことに感謝し
そして今では、この新型鬱病の事も
必然だった考える事ができ、
人生で無駄な事など一切ないとまで
考える事が出来ています。
上記の書籍の著者である、長尾さんではないですが、
人生一度きり
自分のやりたい事ワクワクドキドキする事を
して、過去や未来ではなく
『今を大切に』・『今を全力で生きる』
と思ったのです。
過去は変えられるものでもないし、
また未来は今を大切に生きてこそ
素晴らしい未来が見えて来ると思います。
だからこそ熱苦しいと思われても
全然構いません。
コレが本当のわたくし自身だから
またまた少しフェイス同様熱苦しくなってきたので
少し余談ですが
お志事終わりに今日はケンチョピアと